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未来のためにジョセフHCを解任しよう! 日本ラグビーは広島カープ初優勝に学べ!~後編~

永田洋光スポーツライター
チーフス戦で独走トライを挙げたホセア・サウマキ。彼の力をどう生かすのか?(写真:アフロスポーツ)

コーチ解任は感情論ではなくビジネスライクな話だ!

 日本代表ヘッドコーチ(HC)を解任した方がいいのではないか。

 そう書くと、“人格攻撃”みたいに受け取られるかもしれないが、私の本意は違う。

 たとえて言えば、こういうことだ。

 ――ある企業が社運をかけた一大プロジェクトに挑むことになった。そのために優秀なマネジャーを招き、彼のもとに選りすぐりの人材を集めて、第一段階では予想外の好結果を出した。しかし、このマネジャーは企業風土になかなか馴染まず、ときに外部に向かって企業体質を批判したり、集めた人材を鍛え上げはしたが人使いが荒く、ワンマンなやり方でチームに軋轢も生じた。好結果が出てほどなくマネジャーは自ら企業を去り、企業は大慌てで後任を探した。

 しかし、前任者の評価が高かっただけに後任選びは難航し、なんとか1年近いブランクを経て新しいマネジャーが決定。経営サイドは「前任者の遺産を継承すること」を求めたが、実際に新しいマネジャーが仕事を始めると、前任者が築いた遺産は顧みられず、自身の経験論を強引に当てはめようとするばかりで業績は伸びなかった。

 就任に際してマネジャーには事業統括責任者という大きな権限まで与えられたが、同時並行的に推進しなければならない複数のプロジェクトがあって、そこでもなかなか結果を出せずにいる。大きな失敗はしないが、大成功もなく、しかも集めた人材が多過ぎて、最終目標とするプロジェクトを担うチームの絞り込みも進んでいない。成功を義務づけられた最終プロジェクトの刻限まであと18か月を切った今、これでは成功に間に合うかどうか怪しい雲行きになりつつある――

 さて、企業はこのマネジャーをどうするだろうか。

 おわかりの通り、ワンマンな前任者はエディー・ジョーンズを、大きな権限を与えられた現マネジャーはジェイミー・ジョセフを、それぞれ指す。一大プロジェクトは、もちろん来年のラグビーW杯で日本代表がベスト8以上の成績を残すことだ。

 ラグビーの話として考えるとサポーターの多くは「解任」を非常にネガティブなニュアンスで受け取るが、こうして企業の話に置き換えれば、物事はもっと淡々と考えられる。あなたの会社でこんな事態が生じれば上へ下への大騒ぎになるだろうし、大きなミッションを託されて契約を結んだプロフェッショナルが、ミッションを達成できそうになければ企業が解雇するのは当然のこと。これは別にエモーショナル(感情的)な話ではなく、ビジネスライクな話だ。

 もちろん、現実問題として後任をどうするか――という難問があるから、なかなか解任という決断が下せないのだろう。

 しかし、決断をずるずると引き延ばして現状維持を選択した結果、W杯が惨敗に終わったとき、いったい誰が責任を取るのか。

 19年W杯がそこそこ盛り上がり、海外から「いい大会だった」と評価されたはいいが、肝心の日本代表がベスト8進出を逃して、やがて競技人口が減少し、試合会場に閑古鳥が鳴き、一般のスポーツファンに「ラグビー? そう言えば、五郎丸歩という変わった名前の選手がいて一時はブームになったけど……」と言われるようになる。そのときになって誰かが責任を取ったとしても、事態の好転は望めない。

 だからこそ、今、勝利の可能性を求めてあらゆる選択肢が検討されなければならないのだ。

ジョー・ルーツが広島カープを築いた方法論は“エディー流”の原型だった!?

 ということで、話は1975年の広島カープ(以下カープ)にいきなり飛ぶ。

 この年、カープは同球団史上初の外国人監督としてジョー・ルーツを迎えた。

 以下はNHK-BSプレミアムで27日に放送された『アナザーストーリーズ 運命の分岐点▽広島カープの奇跡~弱小球団 30年目の革命』に基づくエピソードだが、ラグビー日本代表を巡る歴史や現状に通じる部分が多いので、ここにいくつかご紹介しよう。

 監督就任と同時にルーツは、目標に「優勝」を掲げてチームを改革。手始めにチームカラーを赤に変えて「赤ヘル」を生み出した。春季キャンプでは選手たちに1日もオフを与えず、宿舎でのマージャン・飲酒の禁止、長髪禁止、門限厳守といった方針を打ち出した。

 これだけでエディー・ジョーンズ時代の日本代表を彷彿とさせるエピソードだが、選手たちにはミーティングで繰り返しこう説いた。

「可能性があれば失敗を恐れず挑戦せよ」

 そして、ラグビーで言うところのウィニング・カルチャーがなかったチームに、自ら執拗で激しい抗議を試合で見せ、戦う気持ちを鼓舞し続けた。けれども、選手たちは、ルーツが怖かったから従ったのではなかった。こんな言葉に、意気に感じたのだ。

「君たちには、勝って広島の町を明るくする責任がある」

 ルーツ自身が18歳でアメリカ海兵隊の兵士として南太平洋で日本との戦争に従軍。番組で紹介された長女の言葉を借りれば、「戦争がトラウマになっていた」。そんな男が50歳で赴任した広島は、母国のアメリカが45年8月6日に世界で初めて原子爆弾を投下した町だった。選手たちもまた広島で生まれ育った若者たちであり、ルーツの言葉が口先だけの檄ではないことを感じ取った。

