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「心は決めました」ジュニアからプロ転向を決心した17歳の木下晴結【テニス】

神仁司ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト
プロ転向へ心を決めた17歳の木下晴結(写真すべて/神 仁司)

 木下晴結(WTAランキング858位、ITFジュニアランキング104位、大会時、以下同)は、17歳でジュニア選手だが、現在はプロ選手が出場するITF(国際テニス連盟)主催の一般大会に主戦場を移して、世界ランキングの上昇を目指している。

 そんな中、6月中旬に、東京・有明で開催されたITFサーキットの一つ、W15東京大会(大東建託オープン supported by JWT50)の本戦にジュニア枠(ITFジュニアランキング100位以内に入ったジュニア選手は、W15大会の本戦でプレーする機会が得られる)で出場し、1回戦で、第6シードの秋田史帆(WTA627位)に4-6、2-6で敗れた。

――まず、秋田さんとの1回戦を振り返ってみてどうですか。第1セット第5ゲーム直後には、メディカルタイムアウトをとって、右ひざの下にテーピングを施しました。右ひざの状態も併せて教えてください。

木下: 自分のやりたいプレーは表現できたと思っていて、ネットプレーだったり、スライスを使ったりして粘り強くも戦えてよかったけど……。

――右ひざはいつ痛めたのですか。

木下:先々週(5月27日の週)の大会の1回戦で腫れてしまいました。その大会はベスト8まで行ったんですけど、正直痛みはあまり無くて、ただ(右ひざが)曲がりきらない、伸びきらない状態で、いろいろ検査して大きな損傷はなかった。腫れもひいて、痛みもなくなっていった。先週(6月3日の週)の大会を欠場しましたが、完全に良くなって、今週(6月10日の週)は出ることを決めました。(第1セットの)第2ゲームで逆を突かれて、ちょっと嫌な痛みが出た。メディカルタイムアウトをとって、テーピングしてもらったんですけど、(プレー中に)ピロピロしちゃって、それが嫌だなと思って上だけ取ろうと思ったんですけど、全部取れちゃって、あ~となったけど、まぁ、いいかと。痛みがちょっと違う感じで、先々週はただ腫れて曲げづらくて動きづらかったけど、今回は完全に痛みというか、ちょっと嫌な感じでした。バック(ハンド)へ振られた時やフォア(ハンド)に振られた時に足をスライドさせる時につらかったです。だから、風もあってちゃんとミートしてなかったことあって、(自分が打つ)ボールが飛ばなくなって、力が分散してしまった。

――試合途中で棄権することは考えなかったのですか。

木下: え~、やめたくなかった。試合終わった後、(神尾)米さんに、『やめる勇気を持つことも大事だよ』と言われた。そうだなって。

試合の出だしでは、良いプレーをしていたものの、右ひざの痛みもあってW15東京大会では初戦敗退
試合の出だしでは、良いプレーをしていたものの、右ひざの痛みもあってW15東京大会では初戦敗退

――2024年春に木下さんは、練習拠点を、奥田裕介コーチのLYNX Tennis Academy(京都・京田辺)から、神尾米コーチと比嘉ジャイミー幸男コーチらがいるTeam Rise(東京・狛江、神奈川・海老名)に移しました。約2ヶ月が経過しましたが、今はどんなことをテーマにして練習しているのでしょうか。

木下:自分のプレースタイル(オールラウンドプレー)は、他の選手にはあんまりないものだと自分で思っていて、それを活かしていくうえで、もっと基礎のところ、例えば、一球一球の質の高さ、振られた時のフィジカルの強さ、スキルというより本当に基礎的なところをずっと強化してきています。技術でいえば、もっとサーブで主導権を握れるようにしないといけない。

――サーブのモーションをまた変更しましたね。

木下: 拠点を移動してから、ラケットを(腰ぐらいの高さで)下からひいて(右肩上へ)上げるようにしました。あと、サーブ時に両足をそろえていたんですけど、ひざに違和感があったので、右足を上げてからジャンプします。進化するために、ちょっとずつ変えて試しています。

