損保による「払い渋り」の過酷な現実…【聴覚障害女児死亡事件】27日に注目判決
「事故から5年、提訴から約3年にわたって続いた民事裁判が、2月27日(月)午後2時、大阪地裁にて判決を迎えます。やっと終わりが見えてきましたが、裁判官は被告側が主張する障害者差別を認めるのか否か……、どうか注目していただければと思います」
交通事故遺族の井出努さんから、民事裁判の判決を目前に連絡をいただきました。
長女の安優香さん(当時11)が下校途中、暴走してきた工事中のホイールローダーに至近距離から衝突され、亡くなったのは5年前のことです。
あの日から1850日……、井出さん夫妻はその長い日々をどのような思いで過ごされてきたのでしょうか。
交通事故の被害者遺族が苦しめられる「二次被害」の過酷さは、こうして当事者の方が語ってくださらない限り、外からはなかなかうかがい知ることができません。
判決を目前に、この裁判がなぜこれほど長引いているのか、振り返ってみたいと思います。
■てんかん持病隠していた加害者は「危険運転」で実刑に
この事故を起こした加害者の男(事故当時36)には、「難治てんかん」という脳の持病があました。意識を失うような発作がいつ起こるかわからないため、医師や家族からは再三「運転しないように」と注意されていたそうです。にもかかわらず、虚偽の申請をして免許証を取得し、仕事として重機の運転を続けていました。
大阪地裁の裁判官は、『本件事故時はてんかん発作で意識を喪失していた』と認定し、『てんかんの危険性を軽視していたと言わざるを得ず、厳しい非難に値する』として、危険運転致死傷罪の成立を認め、2019年3月、懲役7年(求刑懲役10年)の判決を言い渡しました。すでに判決は確定し、加害者は刑務所に収監されています。
その後、井出さん夫妻は加害者本人と加害者を雇用していた会社を相手に、損害賠償請求を起こしました。それが今回、判決が下されるこの裁判です。
■被告側は「難聴者の収入は一般の40%」と主張
ところが、この民事裁判の中で井出さん夫妻は、想定していなかった屈辱を味わい、二重の苦しみを突き付けられることになります。
以下は、2021年5月に私が本件裁判を取り上げた記事です。
<聴覚・視覚障害の弁護士たちが立ち上った! 難聴の11歳女児死亡事故裁判に異議(柳原三佳) - 個人 - Yahoo!ニュース>
この中で、井出さんはこう訴えています。
「被告側は、安優香が生まれつきの難聴だったことから、将来得られたはずの収入である逸失利益について、一般女性の40%で計算すべきだと主張してきました。『聴覚障害者には、9歳の壁、9歳の峠、という問題があり、聴覚障害児童の高校卒業時点での思考力や言語力・学力は、小学校中学年の水準に留まる』というのです。ようするに、健聴児童に比べて大学等に進学できる学力を獲得することが困難で、仮に大学等に進学できても、高等教育の学習に支障が出ることが少なくないということです」
「娘は11年間、必死に努力し、頑張ってきました。将来、たくさんの可能性を秘めていました。にもかかわらず、民事裁判で『聴覚障害がある』と差別され、侮辱を受け……。親としてどうしても黙っていることはできません」
■「被告」の背後にいる損保会社
実は私に連絡をいただいた当初、井出さんの強い怒りは、この裁判の「被告」、つまり、加害者本人と雇用会社に向けられていました。
何の落ち度もない娘の命を一方的に奪っておきながら、なんという酷い主張をするのだと。それは当然の思いでしょう。
そのとき、私は井出さんにこうたずねました。
「加害者側が加入している自動車保険の会社はどちらかご存じですか?」
井出さんは一瞬言葉に詰まり、「わかりません」と答えました。
無理もありません。裁判の書類には損保会社の名前などどこにも出てこないのです。
「民事裁判でそのような主張をしているのは、本当に刑務所の中にいる加害者本人だと思われますか? 彼らが『9歳の壁』という理屈まで持ち出して、自分が命を奪った被害者に対して本当にこのような主張を積極的にするでしょうか」
私がそう言うと井出さんは、はっとしたように、「なるほど……」とおっしゃいました。
そしてまもなく、「被告」の立場で実質的に民事裁判を動かしているのは、加害者側が自動車保険を契約していた三井住友海上であることに気づかれたのです。
三井住友海上の公式サイトにある『障がい者活躍推進の取組』というコーナー<障がい者活躍推進の取組|会社情報|三井住友海上 (ms-ins.com)>には、こんな一文が掲載されています。
『当社では、障がいの種別に関係なく、さまざまな社員が健常者と同じ立場で勤務しています。』
では、安優香さんはなぜ「健常者と同じ立場」で働けないと判断されなければならないのでしょうか。
■三井住友海上「個別の契約については回答は差し控える」
