【河内長野市】京都国立博物館ロビーでも紹介された、超マニアックで読み方も難しい、別久坂を登ってみた
ご存じの通り河内長野は山に近く、山から流れている川があちこちに谷を作っていて、そこに町があるため、やたらと坂があります。新興住宅地も山の上なので、そこに行くにも坂がありますね。
そんな風に、河内長野市内のあちこちに、当たり前のようにある坂。その中で、歴史的に有名、現在京都国立博物館の特別展で、河内長野の名所を紹介する際にも登場しているのが別久坂。読み方は「びっくざか」ですね。
それにしても、今回の観光案内の中でも非常にマニアック。せっかく紹介されたのだからと、改めて別久坂に登ってみました。
こちらが先日行ってきた京都国立博物館です。9月11日まで行われている特別展「河内長野の霊地 観心寺と金剛寺」の入口ロビーにある河内長野の歴史名所の紹介するコーナー。
せっかく河内長野の宝が博物館で紹介されているということで、河内長野にも来てもらおうと、いろんな歴史的な名所、スポットを紹介しているものです。
この中に別久坂が紹介されています。天野酒の西條合資会社さんや木造の旧店舗、あるいは酒蔵通りなどと一緒に、この小さな坂が紹介されているとは本当にマニアックだなと思ったものです。
河内長野には別久坂より凄い坂がいくらでもあるのではと思いつつも、やはりこうやって紹介されている以上、もう一度意識してみようということで、ある日別久坂に行ってみました。
別久坂の位置をおさらいしましょう。河内長野駅から続く高野街道で、最初に下りがあり天野酒さんのある酒蔵通りを抜け、石川に架かる旧西條橋を渡ると坂道になっております。
ただ別久坂として名前がついているのは、その坂を超えた国道371号線を超えてからの坂のようですが、あとで紹介する坂の名前が付いた経緯を考えると、前半の坂もその一部ではと個人的に思います。
酒蔵通りを抜けると石川に架かる「きうさいでうはし(旧西條橋)」があり、そこを渡ります。旧西條橋からは西條橋が見え、また左側には天野酒さんのホタル観賞スポットが見えます。
なおこの辺りは頻繁に行き来するため、上の画像のように冬の時期に撮影した画像がいくつかあります。もしかしたら今の時期では無いので少し違和感があるかもしれませんが、橋の様子がよりわかりやすい画像ということでこれを選びました。
旧西條橋から国道に向かう途中の坂道(別久坂の一部?)です。もしかしたらパネルで紹介されている別久坂より急な坂かもしれません。
国道371号線を渡ったところです。本現寺の看板が目立ちますが、その右横に「高野街道 別久坂」の看板があります。
別久坂は別名「ビックリ坂」、「別宮坂(べつぐうざか)」と呼ばれているのですが、その理由は、高野街道の坂が石川の水面のすぐ近くまで下ったと思ったら、橋を渡ってまた坂を上るしかなかったため、そう呼ばれていたということだそうです。
例えばこちらは河内長野の北側を流れる天野川(西除川)ですが、現在の技術なら赤丸で囲った高架のように、坂を降りることなく小さな川とその川沿いに広がる田畑ごと跨いで高台同士を結んでいます。
つまり川を渡る際の谷間の高低差を、高台同士に橋を架けることでなくそうとしています。
高野街道をメインの道として往来していた江戸以前の時代では、高台同士を結ぶような技術はなかったわけで、仕方なく谷底を流れる川を渡る際に坂を下り、渡り終えるとまた坂を上ります。そのことでびっくりしたというところからこの名前(ビック坂)が付いたようです。
そのほかに次のような説を見つけました。どちらもあり得そうですね。
- 石川源氏の一族の邸跡(別宮?)が近くにあった。
- 大阪から高野山に向かう旅人がこの辺りになると疲れて、脚が不自然に片足をかばうように坂を上った。
実際に上ってみました。やはり急角度の坂ですね。その昔は石川の川縁がさらに低下していたそうなので、もっと急な坂だったそうです。
別久坂の上から下の国道方向を眺めてみました。高野街道の一部ということもあって歴史に名前が残る別久坂。「住吉高野往来」という狂歌でも次のように出てきます。
また河内長野市郷土研究会の「高野街道―河内長野を中心にして―」という書籍には「びっくりしたかやびっく坂」という道中唄も紹介されています。
別久坂を特に意識して上るほどでもないですが、近くに来たときには、せっかくの機会なので歴史的な意義を確認しながら上がってみてもよさそうです。
※2022.8.22追記:国道371号線のところを誤って310号線と表記してしまいました。お詫びして訂正いたします。
別久坂
住所:大阪府河内長野市喜多町
アクセス:南海・近鉄河内長野駅から徒歩8分
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