最高裁国民審査の”傾向と対策”~「これだけ棄権」もできます
衆議院議員総選挙には、もれなく最高裁判所裁判官の国民審査がついてくる。
より正確に言うと、日本国憲法が施行されて最初の総選挙が1949年1月23日に行われて以降、ただ1回の例外を除いて、毎回国民審査が行われてきた。例外とは、いわゆる「バカヤロー解散」で行われた1953年4月19日の第26回総選挙。なにしろ前回(1952年10月1日)から半年しか経っておらず、審査の対象にすべき、新たに任命された裁判官がいなかったのだろう。
今回の第48回総選挙でも、7人の最高裁裁判官の国民審査がある。
最近はマスメディアでも、選挙直前になると「国民審査とは何か」という解説がなされる。その際、制度の問題点も語られることもある。けれども、選挙が終わればすべて忘れられる。そして次の選挙でまた……。この繰り返しだ。
なにしろ最高裁の裁判官は、一般の人たちの日々の生活には接点がない。ほかに議論すべき事柄は多く、何年かに一度のある国民審査の制度改善が、日常の話題にならないのは仕方がないのかもしれないが……。
というわけで、問題はずっと放置され、相変わらず国民審査はわかりにくい。
そこで、ここでは
(1)国民審査のやり方
(2)制度の問題点
(3)今回の国民審査の対象となる裁判官について
(4)よく分からない時はどうしたらいいか
の順で私見を述べる。
「時間がない。とりあえず今回はどうしたらいいか、だけを知りたい」「詳しい説明はいらない。早く結論を言え」というせっかちな方は、最後の2行に飛んでいただければよい。
(1)国民審査はどうやるのか
総選挙の投票に行くと、まず小選挙区の投票用紙を渡され、意中の候補者の名前を書いて投票する。
続いて、比例代表と国民審査の用紙を渡される。投票用紙には推したい政党の名前を書く。一方、国民審査の用紙には、審査対象の裁判官の名前(今回は7人)がずらっと書いてあり、その上に空欄がある。辞めさせたい裁判官がいる場合は、その人の名前の上の空欄に×をつける。
「この人はいい裁判官だ」と思っても、◯をつけてはいけない。×以外の記載をすると、すべて無効になってしまう。前回の国民審査でも、全体の3.78%にあたる、199万6478の無効票があった。
小選挙区と比例代表の衆議院議員の選挙だけ投票し、国民審査だけを棄権することもできる。前回は、比例代表の投票を行った人のうち国民審査を行っていない人が3.51%(192万1909人)いた。前回まで、国民審査の告示が投票日の7日前で、それまで国民審査の期日外投票ができなかったことが最大の原因だろうが、それ以外に国民審査のみを棄権した人もいたと思われる。
(2)制度の問題あれこれ
a. 分かりにくい
それぞれの裁判官がどういう仕事をしてきたのかなど、よく知らない人の方が多いだろう。投票日前に、裁判官の経歴や関与した主な裁判を記した審査公報が届くが、これを読んで理解できるのは、法律家や法学者、その他裁判に関係する仕事をしている人くらいではないか。
政治家は、有権者に自分の名前を書いてもらいたいので、できるだけ分かる言葉で、理解しやすい説明に努める。一方、裁判官たちは、一般の人々に自分の仕事を知ってもらい、適切に判断して欲しいという動機に乏しい。
最高裁も全く情報発信していないわけではない。最高裁の裁判官紹介ホームページから、知りたい裁判官のページに飛べば、顔写真や略歴、心構えや愛読書、趣味などが書いてある。そこから年ごとに関与した主な判決をチェックし、さらにそれぞれの事件の判決文を呼び出して読めば、当該裁判官の意見は分かる。ただし、ものすごく手間のかかる作業だ。「手間と時間をかけても知りたい人は、ご自由にどうぞ」というのが、国民の情報アクセスについての最高裁の基本姿勢。控えめに言っても、実に不親切な対応である。
b. 「分からない」が信任扱いに
国民審査で、用紙に×をつける人は少ない。何も書かずにそのまま投票箱に入れるという人がほとんどだろう。前回の国民審査では、もっとも多かった裁判官でも、×は9.57%だった。
過去に、労働組合などに「反動裁判官」と批判され、罷免運動が起きた裁判官でも、×率は最高で15.17%。これまで、国民審査によって罷免された裁判官はいない。
何も書かずに、そのまま投票した人たちは、果たして、それぞれの裁判官を信任したのだろうか。それとも、よく分からないから、そのまま投票したのだろうか。
おそらく後者が圧倒的だろう。
