月曜ジャズ通信 ヴォーカル総集編vol.2
ヴォーカル総集編の2回目です。
前回は“女性ジャズ・ヴォーカルの代名詞”であるビリー・ホリディと、“(旧)御三家”の大御所3人をまとめてみました。
今回は、1980年代後半のモダン・ジャズ・リバイバルのなかで登場した(新)御三家をまとめます。
♪ラインナップ
ダイアン・シューア
ダイアン・リーヴス
カサンドラ・ウィルソン
執筆後記:ノラ・ジョーンズ
※<月曜ジャズ通信>アップ以降にリンク切れなどで読み込めなくなった動画は差し替えるようにしています。
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♪ダイアン・シューア
“エラ・サラ・カーメン”が“元祖”女性ジャズ・ヴォーカル御三家だとすれば、“新”御三家と呼ばれたのがダイアン・シューアを含めた1980年代後半に注目を浴びた3人の歌姫たちです。
ポピュラー音楽シーンにおけるジャズの存在感は1970年以降のロック・ムーヴメントによって薄れていくことになりましたが、1980年代中盤に老舗レーベルの復興などで1950〜60年代のジャズへの再評価が活発になると、ジャズ・ヴォーカルにも注目が集まるようになります。
1953年に米ワシントン州タコマで生まれたダイアン・シューアは、生まれながらにして目が不自由だったそうです。幼いころから音楽に興味をもって歌とピアノを習い、やがて教会の聖歌隊に入って歌うようになると、1970年代には西海岸で知られる存在に。1982年にスタン・ゲッツの推薦でホワイトハウスのジャズ・パーティで歌うことになり、これが関係者の目に留まってレコード・デビュー。1987年にグラミー賞を受賞しています。
♪Diane Schuur-The Very Thought Of You
デビュー当時のダイアン・シューアの映像。日本の斑尾高原で開催されたニュー・ポート・ジャズ・フェスティバルに出演したときのものです。YouTubeの概要には1984年となっていますが、調べてみるとダイアン・シューアが出演したのは1985年の第4回のときだったようです。また、Wikipediaでは「ディジー・ガレスピー & Diane Schuur」での出演となっていますが、この映像からもわかるようにダイアン・シューアはトリオで出演、ディジー・ガレスピーはジョン・ファディス・クインテットのゲストとしてのエントリーだったようです。
♪Diane Schuur- Lousiana Sunday Afternoon (live in Milan 07/13/2013)
ダイアン・シューアのご近影です。デビュー当時は貫禄があるなぁと思ったけれど、いまでは逆に若々しさを感じるパフォーマンスになっているのではないでしょうか。
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♪ダイアン・リーヴス
“新”御三家の2人目はダイアン・リーヴス。
1956年米ミシガン州デトロイトの音楽一家に生まれましたが、2歳のときに歌手だった父親が亡くなったため、コロラド州デンバーの祖母のもとで育てられました。
デンバーでも豊かな音楽的環境のなかにいた彼女は、大学の途中でロサンゼルスに移り、歌手としての活動を始めます。1980年代前半は、ビリー・チャイルズとの共演などジャズ的な活動もあったものの、大部分はいわゆるポピュラー・シンガーという括りのなかのものでしたが、それを一変させたのが1987年。
復活の狼煙を上げた老舗ジャズ・レーベル“ブルーノート”との契約を機に、ジャズ・ヴォーカル界に新風を吹き込む話題作を次々に発表したのです。
日本にもジャズ・デビュー直後に来日し(プロモーションおよび第2回マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル)、その超絶的な歌唱テクニックと自由奔放な表現力で観衆を魅了しました。
今世紀に入ってからも、2002年にソルトレイクシティで行なわれた冬季オリンピックの閉会式に登場したり、2005年の映画「グッド・ナイト・アンド・グッド・ラック」(監督:ジョージ・クルーニー、日本公開は2006年)にジャズ・シンガー役で出演したりとパワフルな活動を続けており、新作『ビューティフル・ライフ』を引っさげて来日し、さらに磨き上げられた円熟の歌声を披露してくれたことは記憶に新しいところです。
♪That's All- Dianne Reeves
1987年のマウント・フジ・ジャズ・フェスティバルでのステージです。いま見ても圧倒されるステージングですね。
♪Dianne Reeves- Beautiful Life
