戦争中に行われた、鉄道による糞尿輸送
古より鉄道は旅客だけでなく、様々なものを運んできました。
しかし中にはユニークなものを運んでいた鉄道もあり、今回紹介する黄金列車はその一つです。
この記事ではかつて日本で行われていた、鉄道による糞尿輸送について取り上げていきます。
戦争中に行われた黄金列車
鉄道に糞尿を積んで運ぶなど、いかにも奇天烈な話です。
ことの始まりは大正時代末から昭和初期。大阪電気軌道、今の近鉄が「下肥(しもごえ)」として屎尿を貨車に積んでいた記録が最も古いとのこと。
農村の肥料として都会の「資源」を運ぶという、まあ、循環型社会の一歩と言えば聞こえはよいです。
時折肥桶が揺れる様子を思えば、なかなか香り高き旅路であったに違いないでしょう。
ところが戦中、太平洋戦争の勃発で事態は急変します。
東京都区部では労働力も物資も底を尽き、屎尿の処理すらままならなくなったのです。
とうとう「庭に穴を掘って埋める」という、やや危険な方法まで取られる始末でした。
この事態に現れた救世主が、鉄道の糞尿輸送です。
1944年、東京都は民営鉄道に「汚れ仕事」を依頼し、西武や東武鉄道が「黄金列車」を出動させます。
この列車、住民からは「汚い」「臭い」と言われつつも、実に大事な任務を果たしていたのです。
名古屋でも同様に、鉄道が都市と農村を結ぶ橋渡し役として働き、大いに顰蹙を買いながらも地域の衛生を守っていました。
こうして鉄道はただの運び屋にあらず、都市と農村を繋ぐ隠れた英雄であったのです。
参考文献
小川裕夫(2010)『封印された鉄道史』(第1刷)彩図社