ジャニーズ性加害、メディアはなぜ沈黙してきたのかーテレビ局の自己検証を含め考える
NHK、日テレ、TBSが検証番組
ジャニーズ「性加害」問題をめぐって、9月11日にNHK、10月4日に日本テレビ、そして7日にTBSが「報道特集」で検証放送を行った。こんなふうにテレビ局が次々と自己検証を、しかも具体的な部分にまで踏み込んで行うというのは極めて異例のことだ。それだけジャニーズ問題は、メディア界に大きな衝撃を与えたといってよいだろう。日テレの検証放送はいまでもネットで検索すれば簡単に見られるし、TBSも14日まで見逃し配信を行っている。見逃した方はぜひ見てほしい。
TBSの見逃し配信は下記だ。
https://cu.tbs.co.jp/episode/20093_2050770_1000055529?utm_source=tbs_official&utm_medium=organic
3つのうちで一番踏み込んでいるのはTBSだ。そもそもジャニーズ事務所が強大な力を持つに至ったきっかけは同局のドラマ「金八先生」のヒットで、たのきんトリオが人気を得たことだ。「報道特集」の検証放送にはドラマに関わったOBが登場し、かつては局側の企画優先だったドラマが、タレントが人気を博して、キャスティングがドラマの行方を制するようになったと話していたが、まさにその軌跡こそ、ジャニーズ事務所が強大化してメディア界を制するようになった歴史だった。
検証コメントの中に現場局員のこういうものがあった。
《若い頃から、ベテランのプロデューサーが、ジャニーズ事務所に平身低頭で接するのをずっと見てきた。それを見て育ったので、自然に自分もそうなっていく。うまくやれば次のジャニーズの仕事も来る。なぜみんなジャニーズと仕事をしたいかというと、一つは数字をとりやすいから、そして社内の自分の評価が高まるから。》
これはテレビ界のジャニーズ事務所への「忖度」構造を実に端的に、そしてわかりやすく示したコメントだ。
テレビの現場がどうだったのかー梨元勝さんの告発
問題はそういう現実に個々のテレビマンがどんなふうに対応してきたかだ。そのあたりを今後の検証でさらに深めてほしいと思うが、そういうテレビ界の状況に抵抗し続けたのが元祖“芸能レポーター”梨元勝さんだった。私の編集する月刊『創』(つくる)に梨元さんは生前、何度も登場して、例えばこんなふうに語っていた。2006年9・10月号の記事の一部だ。
《僕が以前テレビ朝日の「やじうまワイド」(当時)にレギュラー出演していた時、SMAPの稲垣吾郎の逮捕事件(01年8月)があり、あの時もちょっとした騒動になりました。テレ朝は視聴率の稼ぎ頭であるSMAPに配慮して、テレビ欄に稲垣事件のタイトルを入れないこと、梨元はその事件についてはスタジオでコメントしないこと、さらに事件を扱う放送分数も決める、と言われました。しかも「やじうまワイド」だけでなく、テレ朝の全番組にそれを適用されました。
本番前、「でも僕はしゃべるために来てるんですよ」と抗議したら、若いディレクターは「梨元さん、広末涼子のニュースもありますから!」って。そういう問題じゃないだろう(笑)。それで僕はスタジオを後にしました。》
ここでスタジオを後にしてしまうのが梨元さんのすごいところだった。この記事を掲載した2006年には、梨元さんがレギュラーで出演していた静岡朝日テレビの情報番組で、やはりジャニーズの問題を扱わないという指示を局側から受けた後、それに抗議して番組を降りたという事件があった。
テレビ界だけでないジャニーズ事務所のメディア支配
ジャニーズタブーに覆われていたのは、もちろんテレビ界だけではない。『創』は最新の2023年11月号でジャニーズタブーの実態を総特集しているが、ここでそのエッセンスを紹介しよう。話題になっている1999年からの『週刊文春』の告発キャンペーンとその後の裁判の経緯については、当時デスクだった木俣正剛さんの詳細なインタビューを掲載したが、これは全文をヤフーニュースで公開したので下記を参照いただきたい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd31d3bc5fb2a5c8888f75c83029ff90fd26ad3f
『週刊文春』vsジャニーズ事務所 長期攻防の舞台裏 木俣正剛