――神尾さんから、木下さんに刺さるようなアドバイスは何かありましたか。

木下: 選手の時にトップになられた方なんで、選手目線ですごくアドバイスをくれます(神尾さんは、元プロテニス選手で、世界ランキング最高24位、1995年には、オーストラリアンオープン、ウィンブルドン、USオープンで3回戦まで進んだ)。『周りの選手を気にしなくていいよ』とも言われました。『自分のプレーというかスタイルが確立すれば、絶対勝てるようになり、目指しているところに行けると思っている。だから、(上へ)早く行きたいと思っているだろうけど、自分のテニスを強くしたらいい』とアドバイスしてくれました。それは、自分でもそうだなと思いました。

――大阪から東京に移っての生活はどうですか。

木下: 超大変ですね。初めてのひとり暮らしですけど、お母さんがいっぱい来てくれます。

――何が一番大変ですか。

木下: そうじ……。苦手というよりかは、毎日しないと、ほこりとかたまるんだなぁと。そうじもごみ出しもそうですけど、ホテルに泊まっていると、やってくれる人がいるので。ゴハンをつくるのは別に好きなんで苦にならないです。食べるの好きだし、食べるためならできるんです。よっぽど疲れていたらちょっと別なんですけどね。

――木下さんの得意料理があるんでしょうか。

木下: まぁ、ありますね。オムライス(笑)。

神尾コーチや比嘉ジャイミーコーチと共にプロ転向への体制を整え、木下らしいオールラウンドテニスに磨きをかけていってほしい
神尾コーチや比嘉ジャイミーコーチと共にプロ転向への体制を整え、木下らしいオールラウンドテニスに磨きをかけていってほしい

――先ほど、神尾さんのアドバイスに周りを気にしないでいいという話があったばかりで恐縮なのですが、齋藤咲良さん(WTA210位)が、ローランギャロスで、初めてグランドスラムの予選に挑戦して3回戦まで進んで本戦まであと一歩でした。この活躍を、17歳で同期の木下さんはどう見ていましたか。

木下: いや~、本当にすごいなって。自分も早く追いつきたいという気持ちはありつつ、でも、一歩一歩自分のペースで、自分のするべきことを一つ一つ積み重ねていけば、遅くなるかもしれないけど(追いつけるはず)。

――齋藤さんは、富士薬品と所属契約を結んで、5月からプロへ転向しましたが、木下さんのプロ転向への気持ちは現在どうなのでしょうか。

木下: 心は決めました。ずっと自分的にはやりたい、この道で頑張りたいと思っていて、いい拠点が見つかって、米さんとかジャイミーさんとか、その他にもいろんな人と巡り会って、ここで頑張りたいなと思ったんで、決めました。(日本テニス協会へのプロ)登録とかいろいろ考えていかないといけないんですけど、まぁ、ちょっと動いていこうと。(心を決めたのは)全然最近なので、先週とか(取材日は6月11日)。

――同期というと、5月に西村佳世さんがW15富山大会で優勝しましたよね。

木下: 関西で一緒だったんで、小さい時からめっちゃ知っています。だから、本当にすごく刺激になっています。(日本女子テニスを私も)盛り上げていく世代の一人になれればいいなって思っています。

ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンMJ)勤務後、テニス専門誌記者を経てフリーランスに。グランドスラムをはじめ、数々のテニス国際大会を取材。錦織圭や伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材をした。切れ味鋭い記事を執筆すると同時に、写真も撮影する。ラジオでは、スポーツコメンテーターも務める。ITWA国際テニスライター協会メンバー、国際テニスの殿堂の審査員。著書、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」(出版芸術社)。盛田正明氏との共著、「人の力を活かすリーダーシップ」(ワン・パブリッシング)

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