 こうしてチームが動き出したところで、ルーツは4月27日、審判に猛抗議して退場を言い渡されながらグラウンドを去らず、球団代表が説得する事件を引き起こした。この事態にルーツはさらに激高。「監督の地位が踏みにじられた」として30日に退団した。

 まるでラグビー界が15年W杯前後に経験したのと同じような騒ぎが持ち上がったわけだが、その後の対応が違った。

 “貧乏球団”と呼ばれていたカープに新しい外国人監督を呼ぶ余裕はなく、ペナントレース中だったこともあって、当時39歳の古葉竹識が監督に昇格。そのまま指揮を執った。後知恵で言えば、これでチームの継続性が保たれ、選手の混乱が最小限に抑えられた。しかも古葉は、73年に南海ホークスでコーチとして優勝を経験。ルーツに対しても、辞書を片手に積極的に話してそのエッセンスをどん欲に吸収した。うってつけの人材がチームにいたのだ。

どういうチームを作るか明確に描くのが指揮官の仕事

 番組を見ていて非常に興味深かったのは、ルーツがカープの選手たちの実力を高く評価していたことだった。

 この年、優勝を決めた読売ジャイアンツ戦で試合を決定づける3ランホームランを放つなど活躍したゲイル・ホプキンスは、前年在籍したロサンゼルス・ドジャースでワールドシリーズに出場。そこで引退を決めていたが、ルーツにこう説得されたと証言している。

「広島はいつも最下位争いをしているチームだけど、実は最高の選手がそろっている。自信さえ持てば、黄金時代も築けるだろう。だから、手伝って欲しい」

 そして、ルーツからホームランが求められると、自ら打撃フォームを改造して一発を狙った。

 このエピソードを聞けば、ラグビーファンの脳裏には、エディー・ジョーンズ体制のW杯で、南アフリカ戦の終了数分前に投入されたカーン・ヘスケスが、劇的な逆転トライを奪った場面が思い浮かぶだろう。あるいは、獅子奮迅の活躍を見せて最後にヘスケスへパスを通したアマナキ・レレイ・マフィの姿がダブる。

 彼らは自らが持つ高い能力を発揮したわけだが、指揮官が緻密にプログラムを組み上げ、細かく役割を規定したからこそ、土壇場で力を最大限に発揮できた。その前提にあるのは、自チームの戦力を冷静に見極めた指揮官の眼力だ。

 翻って今のサンウルブズや日本代表を見れば、強い選手を1人でも多く並べたいというコンセプトは感じられるものの、誰にどういう役割を担わせてどうゲームを作り、インパクト・プレーヤーをどこで投入するかというプログラムがあまり感じられない。強いランナーを揃えたバックスラインはお世辞にもパスが上手いとは言えず、キックを使えば連携の悪さからしばしばピンチを招く。

 象徴的なのは、24日のチーフス戦後半2分のホセア・サウマキのトライだ。

 サウマキは、左タッチライン際で3対2の数的優位を作り出したところでパスをせずに強引に突進。持ち前の強さで相手をはね飛ばして独走トライに結びつけた。秩父宮ラグビー場の観客は溜飲を下げたが、数的優位を作り出したところでボールを持つ選手が毎回相手にコンタクトしていては、チームに進化はない。そうではなく、サウマキの強さを僅差の終盤に最大限に活かせるようなゲームメイクと、それを可能にするチーム編成が、W杯で勝つためには求められている。

 75年のカープを例に引くまでもなく、勝利に必要なものは指揮官がどういうチームを作るのか、青写真を明確に描くことだ。設計図のないところに建物は建たず、工程表がなければステップアップのための土台も築けない。

 W杯まで18か月を切った今、残された時間は本当に少ない。それでもW杯8強の夢を追うのであれば、自らの経験論に頼るHCを更迭して挙国一致でコーチングスタッフを編成することだ。

 サンウルブズには、田邉淳、長谷川慎と2人の日本人コーチがいる。日本代表候補たちを集めたナショナル・デベロップメント・スコッド(NDS)を率いているのは、堀川隆延、大久保直弥、相馬朋和といったトップリーグのコーチたち。

 ルーツ退団後の古葉竹識になり得る人材はいくらでもいるのだ。

 彼らにW杯で戦う日本のラグビーはどうあるべきかを語らせ、そこから新しいHCを選ぶこと。それが、サポーターへの何よりのメッセージになる。ファンが今求めているのは、サポートする気持ちをかき立ててくれる物語なのである。

 早く日本代表の新しい物語を!

 これが、日本ラグビーの閉塞状況を救う、究極の一手だ。

スポーツライター

1957年生まれ。出版社勤務を経てフリーランスとなった88年度に神戸製鋼が初優勝し、そのまま現在までラグビーについて書き続けている。93年から恩師に頼まれて江戸川大学ラグビー部コーチを引き受け、廃部となるまで指導した。最新刊は『明治大学ラグビー部 勇者の百年 紫紺の誇りを胸に再び「前へ」』(二見書房)。他に『宿澤広朗 勝つことのみが善である』(文春文庫)、『スタンドオフ黄金伝説』(双葉社)、『新・ラグビーの逆襲 日本ラグビーが「世界」をとる日』(言視舎)などがある。

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