WSL・マンチェスター・シティで高まる日本人選手の価値。発展し続ける欧州女子サッカーの最前線
【”世界一リッチなクラブ”で価値を高める選手たち】
女子最高峰の舞台、イングランド1部のWSL(女子スーパーリーグ)で優勝争いを繰り広げる強豪・マンチェスター・シティ(以下シティ)で今季、3人のなでしこが存在感を高めている。
なでしこジャパンの司令塔でもある長谷川唯は、シティでは3年目を迎え、守備的MFとしてチームの攻守の歯車を回している。昨季は2年連続のベストイレブンに選出され、今や最も市場価値が高い日本人女子選手になった。今季から加入したGK山下杏也加も、9月の開幕戦でスタメンを勝ち取り、早くも主力としてフィット。同じく1年目の藤野あおばは、プレシーズンからV・ミーデマ(オランダ)、ローレン・ヘンプ、クロエ・ケリー(ともにイギリス)、メアリー・ファウラー(オーストラリア)といった各国代表のアタッカーと鎬を削り、準レギュラーの座を確保。ターンオーバーを敷いて望んだ9月27日の欧州チャンピオンズリーグ(以下CL)のグループステージ・ザンクト・ぺルテン戦では、今季初ゴールを含む1ゴール1アシストと結果も残した。
パリ五輪で負傷した清水梨紗は加入後はリハビリを続けながら、復帰のタイミングをうかがっている。
シティは、昨季は終盤で勝ち点を落とし、僅差でチェルシーの5連覇を許した。だが、今季は戦術的な積み上げに加えて補強も功を奏し、リーグ優勝とチャンピオンズリーグ制覇を視野にとらえる。10月10日のチャンピオンズリーグ・グループステージではバルセロナに2-0で完勝。ポゼッションやビルドアップで欧州王者に匹敵する力を示し、連勝を16でストップさせた。
世界一“リッチ”なクラブだけあって、何かにつけて出てくる数字の桁(ケタ)が違う。クラブ公式サイトは今年1月、総額1,000万ポンド(約18億5000万円)に上る女子チームの専用トレーニング施設の開発計画を提出。男子チームに倣(なら)い、女子サッカークラブのハード面の発展を牽引している。女子チームは、アカデミーとともに主に7000人収容のジョイ・スタジアムを主に使用しているが、男子のホーム・エティハドスタジアムからは徒歩圏内(約5分)で、クラブのトレーニング施設も隣接。ジムや宿泊施設、クラブハウスなども含めた敷地は32万平方メートル(東京ドーム約7個分)に及ぶ。
また、SNSでは男子と同じアカウントで女子チームの動向や宣伝を大きく伝え、集客を促している。そうしたマーケティングが功を奏し、エミレーツスタジアムで行われたアーセナルとシティの開幕戦は4万1818人の観客が入った。長谷川、山下、藤野の日本人トリオが先発したその試合は2-2でアーセナルと引き分けたが、その後は公式戦4連勝と軌道に乗った。
WSL暫定首位で迎えた10月20日のアストン・ヴィラ(8位)戦を現地で取材した。予想通り、ジョイ・スタジアム周辺一体は、チームカラーのブルーとともに、その世界観に染まっていた。
ジョイ・スタジアムは7000人収容で、女子スーパーリーグで唯一の専用スタジアムだ。サイズもそうだが、雰囲気や作りも含めて、女子サッカーや育成年代の試合におけるエンタメのあり方を考えさせられる空間だった。ピッチと客席の近さは2メートル。腰の高さの仕切り(広告看板)を隔てて、すぐ目の前に青々とした芝生がある(芝の状態までよく見える)。試合前のアップやシュート練習は、見学も撮影(メディアカメラマンと同じ位置)も可能だ。試合前には、大きな一眼レフを構えた10代と思われる女の子たちが練習を撮影していた。
長谷川は、「このグラウンドで試合をするときは、相手がチェルシーやアーセナルなどの強豪でも基本的にシティがボールを持てるし、雰囲気としてもホームのアドバンテージを感じます」と話していた。そのアドバンテージを生み出すのは、スタジアムの設計や運用だけではない。この試合もメインスタンド、バックスタンドはほぼ満員で、試合中は女性も男性もゴール裏と同じ熱量で歓声や拍手を送っていた。
シティはほぼベストメンバーと思われる布陣で、長谷川と山下は先発で出場。スタジアムDJの掛け声によって一人一人の映像が大型ビジョンに流れると、ローレン・ヘンプと長谷川の時にひときわ大きな歓声が響き起こった。
前半は、8位のアストン・ヴィラが健闘。「プレシーズンの練習試合で負けていたので、苦手意識はあるイメージで、前線から守備に行っても、シンプルに背後を狙ってくるのでやりづらい相手」と山下が話していたように、前半20分に右サイドを突破され、ガビ・ヌネスに先制を許した。アストン・ヴィラは要所ではしっかりとパスをつなぎ、戦術的な対応力も高く、前半は苦戦を強いられた。
だが、シティも山下のロングフィードから昨季得点王のK.ショーが抜け出すなど、ダイナミックな攻撃を織り交ぜながら主導権を握った。山下は4バックと同じぐらいボールを触る回数が多く、ハイプレッシャーの中でもバックパスを託されるなど、味方からの厚い信頼が感じられた。
