「無敵の人」の無差別犯罪を防ぐために:京都アニメーション放火殺人事件から3年
■京都アニメーション放火殺人事件
犠牲者36名。その数字を聞いただけで心が震えます。深い傷を負った人もいます。過去に例を見ない大量殺人、大惨事です。さらに、被害の大きさだけでなく、優れたアニメを世界に発信していた会社での被害であり、その衝撃は世界を走りました。
失われた尊い命は、取り戻すことができません。
白昼堂々の犯罪でした。逮捕された被告人の男も、瀕死の重傷を負いました。
■無敵の人?による無差別犯罪
普通の犯罪者は、自分の得になることをします。しかし、無差別大量殺人を狙うような人は、もう自分の人生も終わりにしようと思っています。
「自分の人生も、この世界も、なくなってしまえ!」。そう思われてしまえば、怖いものなし、無敵です。防犯カメラも、逮捕も、死刑制度の存在も、犯罪のブレーキにはなりません。
昨日(7/17)も、男子中学生が刃物で刺される事件が起きました。報道によれば、逮捕された女は「子供を殺して死刑になりたかった」と供述しています。
多くの人が犯罪を犯さないのは、単に刑務所に入るのが嫌なのではなく、大切なののを失いたくないからです。仕事、家族、友情、生きがい、信頼、幸せな家族。失いたくないものをたくさんもっている人ほど、犯罪を犯しにくくなります。
■刑罰だけでなく、愛と希望のある社会を
こんなに残虐な事件に関して、愛とか希望とか、呑気すぎると思われるかもしれません。
たしかに、鍵をしっかり閉めるとか、パトロールを増やすなども、防犯になります。逮捕や死刑を恐れない加害者も、犯行の実行ができないことは恐れますので、普通の防犯活動が役立つこともあります。環境整備は大切です。
しかし、他人には近づかず、いつもシェルターの中で暮らすわけにはいきません。刑罰や環境と共に、犯罪予備軍の人たちの心の問題も考えたいと思います。
京都アニメーション放課殺人事件の被告男性。この事件の前には、隣家に向かって「殺すぞ」「こっちはもう余裕ねえんだからな」などと叫んでいた男。事件後に入院した病院でも、「どうせ死刑だから」「自分は意味のない命」と投げやりになっていた男。
そんな男が、それでも治療の中で医師や看護師に諭されるうちに、次のように語ったと報道されています。
「世の中には自分に優しくしてくれる人もいるんだ」
「他人の私を、全力で治そうとする人がいるとは思わなかった」
「道に外れることをしてしまった」
「病院のスタッフに感謝している」
こんなしおらしいことを言っているからといって、安易に反省や更生が進んでいるとは言えないでしょう。それでも、その時の言葉は嘘でもないとも思います。
大量殺人を計画するような人でも、もしも事件前に愛や優しさを実感することができていたら、愛する人をもつことができていたら、もう「無敵の人」ではなくなるかもしれません。
孤独と絶望感が、大量殺人を引き起こします。ある犯罪心理学者は、「殺意を持っている人に犯行を実行させる方法は、誰もその人に話しかけないことだ」と述べています。
愛と希望のあるより良い社会づくり。それが、防犯にもつながるでしょう。