井出さんから被告側の損保会社が三井住友海上だと知らされた私は、早速、「9歳の壁」や「逸失利益の減額」の主張について、同社がどのように考えているのか、また、「被告(※三井住友海上にとっては契約者=お客様)が、裁判でこのような主張をしていることを把握しているのか?」について質問しました。
2021年時点の三井住友海上(広報部)の回答は以下の通りでした。
「お客さま(被告)にかかわる個別のご契約につきましては、守秘義務がございますので、回答は差し控えさせていただきます。係争事案は、個別の事情に応じて法廷でご判断されるものでございますので、法廷を尊重する立場から、一般論の回答を差し控えさせていただきます」
ちなみに、この時点で、被告側(実質的には加害者の任意保険会社/三井住友海上)は、安優香さんが生まれつきの難聴だったことから、将来得られたはずの収入である逸失利益について、『一般女性の40%(基礎収入153万520円)で計算すべきだ』と主張していました。
井出さんが訴えておられた通り、「聴覚障害者には『9歳の壁』という問題があり、高校卒業時点での思考力や言語力・学力は、9歳くらいの水準に留まる」というのがその理由です。
ところが、裁判の途中で被告側は、主張を変えてきました。「原告らの指摘により聴覚障害者の平均賃金の存在を知った」として突然、基礎収入を「聴覚障害者の平均賃金(294万7000円)」に変更し、算出しなおしたというのです。
しかし、これ自体大変な問題です。もし、被害者側が早い段階でその提示額に応じていたら、どうするのでしょう。
一方、遺族はあくまでも健常者と同じ基礎収入での計算を求めているため、被告側の新たな提示金額とも、まだ隔たりがあります。
この裁判で原告の井出さんの側には、自らも聴覚や視覚に障害がある弁護士たちが、弁護団を組んで支援を行い闘っており、裁判所が障害者の「逸失利益」についてどう判断するかに注目が集まっています。
■1円でも保険金を抑えようとする損保の体質
交通事故の民事裁判では、被告(加害者)本人の意思よりも、被告側が加入している任意保険会社の判断が大きな影響を与えている場合が多いのが現実です。
私はこれまでに数多くの裁判を取材し、支払保険金を1円でも抑制しようとする損保会社の一方的で独善的ともいえる主張を目の当たりにしてきました。それは死亡事故や重度障害事案等、損害額が大きくなればなるほど顕著でした。
過去に執筆した記事では、損保会社の名前はほぼ実名で報じてきました。拙著『自動車保険の落とし穴』(柳原三佳著/朝日新聞出版)の中にも、問題のある「払い渋り」の事例はすべて実名で掲載しています。同書には三井住友海上がコンピュータシミュレーションを使って鑑定を行い、死亡保険がゼロになった疑惑の事件も登場します。
自動車保険は車社会にとって不可欠です。しかし、保険金の支払いの現場に目をやると、理不尽な主張に対して泣き寝入りを強いられている被害者遺族があまりに多いことに愕然とします。
また、万一のことが起こったとき、私たちドライバーは、「せめて被害者には十分な賠償をしたい」と思って無制限の自動車保険を契約しています。それなのに、自分の思いの届かぬ場所で裁判が長期化していることに苦しまなければならないのはなぜでしょうか。
損保会社も営利企業であることは理解しますが、こうした事案を目にするたびに、これでよいのかと疑問を感じざるを得ないのです。
2月27日は、いよいよこの裁判が決着する日です。
井出さんは判決を目前に、今の思いをこう語ります。
「9歳の壁の問題を持ち出す損保会社の言い分は、娘の11年間の努力を否定するものです。優生思想とも言えるこうした主張は、絶対に認めさせてはいけない。これは、私共家族だけでなく、これまで署名をして下さった多くの方々の思いです。そして、この差別を『認めるのか』『認めないのか』……、本件は裁判官の資質が問われる裁判でもあります。間違った判断をすれば大きな社会問題になると思っています。しかし、私の中での裁判の終着点はあくまでも、娘に対して差別発言をした人たちに謝罪させることです。実現するのは難しいかもしれませんが、最後まで貫き通して訴えます。なお先日、以下のYouTube、および読売テレビの特集で私たち被害者遺族の思いを語らせていただきましたのでぜひご覧ください」
■判決後、報告集会開催。Zoom視聴も可
2月27日、午後2時から大阪地裁202号法廷で判決が下された後、記者会見が開かれ、15時30分から大阪弁護士会館1109号室で、『大阪・聴覚障害児童交通事故 逸失利益 裁判 ~判決後報告集会~』が行われます(会場の一般参加者は15名限定・先着順)。
当日は、Zoomでの視聴も可能ですので、関心をお持ちの方はぜひ事前登録の上、ご視聴くださいとのことです。
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