戦国時代誕生のキッカケ!応仁の乱で大活躍した男とその城を紹介
今回紹介する「勝瑞城」は、マイナーな城に分類されるため、ご存知ない方も多いかもしれません。
しかし、室町時代〜戦国時代前期に畿内(京都周辺)で名を轟かせた一族たちが拠点とし、戦国時代を形成する要因となった「応仁の乱」のような大戦でも活躍したお城でもあります。
詳しくみていきましょう。
勝瑞城の繁栄
勝瑞城は、室町時代(15世紀中頃)に徳島県土成町の秋月から移された城で、当時の阿波を守護していた細川氏が管理していました。
また、歴代城主の細川勝元や三好長慶は、天皇のお膝元である畿内でも屈指の実力を持つ名武将。
そのため、勝瑞城の城下町には花の都といわれた京都からの物資が豊富に流れ込み、阿波の中心地として栄えたと考えられています。
城主・細川勝元の活躍
約240年間続いた室町時代のクライマックスに勃発した大戦「応仁の乱(1467年〜1477年)」は、のちの戦国時代を築いたともいわれる戦いです。
実は、当時の勝瑞城城主・細川勝元も東軍総大将として参戦し、勝瑞城も後方拠点としてかかわっていました。
応仁の乱は、何度も仲間が入れ替わるなど複雑な相関関係を繰り広げながら、約10年間にも及ぶ長期戦争だったため、「日本史上でもっとも理解し難い戦い」と称されることもあります。
そして戦いの末、細川勝元を総大将とする東軍が勝利。
力を蓄えた細川一族は、続く戦国時代で最強時代を築くことになります。
勝瑞城の概要
勝瑞城があったとされるのは、徳島県板野郡藍住町です。
現在お城の姿は残されていませんが、国指定史跡に指定されており、勝瑞城跡の近くにある勝瑞城館跡では歴代城主たちの貴重な資料を見ることができます。
気になった方は、ぜひ足を運んでみてください。
・勝瑞城館跡
【住所】徳島県板野郡藍住町勝瑞字東勝地267-1
※入場料無料