またその裁判で文藝春秋側の代理人を務めた喜田村洋一弁護士のインタビュー記事もヤフーニュースに公開した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/003f6dd0fe4205f54ba6d5f82ccdffcd67a7a22c
『週刊文春』裁判でジャニー氏は何を証言したのか 喜田村洋一
『週刊文春』のこの事例はいろいろな場で言及されているが、注目してほしいのは、この裁判の後も、例えばジャニーズタレントが出演している広告を引き上げたりと、ジャニーズ事務所からの圧力がずっと続いたことだ。当事者である木俣さんの詳細な証言をぜひ直接ご覧いただきたい。
性加害を報じて編集者が飛ばされた『週刊現代』
さてここで紹介したいのは、その『週刊文春』のジャニーズ批判キャンペーンのはるか前、1981年に起きた『週刊現代』の事例だ。まさにたのきんトリオのヒットでジャニーズ事務所が強大になっていく時期に起きた事件である。以下、当事者の話をもとに書いていこう。
「異動時期でもないのに突然、飛ばされたから、あの記事の件だとしか思えない。組合からは組合問題にするかと訊かれたけれど断わりました」
そう語るのは講談社を既に退社している元木昌彦さんだ。『週刊現代』編集長などを務め、局長にまでなった講談社元幹部だが、今回のジャニーズ事務所「性加害」問題を機に、その時のことを思い出したという。
事件が起きたのは1981年。元木さんは入社11年目で、間もなく『週刊現代』副編集長になるという時期だった。当時、たのきんトリオが大ヒットして勢いに乗っていたジャニーズ事務所について誌面で取り上げようということになった。ジャニーズ事務所に取材を申し入れたところ、メリー喜多川副社長(当時)がインタビューに応じてくれた。
最初のインタビューは「アイドル作りの秘訣」を聞いたもので、メリーさんは「うちの良さは手づくりということでしょうね」などと答えていた。
取材を続けるうちにいろいろな情報が入ってきた。当時、既にジャニー喜多川社長の性加害をめぐる噂も流れており、いくつかの週刊誌が記事にしていた。そして取材を経て書かれた4月30日号の記事「『たのきんトリオ』で大当たり 喜多川姉弟の異能」には、匿名の元所属タレントのこういうコメントが紹介された。
「疲れきってうたた寝していると、ジャニーさんが寄ってきて体にさわったり、抱きしめたりするんです」
今広がっている性加害告発に比べれば全くおとなしい内容だが、発売されたその記事を見たメリー副社長は激怒したようだ。その後、1988年の『光GENJIヘ』での北公次さんの告発、99年の『週刊文春』の連続キャンペーンで性加害問題は爆発するのだが、この『週刊現代』はそのだいぶ前の話だった。元木さんがこう語る。
「たぶんメリーさんが講談社の上層部に抗議してきたのだろうが、具体的にどうだったかはわからない。ただジャニーズ事務所が抗議していることは知っていたから、何とか収めようとメリーさんの夫である作家の藤島泰輔氏のところにまで足を運びました。でも藤島氏は『女房だけはだめだ。俺の言うことをきかないから』との返事でした」
結局、元木さんは女性誌の部署に異動させられ、後に再び『週刊現代』に戻るのだが、後になって思うと、記事も当初の予定より少ない3ページになっていたし、新聞や車内吊りの広告を見たら、この記事が載っていなかった。発売前から何らかの動きがあったのかもしれないという。
講談社の全出版物からタレントを引き上げると公言
この騒動は業界で話題になり、『週刊文春』81年5月28日号に「大講談社をふるえ上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」という記事が掲載された。そこには何と、メリーさんのこんなコメントが掲載されていた。
「許せません! 『週刊現代』のあの記事は何ですか。…弟のジャニーが、ウチのタレントの男の子たちにヘンなことをしているなンて、中傷もいいとこ!」
「『週刊現代』の編集長が謝罪すると言ってきてますけど、わたし、許しません! 講談社の『月刊少女フレンド』をはじめとする全出版物に、たのきんトリオをふくめたウチのタレントの写真掲載、取材は、今後一切お断わりします。なにしろ、少女雑誌の三分の一は、ウチのタレントのグラビアと記事でもっているわけですからね。それがどういうことを意味するか、十二分におわかりだと思いますけど」
つまりメリー副社長は、講談社の全出版物についてジャニーズタレントの協力を拒否すると通告していたのだった。
