トム・クルーズ、62歳に。実の娘とは絶縁、養子とはベッタリの複雑な親子関係
「7月4日に生まれて」(1989)で初のオスカー候補入りを果たしたトム・クルーズの誕生日は、アメリカ独立記念日前日の7月3日。世界的スーパースターも、62歳になる。
ニューヨーク州シラキューズに生まれ、父の仕事の都合や両親の離婚などであちこちに引越しを繰り返したクルーズは、18歳で俳優を目指すと決め、ニューヨークに単身移住。それからまもなく「エンドレス・ラブ」(1981)に小さな役を得て、映画デビューを果たした。
以後、彼は、勢いを失うことなく、ハリウッドのトップスターとして大活躍を続けてきている。1996年には、北米だけで1億ドルを売り上げた映画に5本連続で主演した史上初の俳優に。プロデューサーとしても優れた才能を発揮し、この2年間にも「トップガン マーヴェリック」(2022)、「ミッション:インポッシブル/デッドレコニングPART ONE」(2023)をヒットさせた。とりわけ「トップガン マーヴェリック」は全世界で15億ドル弱を売り上げ、クルーズの長いキャリアでも最大の成績を達成している。
そんな彼のそばにいるのは、2番目の妻ニコール・キッドマンと一緒に養子縁組をしたイザベラとコナー。一方、3番目の妻ケイティ・ホームズとの間に授かった実の娘スリといるところを目撃されたことは、もう長いことない。クルーズが近年拠点を構えるのはロンドン、スリが母と住むのはニューヨークとはいえ、世界を飛び回るお金などいくらでもあるスーパースターにとって、それは難しいことではないはず。事実、クルーズがコナーと一緒にニューヨークにいるところが目撃されたこともある。
父と子供たちの距離を決めているのは、物理的なそれではない。彼が昔から大切にしてきた宗教だ。
イザベラとコナーはサイエントロジーの信者
カトリックとして育てられたクルーズにサイエントロジーを紹介したのは、最初の妻ミミ・ロジャース。3年弱で離婚に至った時、ロジャースはこの宗教を捨てていたが、クルーズはその後も信じ続けた。
キッドマンとは「デイズ・オブ・サンダー」(1990)の共演で恋に堕ち、ロジャースとの離婚からわずか10ヶ月後の1990年のクリスマスイブに結婚。結婚後まもなく妊娠したのだが流産してしまい、悲しんでいると、サイエントロジーの教会が、もうすぐ生まれてくる予定の赤ちゃんを養子として引き取らないかと打診してきた。それが、イザベラだ。イザベラの実の母はサイエントロジーの信者で、すでにふたりの子供がおり、もうひとりを育てる余裕はなかったようである。その3年後、夫妻は、生後1ヶ月だったコナーを新たに養子に迎え入れた。
カトリックのキッドマンがサイエントロジーに改宗することはなく、2001年、クルーズから突然にして離婚を言い渡されると、子供たちとの関係は遠のいた。親権は共同だったのだが、子供たちは父とロサンゼルスに住み、やはりサイエントロジーに傾倒するクルーズの姉から勉強を教えてもらう生活をしていたのだ。キッドマンが最後に子供たちと一緒にいるのを目撃されたのは、2007年。2014年にキッドマンの父が亡くなった時にも、イザベラとコナーは葬式に参列しなかった。
現在、イザベラはロンドンでサイエントロジーの会計監査の仕事に就いているとのこと。コナーはサイエントロジーのアメリカの本拠地があるフロリダ州クリアウォーターに住んでいる。コナーが腕に入れている「1938」のタトゥーは、サイエントロジーの創設者L・ロン・ハバードが初めてこの宗教について書いた年を意味するもの。クルーズは2021年よりクリアウォーターに高級不動産を所有しており、イザベラ、コナーもいずれそこに住むのではないかとの憶測もある。
ホームズは離婚で単独親権を要求
キッドマンとの離婚後、クルーズは、「バニラ・スカイ」(2001)で共演したペネロペ・クルスと交際。そのロマンスはあまり長く続かなかったが、その後、共演をしたこともない15歳下のケイティ・ホームズとの電撃ロマンスが世間を騒がせることになった。
カトリックとして育てられたホームズは、クルーズと交際を始めると、すぐサイエントロジーの勉強を開始。結婚式も、サイエントロジーの形式で取り行った。クルーズにとってもホームズにとっても初の実子であるスリが誕生したのは、結婚式の7ヶ月前の2006年4月。
スリが幼い頃、3人で仲睦まじく外出する一家の姿は、しばしばパパラッチされている。しかし、幸せそうな表情の裏側で、ホームズは密かにサイエントロジーへの疑問を募らせていた。最愛の娘を守るためには、離婚しかない。クルーズとの離婚で子供たちから引き離されてしまったキッドマンの姿を、ホームズは目の当たりにしているだけに、ホームズは、同じ立場にならないよう、弁護士の父とも相談しながら、入念に計画を進めた。そして、クルーズが「オブリビオン」(2013)の撮影でアイスランドにいる時、不意打ちで離婚申請をしたのである。
離婚に際し、ホームズが絶対に譲れないとしたのは、単独親権。クルーズに面会権はあるが、サイエントロジーが主催するイベントに娘を連れて行くことや、サイエントロジーの関係者が面会に付き添うことなどは禁止した。その結果、クルーズは、毎月40万ドル(今日の換算レートで6,450万円)の養育費をきっちりと払ってきたにもかかわらず、もう10年以上、娘に会わない状態が続いている。
18歳になったスリはクルーズ姓を改名
父が不在の中、母娘の絆は強まる一方。そしてこの春、18歳の誕生日を迎えると、スリは、スリ・クルーズからスリ・ノエルへと、法的に改名した。ノエルは母のミドルネーム(ホームズの本名はケイト・ノエル・ホームズ)。単に父の苗字を切り捨てるだけでなく、代わりに母の名前の一部を選ぶことで、スリは、母への愛と敬意を表したのである。
欧米では、両親が離婚し、再婚して新たな子供が生まれても、きょうだい、家族として仲良くやっていくことが多い。とくに誕生日、卒業式などの節目は、みんなが一緒に集まって祝うものである。
しかし、クルーズの誕生日に、3人の子供たち全員が揃うことはない。それは、スリが小さかった頃についてのみんなの記憶の中にだけ存在する。「ハッピー・バースデー」の歌を聴きながら、クルーズの頭には、その頃の一場面がよぎるのだろうか。