最新作『ビューティフル・ライフ』の宣伝用トレイラー。ダイアン・リーヴス自身のコメントと、豪華なゲスト・ミュージシャンの紹介などを収録した短い動画です。2013年に亡くなった彼女の従兄弟にあたるジョージ・デュークの映像もあり、感慨もひとしおです。
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♪カサンドラ・ウィルソン
“新”御三家の最後に控えしは、カサンドラ・ウィルソン。
1955年米ミシシッピ州ジャクソン生まれで、6歳からピアノを、12歳からギターを習い始めました。ロバート・ジョンソンやジョニ・ミッチェルがレパートリーだったとか。
ヴォーカリストとして働き始めたのは1970年代半ばごろで、1980年代初頭にニューヨークへ進出(つまり20代後半にさしかかったころ)。そこでスティーヴ・コールマンに出逢い、Mベース・コレクティヴのメンバーになります。
スティーヴ・コールマンは1956年生まれのサックス奏者。Mベースとは、彼が提唱した音楽理論で、1980年代のストリート系と呼ばれた音楽要素と連携しながら高度に発展させようとしたユニークなアプローチが注目を浴びました。カサンドラの歌唱スタイルにこのMベース理論があることは要チェックです。
話をカサンドラ・ウィルソンに戻すと、Mベース仲間の協力でファースト・アルバム『ポイント・オブ・ヴュー』を1985年に制作。1993年には老舗レーベルのブルーノートに移籍し、グラミー賞最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞を2度受賞しています。
♪Until- Cassandra Wilson
1996年リリースでグラミー賞受賞作『ニュー・ムーン・ドーター』収録の「アンティル」のミュージック・ヴィデオです。カサンドラ本人と、俳優のイザック・ド・バンコレが出演しているクールな映像、かっこいいです。
♪Cassandra Wilson Performs'Another Country'
2012年リリース『アナザー・カントリー』収録のタイトル曲を歌っているテレビ番組。彼女はMベースに則った先鋭的なアプローチでヴォーカル界に新風を吹き込んだ後、1990年代に入るとジャズのスタンダードやカントリー、フォーク、ブルースなど自身の音楽的なルーツを再訪するようなボーダレスな活動を展開するようになりました。新作でもその傾向が前面に出ているようです。
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執筆後記
ヴォーカル総集編のvol.1とvol.2で、新旧の御三家を比べられるようになります。
とはいっても、前書きでも述べたように、(新)御三家は(旧)御三家を擁したモダン・ジャズ・ムーヴメントのリバイバルのなかで評価されているので、同じ系列に属していると言ってもいいかもしれません。
ただ、お気づきのように、(旧)御三家がアフリカン・アメリカンであったのに対して、(新)御三家には非アフリカン・アメリカンのヴォーカリストが入ってきました。
一般的にモダン・ジャズと呼ばれるスタイルは、アフリカン・アメリカンによる音楽であることが狭義の暗黙の了解であったため、“ハリウッド・スタイル”と称されていたホワイト・アングロサクソン系のいわゆる“金髪ヴォーカリスト”たちがマーケット的には主流であったにもかかわらず、(旧)御三家を重視する傾向がありました。
こうした傾向は、ジャズがヘイト・ミュージック(Hate Music)から発生したものであることを強調する1950年代以降に強くなります。そう、キング牧師の活動などで知られる黒人公民権運動が背景にあり、そこに人気のポピュラー音楽であったジャズが利用されたというわけです。
さて、現在の歌姫といえば、ノラ・ジョーンズの名前を挙げる人も多いのではないでしょうか。
ちなみに彼女の母親はアメリカ人、父親はインド人です。
ジャズがアフリカン・アメリカンにとって重要な音楽であることには変わりありませんが、彼女の存在そのものがジャズの開かれた社会性を示しているようで、興味深くなります。
♪Norah Jones- Summertime
ノラ・ジョーンズが歌うジャズ・スタンダードは、新旧の御三家とはニュアンスが違うと思いませんか?
彼女は新旧の御三家をリスペクトしていると公言していますので、聴き込んでいるにちがいないのですが、ほかの1980年代以降のポップスも並行してたっぷりと耳にしているはず。
そんなところも注意してヴォーカルを聴くようにすると、ジャズ・ヴォーカルって意外に流行の先端を意識していたいすることに気付くことができるんじゃないでしょうか。
富澤えいちのジャズブログ⇒http://jazz.e10330.com/