「マイクロンに買われて良かった」
世界第4位の半導体メーカーにのし上がったマイクロンテクノロジー。今や3兆円企業となり、その業績に大きく貢献したのが、日本法人であるマイクロンメモリジャパンだ。広島県の東広島市に工場を持ち、このほどマイクロン本社は広島工場およびマイクロンジャパンに対して今後も多額の投資を行い、今後3年間に500名を新規採用することをコミットした。
2013年に、日本のエルピーダメモリを買収した時は、日本中から残念だ、という声が上がった。エルピーダメモリは、日立製作所とNECのDRAM部門が一緒になって1999年に設立されたが、合併した年から一度も売り上げ、利益とも上がったことはなく、下降線をたどるばかりで、つぶれることは時間の問題だった。2002年に経営力を評価されていた坂本幸雄氏が社長になり、抜本的な改革を行い、それから10年間は操業できた。しかしリーマンショックで銀行から資金調達に失敗、2012年に会社更生法適用を申請して倒産した。立てなおしに奔走し、2013年マイクロンテクノロジーに買われてマイクロンメモリジャパンとして再出発した。
リーマンショック後、金融関係は製造業に資金を全く貸してくれなくなったため、エルピーダは苦しい資金繰りの日々が続いた。12年に会社更生法を申請するまで資金繰りに苦しみ続け、新規の設備投資はほとんどできなくなっていた。このため、設備は古臭く、競争力も失われていた。マイクロンメモリジャパンが設立された当時も設備は古く、マイクロン本社も投資をほとんどできない状況だった。しかし、マイクロンの社長兼CEOであるサンジェイ・メロートラ氏によると、これまでに2000億円超の投資を行ってきたという。
マイクロンメモリになってからエルピーダ時代の25nmプロセスを引き継ぎ、少しずつ投資、次に20nmの開発、そして量産体制を台湾工場に築いた。1X nm以降はマイクロンの研究開発センターのあるアイダホ州ボイジーで共同開発した。2017年に1X nm、2018年に1Y nm、そして2019年に1Z nmと少しずつ微細化を進め、今回広島工場を拡張し、1Z nm製品の生産を増強していく。完全に量産体制が出来上がると台湾に移管し、広島工場は更なる技術開発を進める。
ここにきてメモリバブルの追い風に乗り、マイクロンは2017年、18年と世界第4位の半導体メーカーにのし上がってきた。DRAMの中心的な開発工場は広島工場であり、マイクロン本社は、広島工場を「先端技術DRAMのCenter of Excellence」と位置付けており、まさにDRAM開発の中心基地と本社から認められている。ちなみにCenter of Excellenceとは、優れた専門家集団がいて、技術、製品、運営管理を含めた総合的な拠点を意味する。
さらに英語が苦手な日本人社員のための英語研修にもこれまで500万ドルを投資してきたという。加えて、彼らが重視するのは女性のエンジニア。2019年4月に新たに採用した400名の内、女性社員が30%、さらに外国人も30%を占めたという。グローバルな多様化(diversity:ダイバーシティ)をした戦略を進め、単なる女性の数を増やすだけではなく、マイクロン社内における女性のキャリヤパスが見えるような会社にしたいとマイクロン本社のGlobal HR ビジネスパートナーで VPの中西詩絵氏は言う。「日本一、女性が働きやすい職場を目指す」とマイクロンジャパン社長の木下嘉隆氏は力説する。
グローバルな企業は、優秀な外国人や優秀な女性を活用し、企業の業績を上げてきている。木下社長は「日本の社員はマイクロンになってよかったと感じていると思う」と述べている。DRAM市場は、2016年以前は2~3兆円の規模を推移していたが、2017年6~7兆円、2018年には10兆円に増加した。木下社長はマイクロンの大きな投資決断を尊敬し、感謝していると語る。今こそ、マイクロンのメンバーになった喜びを感じているようだ。DRAM、NANDフラッシュとも今後もコンピュータやAIが伸びていくことは間違いないため、日本法人は本社の期待に応えたいとする。
マイクロンはなぜ日本に力を入れるのか。CEOのメロートラ氏は、「日本には自動車産業、エレクトロニクス産業があり、半導体製造装置メーカーや材料メーカーもある。それらと共に研究開発センターもある。半導体産業は開発から量産まで、エンドツーエンド(e2e)の産業である。だから日本とコラボレーションすることが成功のカギとなる。しかも日本には優秀な人材がいる」と述べている。
(2019/06/13)