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『週刊文春』「上野千鶴子反論の衝撃中身」、何が「衝撃」だったのか背景を探った

篠田博之月刊『創』編集長
『週刊文春』3月30日号と『婦人公論』4月号(筆者撮影)

「おひとりさま」が実は…という最初の暴露記事

 3月23日発売の『週刊文春』3月30日号が「文春は『卑しい人々』 上野千鶴子反論の衝撃中身」という記事を掲載していた。上野千鶴子さんが『婦人公論』4月号に寄稿した記事を「衝撃中身」と言っているのだが、そのどこが「衝撃」なのか。週刊誌のありようを考えさせる記事なので論評しておこう。

 そもそものきっかけは2月22日発売の『週刊文春』3月2日号「おひとりさまの教祖 上野千鶴子が入籍していた」だった。発売当時ネットで大きな反響を呼んだ。「おひとりさま」シリーズで知られる上野さんが、実は「おひとりさま」でなく「密かに入籍していた」というもので、このタイトルだけでインパクト十分だった。

 中身の方は、本人に取材拒否されたため、なかなか苦しい記事なのだが、「密かに入籍していた」というファクトだけでいけると編集部は判断したのだろう。その号の右トップは「安倍暗殺『三つの死角』」という同誌のキャンペーン報道で、左トップがこの上野さんの記事だ。でも目次を見ても、左トップの見出しの方が明らかに目立つ。同誌としては勝負をかけたのだろう。

『週刊文春』3月30日号(筆者撮影)
『週刊文春』3月30日号(筆者撮影)

 上野さんはすかさずこれに反撃した。こんなふうに即座に反撃して意思表示するのは上野さん流だ。3月15日発売の『婦人公論』4月号に「緊急寄稿『文春砲』なるものへの反論 15時間の花嫁」という記事を寄稿したのだが、末尾に「本稿は2月22日に書かれたものです」と明記していた。2月22日は問題の『週刊文春』の発売日だ。つまり同誌を読んで即座に反論したということだ。

 かつて月2回刊だった『婦人公論』は、今は月刊誌だから入稿から発売まで多少時間があく。この反論も本来ならばもっと早く出るべきだったろうが、『週刊文春』発売から3週間経過していた。

インパクト大な「卑しい人々」なる表現

 しかし、上野さんの反論はなかなか強烈だった。書き出しがこうである。

「世の中には、他人のプライバシーを嗅ぎまわってそれをネタにする卑しい人々がいる。『文春砲』なるものもそのひとつだ」

 上野さんらしい表現に思わず笑った。

 週刊誌に一方的に書かれることを知って、他の媒体で、事実はこうだと自分で書いておこうと考えたのだろう。

 その反論手記によると、23歳年上の学者・色川大吉さんが2021年9月7日に他界した。

 色川さんといえばファンも多かった学者だ。その色川さんの介護をしていた上野さんは死後の手続きをするにはそれが良いと考えて前日6日に婚姻届けを提出したのだった。「家族主義の日本の法律を逆手にとる」と手記では表現している。

 なぜそこまで踏み切ったかについて、介護中の経験をこう書いている。

「介護期間中にかれの資産管理をし、預貯金を解約し、口座をひとつにまとめるなどの手続きをするたびに、窓口の担当者に『ご関係は?』と聞かれた。『友人です』と答えても通らない」。「さんざん面倒な思いや、いやな思いをした」というのだ。そこから亡くなる前日で「15時間だけの花嫁」だったとしても、婚姻届けを出すというところまで踏み切ったというのだ。

 手記を読むと、それは単なる思い付きではない。色川さんは、上野さんの介護について、「上野さんは、いま、理論を実践している最中です」と言っていた。また知人が「上野さんは、自分が書いたとおりの介護をしましたね」と言ってくれたのがうれしかった、とも書いている。

 色川さんの介護は、上野さんにとって特別な意味を持っていたことがわかる。『婦人公論』に載った上野さんの手記は、そうしたことを含めてなかなか深いものだ。

 だから上野さんのとった行動を含めて『週刊文春』が「衝撃の中身」と見出しを付けても不思議ではない。ただ私には、どうも今回の同誌記事には、行間にもっと複雑な思いが込められているような気がして、そこに興味を抱いた。

文藝春秋と上野さんの関係

 この記事には書いていなかったが、実は上野さんの「おひとりさま」関連書は多くが文藝春秋から出ている。最初の『週刊文春』記事で、上野さんが2007年に法研から『おひとりさまの老後』から80万部のベストセラーを出したことに触れていたが、この書も今は文春文庫に収められている。

 上野さんが大ヒットを放ったのを見た文藝春秋は、同社から同じテーマでムックを出したり、その後も関連書を刊行するなど積極的にアプローチ。2021年刊の文春新書『在宅ひとり死のススメ』まで文藝春秋にとって上野さんはベストセラー作家なのだ。恐らく『週刊文春』も最初は書籍担当者経由でも取材依頼をし、断られたのだろう。

 大手出版社の場合、週刊誌編集部と出版部は編集権がそれぞれ独立しており、週刊誌で叩いている人が実は同じ会社の書籍部門から著書を出していたりする。アプローチする書籍部門は、「我が社は現場の編集権を重んじており、週刊誌編集部とは別の会社であるくらいにお考え下さい」と強調して著者を口説く。上野さんもそういう思いで文藝春秋の書籍部門とつきあってきたのだろう。

『週刊文春』も政治家やタレントが書籍部門から著書を出していても、叩く時は叩くというスタンスだ。ただ、そうはいっても書籍部門と雑誌部門の異動はよく行われているし、『週刊文春』も最初の3月30日号の取材を始めた時点で、上野さんと文藝春秋の関わりくらいは当然頭に置いていたはずだ。だから恐らく、上野さん本人の取材ができれば、上野さんの意向をそのまま記事にすることも想定していたと思う。

 だが上野さんにとっては、個人のプライバシーに踏み込んで、それを売って商売しているような週刊誌には協力したくないという思いがあったのだろう。自分のプライバシーに踏み込まれたことへの嫌悪感もあって「卑しい人々」という激しい言葉になったと思われる。

 どうも私には、『週刊文春』編集部が「衝撃」を受けたのは、上野さんの手記の中身もさることながら、手記の冒頭に書かれた「卑しい人々」という非難のほうだったのではないかという気がする。同誌3月30日号の記事「文春は『卑しい人々』 上野千鶴子反論の衝撃中身」という記事は、冒頭で「卑しい人々」と断罪した上野さんの『婦人公論』手記の引用から始まる。記事全体から「戸惑い」のようなものが漂ってくるのだ。

『週刊文春』の矜持とダメージ

 もともと週刊誌編集部は、「個人のプライバシー暴きで商売している」といった類いの非難に対して「いや、そうでない」とは言うのだが、内心忸怩たる思いは抱えているような気がする。それゆえ『婦人公論』の上野さんのレポートは「衝撃」だったのではないだろうか。気にしていた部分に「卑しい人々」という言葉が突き刺さったのではないかと思う。

 最初の報道を機に起こった同誌と上野さんの応酬は、いろいろな意味で興味深い。

『週刊文春』は周知のように、この何年かスクープ連発で、かつては新聞より一段低く見られていた週刊誌の認知度や信頼性を上げることに貢献してきた。恐らく同誌編集部もそういう状況を自らが切り開いていることに矜持を持ってきたと思う。

 その意味では上野さんの「卑しい人々」という表現はそのプライドにダメージを与えたのではないだろうか。しかも文藝春秋からベストセラーを出している著者の言葉だ。これはどう考えても「衝撃」だったのではないだろうか。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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