その後、ジャニーズ事務所は、同様の手法でテレビ局や出版社に圧力をかけ、メディアコントロールを強めていくのだが、この講談社のケースはその典型だった。結果的に担当編集者の元木さんは、他の部署に飛ばされたというわけだ。
メリーさんが具体的に責任者を飛ばせと言ったというより、その措置は恐らく、彼女の怒りを鎮めるために講談社上層部が講じたものだろう。「忖度」だ。
メリーさんの意向に沿ったと言われるジャニーズ事務所のメディアコントロールについては、いろいろな事例が業界で指摘されてきた。メリーさんは日ごろから「タレントを守るためならいくらでも悪人になります」と言っていたとされる。つまりメディアへの圧力や介入については確信犯だったわけだ。
「いくらでも悪人になります」とメリー元副社長
ちなみにこのメリーさんの「タレントを守るためならいくらでも悪人になります」という言葉を、メリーさんが他界した直後に故人をしのぶコメントとして紹介していたのは、今回社長になった東山紀之さんだ。東山さんがその言葉の背後にあったジャニーズ事務所のメディア支配についてどの程度知っていて、どう思っていたか知りたいものだ。
もちろんジャニーズ事務所のメディア支配は、同事務所の権勢を背景にしたものだ。例えばジャニーズ事務所と決裂してはドラマやバラエティの編成は成り立たないというテレビ界の現実が、タブーを成立させた。特にSMAPや嵐が活躍した時代は、芸能界で圧倒的な権勢を誇る存在となった。
『週刊現代』のケースは報道をめぐるトラブルだが、それに限らず例えばジャニーズのタレントが主役を務めるドラマの場合も、タレントの不興を買うようなことがあればドラマが続いている途中でディレクターが飛ばされたと言われる。
また音楽番組などで放送局側が、ジャニーズタレントのライバルを競演させるような企画をあげてくると、ジャニーズ事務所は「それならうちのタレントは必要ないので出演を見合わせます」と通告するという事例もよく語られる。結果的に、ライバルタレントはテレビなどに出にくくなるわけだ。
ましてやジャニーズ事務所を退所したタレントには、テレビ局が忖度して出演機会が奪われていった。ジャニーズ事務所を退所して「新しい地図」を作った元SMAPの3人は、一時期、レギュラー番組が全てなくなった。公正取引委員会が調査に入ったことはよく知られている。
ジャニーズ事務所を退所するというのは芸能界を辞めることだとよく言われたが、実際に事務所側もそういう言い方でタレントを引き留めていたと言われる。
「飴と鞭」の戦略的なメディアコントロール
メディアコントロールについては、もちろん圧力をかけるだけでなく、懐柔策もとられた。いわば「飴と鞭」である。例えば関係の深い出版社には毎年、人気グループのカレンダーを発行する権利を与えて儲けさせた。それも年ごとに、この出版社にはこのグループをと、かなり戦略的に行われた。この件については、『創』2007年1月号の記事を紹介しよう。『週刊文春』06年10月25日号「カレンダーでわかるジャニーズ『付度メディア』」という記事をもとにしたものだ。
《ジャニーズ事務所では毎年、人気タレントのカレンダー制作を外部委託している。例えば記事によると、今年小学館が10万部以上発行したHey!Say! JUMPのカレンダーは、予約時点で9割がさばけ、3億円近く売り上げたという。
数多くの人気タレントを抱えるジャニーズ事務所は、何種類ものカレンダーの発行を毎年、講談社、小学館、光文社、集英社、さらにはワニブックスや学研プラスなどに持ち回りで委託している。以前はマガジンハウスや、ぴあ、角川書店なども恩恵に浴していた。
どのタレントのカレンダーをどの出版社に委託するかは、秋頃にジャニーズ事務所から「今年はこれをよろしく」と指定されるのだという。》
《そして、このところ話題になっているのは今年デビューしたキンプリことKing & Princeの来年のカレンダー発行の権利を得るのはどの出版社かということだった。
それは意外な出版社だった。新潮社である。》
新潮社がカレンダーを発行できることになった詳しい事情は不明だが、木俣正剛さんの話にもあるように、メリーさんの手記が『週刊文春』から『週刊新潮』に渡ったことなど、幾つかの経緯を経てのことなのだろう。また新潮社が『ニコラ』『ニコ☆プチ』という女子向け雑誌を発行していることも関わっているのだろう。逆に言えば、『週刊文春』が一貫してジャニーズ事務所批判を続けてこられたのは、同社にジャニーズタレントを大きく起用するような雑誌がなかったからだとも言える。
