【大村市】長崎空港はなぜ海の上にあるのか?長崎空港の裏側に潜入
皆さんは「土木」に興味を持ったことがありますか?
実は筆者もここ数年で土木に関して興味を持ちました。土木って思った以上に面白いし、私たちが住んでる町の安全が保たれてるのも、土木のおかげ。
そのきっかけを与えてくれた人物は、土木楽者 デミー博士です。
デミー博士は、2002年に長崎大学大学院卒業後、建設コンサルタント会社に就職。そこから活躍の場を広げられ、多数のメディアにも出演されています。筆者も数年前にお会いしてから、土木関係のイベントに誘われ、何度か遊びに行ってきましたがデミー博士が関わる土木イベントはとても興味深く、楽しいものばかりです。
そんなデミー博士から、先日連絡がありました。
「今度、土木現場見学会で、長崎空港行くんですけど一緒にいきませんか?普段入れないところへ行くし、国土交通省の人達から貴重な話が聞けて、面白いですよ。」
そんなワクワクするようなお話をいただいて、デミー博士からの誘いを断るわけがありません。二つ返事で行くことにしました。
特別な許可を得て長崎空港のある箕島に潜入
参加日当日、待ち合わせ場所でデミー博士と今回案内してくださる国土交通省の皆様と合流しました。この日はあいにくの雨でしたが、霧もなく視界はそこそこ良好。
ほかに取材に来られていた新聞記者の方とも挨拶を交わし、一般で参加されている皆様を乗せたバスを待ちました。
参加されてる皆様のバスに乗車させてもらい、長崎空港のある箕島に立ち入りました。
今回の長崎空港の見学場所は「NAGASAKI」と書かれている花文字の上、長崎空港のシンボル花文字山です。
筆者が長年の謎だった親世代の言う『大村空港』の謎
バスに揺られながら、数分で目的地の花文字山にたどり着きました。
到着後、すぐに長崎空港の説明を大阪航空局長崎空港事務所 仲村総務課長からお聞きしました。
筆者は生まれも育ちも長崎県民ですが、祖父母や親世代の人たちが長崎空港のことをいつも「大村空港」と言っていました。
小さかった筆者は疑問に思っていました。「え?長崎空港と書いてあるのに、なんで『大村空港』って言うの?」と。同じ経験をした人いませんか?
実は長崎空港はかなり歴史が古く、大正12年(1923年)までにさかのぼります。
その時は大村市の陸地内に大村海軍航空飛行場があり、そこの滑走路を利用し民間の飛行機も就航していました。
昭和30年(1955年)に、旧軍施設を使用して、『大村空港』として発足します。
『大村空港』の名称の名残は、この時に来ているわけですね。
筆者の長年の謎が解けてすっきりしました。
そして、昭和50年(1975年)に現在の場所(箕島)に移転し、長崎空港という名称になりました。
なぜ長崎空港が海上空港になったのか
さて、ここでまた一つの疑問が浮かびます。
他県の空港は陸地内にありますが、長崎はなぜ海上にあるのでしょうか。
その疑問を長崎港湾・空港整備事務所の吉田さんと増山さんから、説明を受けました。
長崎空港が海上になったのには、もちろん理由があります。
大村空港は大村海軍飛行場と併用して運用されていました。しかし、昭和46年(1971年)に大村海軍飛行場から独立することになりました。
デミー博士から補足の話をお聞きしたら、このまま陸地内で建てる話もあったようですが、陸地内で造るとなると、離着陸する際にパイロットの視界に入る森林や住宅などが運航の妨げになり、かなりの範囲の山などを削る大掛かりな工事が必要になります。そうなると、かなりのコストがかかってしまいます。しかも飛行機となると騒音の問題も出てきます。
そこで見つけた最適な場所が、当時陸から2キロ離れた大村湾に浮かぶ「箕島」でした。
箕島は孤島で、南島と北島からなる周囲7キロになる島です。
周りには海だけで離着陸するときに邪魔になるものがありません。まさに空港にするには、打って付けの場所でした。
住民たちの理解と協力のおかげで、工事は昭和46年(1971年)12月に開始されました。
島には高さ97.3メートルと42メートルの山があり、その山を削り、削った石などを埋め立てに再利用して周囲を増設していきました。
現在は箕島山は「花文字山」と言われています。現在の高さは42メートルなので、50メートル以上、山を削ったことになりますね。
デミー博士によると、当時世界最大級のダンプカーが使用されていたそうです。工事の時間を少しでも短縮するため、埋め立てる場所へ浮橋を使って直接ダンプカーで運び、削った土を流して埋めていきました。土木作業者の皆様は、昼夜問わず交代で作業していたと考えられます。
なんと、三年三か月という期間で埋め立てが完了したそうです。この年数は非常に急ピッチな作業期間。説明をしていた吉田さんは、資料を見ながら「個人的にすごいと思います」と感心して呟いていたので、その速さが伝わってきます。
スペック的には最高級の滑走路を持つ長崎空港
そして、昭和50年₍1975年)5月1日に開港しました。
長崎空港のもう一つの凄いところはスペック的には最高級の滑走路を持っています。
長崎空港ができた当初は滑走路は2500メートルでしたが、ジャンボジェット機など大型機を受け入れるようにするため、昭和55年(1980年)に延伸工事をし3000メートルまで伸ばしました。
他の空港は滑走路の横幅が45メートルですが、長崎空港は滑走路の横幅60メートルあり、ここまで広いのは国管理の九州の空港では、長崎空港と北九州空港だけです。
埋め立てて広げた土地だからこそ、出来たことなのかもしれませんね。
その大きさから長崎空港の滑走路は、現在現存しているいかなる飛行機もほぼ全て受け入れ可能なのです。
日本国内の航空会社ほどんどが長崎空港に乗り入れしているので、長崎空港がどれだけ大きい空港か知ることができます。
花文字山の上からみる長崎空港
まさに空港を反対側から眺めるという貴重な体験です。
雨が降ってなかったら、大村市も見えて圧巻だったかもしれません。
説明を聞いてから、改めて空港を眺めると今まで見てた風景が違って見えてきます。
見学していた時間帯は、飛行機の発着陸が一番少ない時間帯だった模様で、停まっている飛行機も少なかったです。
高台で眺めがいい場所なのですが、空港全体が視界内に収まりません。
改めて、長崎空港の大きさを実感します。
長崎空港を眺めていると、大韓航空の飛行機が目の前に着陸してきました。
花文字山からも空港はだいぶ離れていますが、エンジン音はうるさいくらいに聞こえます。
長崎空港の話も聞いて、しかもいつもと違う角度から空港をみて大満足の中、帰路につきました。
まとめ
長崎の玄関口でもあり、地元県民からは観光名所にもなって親しまれている長崎空港。出来上がるまでに土木に関わる人たちが大きく関わっていることを知ることができました。
そして、今も安全のために頑張ってる土木の人達のおかげで、世界初の海上空港は守られているんだと思うと頭が上がらなくなりました。
来年、長崎空港は開港50年を迎えますが、今でもたくさんの土木業者の人たちが長崎空港を守るために携わっています。世界初の海上空港に関わっている土木にも注目してほしいと思います。
取材協力
土木楽者デミー博士
国土交通省九州地方整備局 長崎港湾・空港整備事務所
国土交通省大阪航空局長崎空港事務所
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住所 長崎県大村市箕島町593
開閉時間 6:15~22:00