しかし、分からないからといって白票を投じれば、それは「罷免を希望しない=信任」として扱われる。
日常の生活で、私たちは軽々に白紙委任状など出さない。けれども、国民の多くがよく分からないまま、白紙委任状を出さされているのが、今の国民審査だ。これはおかしいのではないか。
私たちの日常の暮らしからは遠い存在の最高裁裁判官だが、実は私たち国民の権利やこの国の仕組み・制度について、最終的な司法判断をし、制度の変更を求める絶大な権限を持つ。最高裁が「違憲」と判断したことで、女性の再婚禁止期間を定めた民法の規定は是正され、一方、最高裁が「違憲」判断を出さない夫婦同姓の規程は見直されず、選択的夫婦別姓は未だ実現しない。最高裁の判決によって、認知症の家族が電車の線路に立ち入った事故で鉄道会社から求められた多額な損害賠償を払わなくてもよくなったり、あるいは結婚していない男女の間に生まれた非嫡出子の相続が嫡出子と同等になったり、「1票の重み」の格差が開きすぎた選挙制度の是正が促されたりする。
こうした重大な権限を持つ人の審査にあたっては、分からないから白紙委任、というのではなく、せめて「信任する」のか「分からない」のかは、はっきりさせて欲しい。たとえば、今のように罷免したい者に×をつけるだけではなく、信任したい者に◯をつけるようにする。そうすれば、空欄は「分からない」という意思表示だとはっきりし、国民のどれだけが裁判官を信任したのかも分かる。
最高裁の仕事が、国民にどの程度伝わっているかの指標にもなるだろう。
国は、裁判員裁判制度で、国民の司法への参加を求めている。その司法のありように対して、国民が唯一意見を表示できる機会である国民審査を、国民が理解しやすい制度にするのは当然ではないだろうか。
c. 個別的棄権ができない
先ほど、議員選挙だけ投票して、国民審査を棄権できることは述べた。しかし、一枚の用紙に対象裁判官の名前が全部書いてあるので、自分が分かる人についてのみ判断し、分からない人については棄権したいという、個別的棄権はできない。これも、前述のように、信任は◯、罷免したい場合は×、分からなければ空欄のまま、というふうにすれば解決するのだが。
d. 任命されてまもない裁判官は判断材料が少ない
憲法では、最高裁裁判官は任命後初めて行われる総選挙の際に国民の審査を受け、その後十年を経過した後に最初の総選挙の時に改めて審査を受ける、ということになっている。
実際には、最高裁裁判官に任命される人は60歳以上で、70歳が定年なので、国民審査を受けるのは1回だけだ。
今回の審査対象となる7裁判官のうち、最も新しい林景一裁判官は今年4月10日の任命なので、関わった事件も少ない。最高裁のホームページの「関与した主要な裁判」の欄に掲載されているのは、厚木基地爆音訴訟など、今年9月に出された判決・決定が4件だけだ。
これで、どう判断したらいいのだろう。
そして、この林裁判官も66歳なので、国民審査を受けるのは今回限りである。
総選挙のたびに、全裁判官の国民審査を行うようにすれば、今回は判断材料が少ない裁判官も、次回にもう一度審査し直せる。ただし、そのような制度変更のためには、憲法を改正する必要がある。
改善された点も
前回に比べ改善された点もある。かつては、国民審査の期日前投票が始まるのは「投票日の7日前」だった。一方総選挙は公示翌日から期日前投票が開始されるため、早い時期に投票に出向いた人は、国民審査に参加できなかった。それが、今回からは総選挙の公示と同じ日に国民審査も告示され、その翌日から期日前投票ができるようになった。
こうした改善は大いに是としたい。
(3)今回の国民審査の対象となる裁判官について
今回の審査対象の裁判官たちの特徴を一言でいえば、特徴がないこと、かもしれない。メディアでも大きく報じられる事件でも、今回の7人はおおむね多数意見に与するか、全員一致の判決で、目を引く個別意見も少ない。非常に保守的で手堅く、なにより国家の安定を重んじるタイプ、といった印象だ。
〈判決は多数意見か全員一致〉
たとえば、2015年12月に「姓の変更を強制されない権利」を求めた夫婦別姓訴訟で、大法廷判決は夫婦同姓を決めた民法の規定を合憲とし、別姓を認めなかった。全15人の裁判官のうち、女性の全3裁判官を含む5人が民法規程を違憲とする個別意見を書いたが、今回の審査対象の小池裕、大谷直人両裁判官は多数意見に与した。