長谷川は、ピッチ上で最も小柄だが、やはり抜群の存在感を放っていた。2、3手先を読んでいるような守備でインターセプトから攻撃の起点になり、ボールを受けると確実に前を向く。相手の中盤の選手にマンツーマンでマークにつかれていたため、ボールタッチは少なかったが、相手が寄せられない間合いでボールを捌き、スペースをコントロール。33分にはボール奪取から、最初の決定機を創出している。
63分、左サイドのクロスから、ヘンプが難易度の高いバイシクルシュートを決めて同点に追いつくと、その8分後にはヘンプが左サイドで相手3人をごぼう抜きし、フリーになったJ.ルードが決めて逆転。前十字靭帯損傷から復帰を果たしたルードの復帰ゴールにスタジアムが沸き返り、祝福の輪ができた。
その後はシティがゲームをコントロールし、82分には藤野が左のウイングで途中出場。自陣でのボール奪取からカウンターの起点になるシーンもあったが、リスクを冒すよりは、守備を安定させる役割を求められているようにも見えた。終盤は足が止まった相手を余裕を持っていなし、シティは4連勝で暫定首位をキープした。
【WSLの第一線に立つために必要なこと】
試合後、選手たちの熱気が残るピッチ脇で、長谷川と山下に話を聞くことができた。
「前半はチャンスの数も少なかったですけど、ボールは持てていた中で、いつもとちょっと違う形でボールを回しました。相手にほぼマンマークでつかれていたので、自分が落ちると相手が嫌がっている感じも見えたので。練習の時からチームでそういう状況も想定していたので、後半はいいシーンがいくつか出せたのは良かったです。昨シーズンは大事なところで勝ち点を落としたり、引きわけが最後まで響きましたが、今季は逆転勝ちが何試合かあって、練習試合で負けていたイメージの悪い(アストン・)ヴィラにこの試合で勝てたのは、一つの大きなポイントになると思います」(長谷川)
対戦相手があの手この手で“長谷川対策”をとってくる中、シティもビルドアップや守り方をその都度、微調整している。それはベンチからの指示というより、試合中のピッチ内の判断が大きいようだ。「自分が下がって回す形は、(ガレス・テイラー監督から)指示されてやることはあまりなく、試合の流れでやることはあった」と、長谷川自身も認めている。監督の指示を待たずとも臨機応変に対応できる戦術的知性やコミュニケーション力がなければ、このレベルで第一線に立ち続けることはできないのだろう。
山下も、自身の強みを存分に生かし、サポーターの支持を得ているように見えた。CLのバルセロナ戦でその価値が高まったのは間違いないと思うが、山下自身は謙虚かつ客観的に現状を受け止めていた。
「自分たちが良かったというよりは、逆にバルサがどうしたんだろう?っていうイメージでした。代表の(パリ五輪の)スペイン戦ぐらいの(圧倒される)イメージだったので、ゼロで抑えられたことは良かったです。今は、ビルドアップを買って(監督が)自分を使ってくれていると思うので、期待に応えたいと思っています」
試合数をこなす中で、味方の特徴や、チームのやり方にも馴染んできているという。GKは代表選手3人を含む5人体制と今季は層が厚く、山下自身のさらなる進化にも期待がかかる。
WSLはプレミアリーグ同様、フィジカルの強さで世界屈指の女子リーグだが、「その中でもしっかりとパスをつなごうとするチームは昨季よりも増えている」と長谷川は口にした。それは、WSLが革新を続ける中で、世界中から気鋭の指導者が集まっていることや、日本人選手の需要が高まっていることとも無関係ではないだろう。
試合後、ファンサービスを終えた選手たちがロッカールームに戻り、観客も去って撤収が進むスタジアムのピッチの端で、最後まで藤野がランニングを続けていた。自身のステップを確かめるように黙々と走る横顔には、悔しさがにじんでいるようにも見えた。
【10.26新生なでしこジャパンのお披露目へ】
今回、シティの試合とは別に、清家貴子が所属するブライトンと、宮澤ひなたが所属するマンチェスター・ユナイテッドの試合も取材をした。ブライトンも、今季は補強や環境整備に力を入れて上位進出を狙っている。現地取材を通じて、リーグ全体の環境の発展ともに、試合のレベルやファンの増加など、ソフトとハードの両面で、イングランドの女子サッカーに対するリスペクトや観客の熱量を体感できた。過渡期にあるWEリーグの発展を考える上でも考えさせられる部分が多く、それについてはまた改めて別の機会に記事にしたいと思う。
10月26日に国立競技場で行われるなでしこジャパン対韓国女子代表の親善試合には、シティの長谷川、山下、藤野の3人も招集されている。
この韓国戦は、2027年のワールドカップに向けて代表が再始動する場となる。初の外国人監督も視野に入れた新監督招聘の行方は難航しており、今回は佐々木則夫女子委員長が代行監督を務める“仮の新体制“で臨むが、見どころは少なくない。23人中16人を占める海外組の中でも、過半数が挑戦1年目の選手たちだ。各国のトップリーグで自身の価値を高めてきたなでしこたちが、個々の成長を代表にどのように還元してくれるのか、楽しみなポイントだ。
*表記のない写真は筆者撮影
取材協力:ひかりのくに