渡部建を「セックス依存症」と指摘する無責任さ 依存症の専門家として覚える違和感
渡部建さんの不倫問題
渡部建さんの不倫問題が「文春砲」の標的になってから,もう1週間が過ぎました。世間は相変わらずこの話題で持ちきりです。
不倫相手が複数であったこと,その性行為が眉をひそめるようなものであったことなどが微に入り細に入り報じられ続けています。それらの行為がこれまでの渡部さんのイメージとはかけ離れたものであったことや,妻もまた有名人であったことなど,大騒ぎとなる要素がたくさんあるのでしょう。
そしてここ数日,何人もの人がメディアで渡部さんの行動を指して「セックス依存症」だと論評しています。
セックス依存症なのか
ジャーナリストの木村太郎さんは,ワイドショーのなかで「この人を知らないし,芸能界もよく知らないけど,伝えられていることを聞くと,この人病気じゃないかなと思う」「セックス依存症,セックス・アディクション・シンドローム,それあると思います」などと述べています。同様に,タレントのテリー伊藤さんは「これって普通に考えるとセックス依存症ですよね」と述べています。
さらに,「日刊ゲンダイ」では「『セックス依存症』を専門家が指摘」という見出しの記事で,家族問題評論家なる肩書の池内ひろ美さんという人が「セックス依存症的傾向が非常に強い」と断じています。そして,「このタイプの男性の特徴は,射精さえすれば用はないという考えなので,女性に対しもろもろの侮辱的な行為をするのです」「このまま夫婦関係を続けるとしたら,浮気を繰り返すので,セックス依存症治療に(妻も)協力する必要があるでしょう」などと長々と,さも見てきたようなことを自信たっぷりに述べているのには,驚きを通り越してあきれるほかありません。
セックス依存症とは
ところで,現時点で「セックス依存症」なる病名は存在しません。まずこれが重要な事実です。類似の疾患として挙げられるのは,「強迫的性行動症」という病気です。これは,WHOが昨年公式に認定した新しい概念です。その症状には,以下のようなものがあります。
・強烈かつ反復的な性的衝動または渇望の制御の失敗
・反復的な性行動が生活の中心となり,他の関心,活動,責任が疎かになっている
・性行動の反復を減らす努力がたびたび失敗に終わっている
・望ましくない結果が生じているにもかかわらず,またそこから満足が得られていないにもかかわらず,性行動を継続している
・この状態が,少なくとも6か月以上の期間にわたって継続している
・重大な苦悩,および個人,家族,社会,教育,職業,および他の重要な領域での機能に重大な問題が生じている
強迫的性行動症は,依存症であるとは認められていません。まだ研究が不十分だからです。私も臨床場面や研究の際に「性依存症」「性的アディクション」という用語を用いることはありますが,その際は必ず注釈をつけて用いています。また,ことさらセンセーショナルな「セックス依存症」という用語は用いないように気を付けています。
そして,もちろん渡部さんがこれにあてはまるかどうかはわかりません。安易なレッテル貼りは禁物です。ただ,この機会に世の中にはこういう病気があると知っておくことは,この病気で苦しんでいる人々もいるという理解にもつながり,大切なことであると思います。
何が問題か
素人のタレントが面白半分に,「セックス依存症」などと揶揄するのは困ったものですが,「専門家」を名乗り大学の教授もしている人が,このようなありもしないセンセーショナルな病名を用いて,「射精すれば用はない」「もろもろの侮辱的行為をする」「このあとも浮気を繰り返す」などと決めつけるのはさらにタチが悪いと言えます。しかも,その内容はまったく専門的でも科学的でもないデタラメで,憶測による単なる人格攻撃にすぎません。
何かニュースになる話題があると,それに便乗して無責任なことを平気で放言する「専門家」が出てくるのは本当に問題です。そして,それをありがたがって取り上げるメディアも同罪だと言えるでしょう。
今はネットで何でも調べられる時代です。その「専門家」がどういう学会に所属しているのか,論文をきちんと書いているのかくらい,調べればすぐにわかることです。
この場合,書籍ではいけません。きちんと他の専門家が査読して,それをパスしたうえで学術誌に掲載された論文を書いているかどうかが,真の専門家かどうかを見きわめる最低限の目安です。
また,仮に本当の専門家だったとしても,会ったこともない人のことをあれこれと「診断」するのは,倫理的な基準にも抵触します。渡部さんの行動は,たしかに褒められたものではありません。しかし,その行動を厳しく非難する際に,「専門家」を隠れ蓑にしてデタラメな論評を加えることもまた,非難に値する言動だと言えるのではないでしょうか。
そしてわれわれ自身も,こうした無責任でデタラメな論評を真に受けて惑わされないように,十分に気を付ける必要があるでしょう。