ちなみに大法廷は、憲法判断や判例変更などを伴う重要事件の審理を行う。最高裁の裁判官15人全員による合議体で、最高裁長官が裁判官となる。
同じく大法廷で、裁判所の令状なしに捜査対象者の車にGPS端末を取り付ける捜査は違法だとの初判断(今年3月15日)には、審査対象の5人の裁判官が関わっているが、これは全員一致の判決。
「1票の格差」が最大2.13倍だった2014年12月の衆院選について、15年12月25日の大法廷判決は、「違憲状態」としたが選挙無効の請求は退けた。3人が「違憲」とする反対意見で、「合憲」とした裁判官の中にも制度の改善を求める意見をつけた者もいたが、今回の審査対象者の小池、大谷両裁判官は、いずれも多数意見で、補足意見も書いていない。
〈「森友」データ保全”三行半”で退ける〉
最高裁では、5人の裁判官が3つの小法廷を構成している。今回、審査対象となっている裁判官のうち、4人が第一小法廷に属する。
第一小法廷が担当した著名事件の一つに、厚木基地周辺の住民が自衛隊機などの飛行差し止めと損害賠償を求めた「第4次厚木基地騒音訴訟」がある。16年12月8日の判決は、自衛隊機の夜間・早朝の飛行禁止を命じた2審判決を破棄し、住民側の差し止め請求を棄却。さらに、やはり東京高裁が認めていた2審が同月末までの将来分の損害賠償を認めた部分も破棄し、住民側の逆転敗訴とした。一度は住民の前に開かれた道に、最高裁がぴしゃりと扉を閉めた形である。これに小池、大谷、木澤克之の3裁判官が関わっているか、この判断は5人の裁判官が全員一致だった。
また、「森友学園」への国有地売却に絡み、情報公開の推進を求める活動を行っているNPO法人が、財務省が廃棄したとする交渉記録について「電子データから復元できる可能性がある」として、財務省と近畿財務局が持つ関連電子データの証拠保全を求めたのに対し、第一小法廷は、請求を棄却する決定をした。これも全員一致。審査対象の小池、山口厚、大谷、木澤の4裁判官が全員関わっている。
この件に関しては、せめて官庁の記録の保存のあり方について、最高裁が何らかの指針を示すなり、注文をつけるなり、多少のコメントをするのではないかと期待されていたが、「(NPO側は)単なる法令違反を言うものであって、特別抗告の事由に該当しない」とだけ言って門戸を閉じる、事務的で定型的な”三行半”決定だった。
〈「1票の格差」合憲をためらった林裁判官〉
そんな中で目を引くのは、第3小法廷の林景一裁判官。「1票の格差」が最大3.08倍だった昨年7月の参院選挙について、大法廷判決は「合憲」とした。4人の裁判官が個別意見を書いているが、その中で今回の審査対象は林裁判官ただ1人。「投票価値の平等…の追求は、民主主義の国際標準であり、国際的潮流である」とし、「多数意見のように違憲状態を脱したとまでの評価を明言することにはためらいがある」と、控えめな表現ながらも、合憲判断に異を唱えた。林氏は、英国大使などを経験した外交官出身。意見の中にも、その国際的な視点が見てとれるが、前述のように任命されて間もなく、評価材料は少ない。
〈裁判官というより司法官僚〉
今回の審査対象7人のうち、4人が職業裁判官の出身。地裁や高裁で、どういう事件でどのような判断をしたのかを知ろうと、新聞のデータベース検索をしたが、小池、戸倉、大谷の3氏はほとんど事例がみつからない。法廷で様々な事件の審理を担当し、時に著名事件でメディアの注目の中で判断をする……という、私たちがイメージしがちな裁判官像とはかなり違う。経歴を見ると、最高裁事務総局など、裁判ではなく司法行政に携わっている期間もかなりある。
とりわけ大谷裁判官は、東大在学中に司法試験に合格し、初任地は東京地裁で、若い時に富山地裁に転出した以外、最高裁判事に任命される前に大阪高裁所長となるまで、一度も東京高裁管内から出たことがない超エリート。任官から約40年、裁判の現場にいたのは10年足らずで、後は最高裁事務総局の秘書課長や人事課長を歴任した。裁判官というより司法官僚と言っていいだろう。次の最高裁長官候補とも見られている。
〈最高裁で逆転無罪〉
職業裁判官出身者の中では、菅野博之氏がもっとも長く現場の裁判に携わってきた。新聞データベースで検索しても、担当した事件がたくさんヒットする。東京地裁の裁判長時代には、難民認定や不法滞在外国人の残留許可を巡る裁判にいくつか関わった。「在留特別許可」を求めたが強制退去処分となったフィリピン人一家6人の訴えに対して、高校1年の長女のみの処分を取り消し、残る5人は訴えを認めない判決を出したほか、難民認定に関してクルド人の請求を認めず、アフガニスタン人、ミャンマー人の請求を認める判決を出した。そのほか、「首都圏中央連絡自動車道」(圏央道)の建設で環境が破壊されるとして住民らが国交相による事業認定取り消しを求めた訴訟では、住民側の請求を退けた。