ちなみに『創』は一貫してジャニーズ事務所のメディア支配を批判してきたが一時、連載の形でそれを扱った時には同事務所から激しい抗議を受けた。そして驚いたのは、同事務所と関わりの深い出版社からも一斉に抗議文が届いたことだ。恐らく同事務所が要請したのだろう。
『AERA』『サンデー毎日』のジャニーズタレント表紙
またこの10年近くは、それまで関係の深かった女性誌やアイドル誌だけでなく、硬派の雑誌にも食い込もうとしてきた。朝日新聞出版の『AERA』や休刊した『週刊朝日』、毎日新聞出版の『サンデー毎日』の3誌には表紙にジャニーズタレントが登場する機会が増えた。同じグループが3誌の同じ週に揃って登場することもあった。
今回の一連の事態を受けて朝日新聞は9月16日の紙面で「ジャニーズ事務所所属のタレントについては、新規の契約は当面見合わせます」という方針を明らかにした。ところがタイミングが悪いことに9月19日発売の『AERA』9月25日号の表紙はジャニーズ事務所タレントのSnow Manの向井康二さんだった。
もちろん「新規契約見合わせ」という方針とは別のことだが、編集部は気にしたようで、編集後記で「今号の表紙は、すでに撮影が終わっており、予定通り掲載しています」と説明していた。
『サンデー毎日』についても9月26日発売の10月8日号の表紙はSexy Zoneの松島聡さんだった。そしてこちらも編集後記に「今号表紙は、9月7日以前に撮影されたもので、予定通り掲載しました」と書いていた。同誌の場合はさらにその前にこうも書いていた。
「これまで同事務所所属のタレントを表紙に起用してきましたが、今後は被害者への救済や経営刷新の具体策が実行されるまでは当面見合わせ、注視していきます」
ちなみにこの号は「ジャニーズ問題と日本社会の民度」と表紙に大書し、ジャニーズ問題を特集。鼎談で田中康夫さんが「奇しくも今回の鼎談は、最後の表紙掲載の贖罪を兼ねた編集部の大英断」と皮肉まじりに語っているのをそのまま掲載しているのは、編集部の忸怩たる思いの現れだろうか。
改めて問われたジャニーズ事務所とメディアの関係
今回、ジャニーズ事務所とメディアの関係が改めて見直されているが、それは8月29日の再発防止特別チームが発表した報告書でも指摘されていたように、これほど長期にわたって性加害が大きな問題にならなかったのは、「メディアの沈黙」もひとつの要因だとされたからだ。
3月のBBC放送の後も、実はジャニーズ性加害問題へのメディアの反応は鈍かった。『週刊文春』が報道を展開しているのに多くのメディアは様子見というのは、その後の「木原問題」でも同じだった。へたに追随して訴訟リスクを抱えてはまずいという意識が働いたためだろう。当事者が謝罪して、もう反撃を食らう心配はないとなった時点で大報道が始まるというのは、これまでもいろいろな問題について繰り返されてきたことだ。
確かに性加害問題が大きく報道され、社会的議論の対象になっているのはとても良いことなのだが、ジャニーズ性加害問題がなぜ何十年にもわたってタブーになってきたかについても我々は深刻なこととして受け止めなければならないと思う。
今回、『創』で特集を組むにあたって、1960年代からジャニーズ問題がどんなふうに報じられ、その中で性加害問題はどう扱われてきたかを整理してみたが、これまで言われてきた以上に深刻な問題があることがわかった。この間のテレビ局の検証番組では、なぜ『週刊文春』裁判で性加害が認定されたのに新聞・テレビがそれを報じなかったかがひとつの検証ポイントとして取り上げられているのだが、それは実は氷山の一角で、既に1960年代から性加害問題は断片的に報じられており、『週刊現代』の例のように編集者が飛ばされたりといった事態が続いていた。
今回、問題がここまで広がったのは、被害者たちが実名で次々と告発を行うという、まさに#MeTooの動きがあったこと、ジャニーズ事務所が正式に性加害について認めて謝罪したことなど、これまでなかった大きな動きが要因になっているのだが、それを機に、長い間続いてきた「メディアの沈黙」についての検証が今まさに問われているのだと思う。
抽象的な「反省」を口にして終わるのでなく、全てのメディア関係者には、ぜひ一歩踏み込んで内部検証を行ってほしい。
※『創』11月号HPは下記