ソフトボール金メダリストの意外な転身。母と歩む新たな道。
2008年の北京五輪の女子ソフトボール決勝・アメリカ戦で大会初安打を放ち、さらに先制のホームを踏んだ三科真澄(みしな・ますみ)さん。チームはそのまま3対1で逃げ切っての優勝が決まると、二塁の守備位置から1歳年下の上野由岐子投手を中心とした歓喜の輪に飛び込んだ。
悲願の金メダルを獲得。2004年アテネ大会はまさかの銅メダルに終わったこと、次回2012年のロンドン大会からは実施競技から外れていたこと、その両面があっただけに喜びはひとしおだった。
それから12年の時が経った。創部当時9名しかいなかった東京国際大を5年目には大学日本一に導くなどしたが、現在のホームグラウンドは球場ではなく畑だ。
「こんにちは!今日はよろしくお願いします!」
開口一番、元気な声で迎えてくれた三科さん。日焼けした肌と引き締まった体格、そして挨拶だけで感じる生命力に、金メダリストの面影が残る。
埼玉県毛呂山町にある『パラダイス農園』と名付けられた畑には、かぼちゃ・にんじん・大豆・生姜・とうもろこしなど10種類近くの食物が植えられている。ここでの農業体験イベントの開催や食事を販売するキッチンカーの運営を世界を相手に戦ってきたソフトボール界に続く、第2の人生の場に選んだ。
きっかけは母・惠美子さんの存在だ。指導していた東京国際大では監督と寮母という関係だったが、監督を勇退しビックカメラ高崎のコーチに就任したタイミングで惠美子さんも退職。坂戸市の東京国際大からほど近いこの場所にある畑を管理することにした。そして去年に退社し、母と同じ場所で働くことを決めた。
「母の体調も悪くなってきたので、“一緒に何かをやれたらいいな”と思い、畑を手伝うようになりました。もちろん、2人で楽しい時間を過ごすことも大事なのですが、いろいろな人に来てもらいたいんです。何かを一緒に体験したり、一緒に野菜を育てたり。ともに学び合うことで、“人の輪を広げていきたいな”と思って農園を始めました」
取材当日は朝方に降った雨の影響ですべてのメニューを行うことはできなかったが、筆者も実際に炊飯のためのトーチ作りや火起こしを体験した。
「火が燃えることに大事なことは何だと思いますか?」
「ほら、気を抜いてると火が消えちゃいますよ!」
作業に苦労していると、つい最近まで指導現場の第一線にいただけに激励やヒントの与え方が上手い。答えを出さずに、答えに導くように持って行ってくれるので、学びがより深くなる。
そして、苦労してできた炊き上がった白米の味は格別だ。この日は雨のため、おかずは三科さんが絶品のものを用意してくれて、あっという間に1合が入った自分用の釜が空になった。
三科さんは幼い時から栄養士の免許を持っている惠美子さんの下、無農薬の自然食を豊富に食して育った。だからこそ「大きな怪我もしなかったですし、体は強いですよ」と感謝する。その恩返しの気持ちもあり、加えて20年身を置いてきた勝負の世界への未練も無いという。
「選手を辞める時も、指導者を辞める時も、どんな時も未練はありません。頑固なんだと思います。“自分が決めた道に後悔はありません”という強がり(笑)。私は、何が正解だったのかではなく選んだ選択肢を正解にしたいんです」
そんな前向きな姿勢に触れていると、こちらまで元気をもらう。三科さんは「会いに行ける金メダリストです」と、いたずらっぽく笑う。
「まだスタートしたばかりで、ゴールは見えていません。でも、1日1日を大切に生きて、関わってくれている人、支えてくれている人に感謝の気持ちを持って毎日過ごしていけることが大事なのかなって思います」
球場から畑へと活躍の場を移し、手に持つ物もバットから鎌や工具に持ち替えた。それでも、太陽の下と汗が似合う三科さんのハツラツとした姿は、金メダルを首にかけた12年前の夏から何ひとつ変わっていなかった。
三科さんの農業体験、キッチンカー、講演依頼などはこちら
文=高木遊
写真=川本真夢