菅野裁判官が属する第2小法廷は、今年3月10日、窃盗罪に問われ無実を訴えていた中国放送の元アナウンサーの事件で、一審、控訴審の有罪判決を破棄して、逆転無罪とする判決を出している。原判決を「客観的事情を無視あるいは不当に軽視した…不合理なもの」と厳しく批判した。菅野裁判官を含む4人の裁判官による多数意見で、検察官出身の1人だけが反対意見を書いている。
一審、二審で有罪になった事件が最高裁で破棄され、無罪が自判されたケースとしては、旧・日本長期信用銀行の旧経営陣3人が粉飾決算を行っていた責任を問われた長銀事件などの例があるが、極めて珍しい。
〈任命の経緯で波紋も〉
任命の経緯が話題になったのは、山口厚裁判官。著名な刑法学者で元東大法学部長。司法試験委員会委員長や法制審議会委員なども務めた。山口氏は、今年3月30日に定年を迎えた大橋正春判事の後任として任命された。大橋氏は弁護士出身。日本弁護士連合会は、弁護士の中から後任者の推薦名簿を最高裁判所裁判官推薦諮問委員会に提出した。その中から選ばれるのが、これまでの慣例。山口氏は昨年8月に東京第一弁護士会に登録したばかりであり、日弁連の推薦名簿に名前は入っていなかった。ところが、その山口氏が任命された。
これまで最高裁裁判官には不文律の出身別枠組みが存在し、おおむね裁判官出身が6人、弁護士出身4人、検察出身2人、行政出身2人、学者出身が1人となっていた。本籍が学者の山口氏が弁護士枠の大橋氏の後任となることで、弁護士枠が減らされたことになり、波紋を呼んだ。
最高裁裁判官の任命権は内閣にある。内閣法制局長人事など、人事において「官邸主導」を印象づけてきた現政権が、最高裁人事においてもその意向を反映させたのか、との憶測が飛び交うが、真相は今なお判然としない。
また、弁護士出身の木澤克之裁判官は、獣医学部新設に向けてのプロセスの透明性と公平性が問題となっている加計学園理事長の加計孝太郎氏と立教大学の同窓で、同学園監事を務めていたことから、「異例の人事」などと話題になっている。ただ、木澤氏は日弁連の推薦名簿に名前が入っており、「異例」というわけではない。
(4)よく分からない時はどうしたらいいか
公報や最高裁HPの情報は分かりにくいが、最近は、新聞やネットでも最高裁裁判官の国民審査を特集した記事が掲載されることもある。たとえば朝日新聞が対象裁判官にアンケートを行い、、Yahoo!みんなの政治でも国民審査の対象となる裁判官の情報をまとめて提供している。できるだけ情報を収集するなどの準備をして、判断するのが望ましい。
ただ、それでも分からない場合はどうするか。
これまで私は、そういう場合には、白紙委任状を出すことはできないという意思表示に、「全員に×をつける」ことをお勧めしてきた。
しかし、「罷免すべき×をつけるのは気が引ける」「全員に×をつけるのは疲れる」という人も少なくないように思う。そういう場合には、国民審査のみ棄権をする、というやり方もある。
国民審査の用紙は、比例区の投票用紙と一緒に渡されるが、その時に「国民審査は結構です」と言って用紙を受け取らない。あるいは、うっかり受け取ってしまった場合は、比例区の投票をした後、「国民審査は棄権しますから」と返却すればよい。
国民審査のみ棄権するという選択は、決して後ろめたいことでも、恥ずかしいことでもない。恥ずかしいのは、このような制度をいつまでも放置している側である。
投票所の係員は、くれぐれも「分からなかったら、そのまま入れておいて下さい」などと言わないこと。公務員が、「分からない」という人に、白紙委任状を投じるように仕向けたりするなど、もってのほかである。「国民審査は分からない」という有権者がいたら、ぜひ「国民審査だけ棄権することもできますよ」と親切に教えてあげて欲しい。
そうして多くの人が国民審査のみを棄権すれば、結果として国民審査の投票率が激減することになり、そうなって初めて制度のあり方についての議論も始まるのではないか。
というわけで、結論。
1)最高裁裁判官の国民審査に関心を持って、できるだけ情報収集をしよう
2)それでも分からなければ、全員に×をつけるか、国民審査のみを棄権しよう