『欠点』こそ魅力。『嫌い』は『エネルギー』に変わる(ココ・シャネル)
「ココ・シャネル」の映画をみようと思ったのですが、なかなか話が進まないので、ついに見終えることができず…。代わりに手に取ったのが、こちらの本『ココ・シャネルの言葉』だいわ文庫(山口路子、2017)
たった一代で女性ファッションブランドを築き上げたシャネル。そこには、彼女なりの多くの美学や哲学があったようです。
(1) 「不利」は「武器」に。
実は「ないないづくし」から始まった彼女のキャリア。
幼い頃に母親を亡くし、父親に捨てられたココ・シシャネル。孤児院で育ちます。貧しい環境で育ったせいかデザインを教えてくれる人もいません。その上、当時女性のデザイナーはほとんどいませんでした。
けれども、シャネルはそのような逆境にもめげませんでした。
第一次世界大戦という時代の後押しもありましたが、デザインが描けないからこそ、生身の人間の身体のうえで立体的なデザインを考え、女性だからこそ女性にとって動きやすいジャージー素材という革新的な服を作ることができたのです。
現状に不満を言うだけではなく、「まだ世の中に存在しない好きなもの」を自分の手で作り上げてしまう。さらに、自らモデルの広告塔となることで、新しい時代の美学や常識まで築いてしまったのがシャネルのすごいところです。
(2) 「欠点」にこそ魅力がつまっている
19世紀の美の基準からすると、若い頃のシャネルは細すぎました。けれどもシャネルは自らの欠点を隠そうとはしませんでした。スレンダーな体つきを活かしてシンプルでシックな服を着こなしモデルを務めたのです。
結果として、多くの女性の憧れとなり、「欠点」を「魅力」に変えることに成功しただけでなく、「新しい時代の美の基準」まで作り出してしまったのです。
(3) 「嫌い」は「エネルギー」に変わる。
また、シャネルは「自分の嫌いなもの」に素直でした。「何が嫌いか」が分かれば「自分が何を望むか」がわかるからです。
マリリン・モンローが「寝ている時に着ているのは?」と聞かれて、「シャネルのNO.5」と答えたというエピソードは有名ですね。
シャネル自身も、“香水で仕上げをしない女に未来はない”と考えていたそうです。この世界一有名な香水も、「花の香りは女を神秘的に魅せないから嫌」というシャネルの「嫌い」から生まれたそうです。
(4) 見返りを求めず、アーティストを支援する一面も
シャネルの生き方や価値観からは「ある種の強烈な印象」を受けますが、シャネルには「多くの無名アーティストを支援する」という高邁な一面もありました。
しかも、シャネルは全く見返りを要求しなかったそうです。それどころか、支援を受けていることを口外することを禁じすらしたのです。多くの芸術家の支援をできること自体が、シャネルの喜びだったのでしょう。噂は広まり、シャネルの評判をさらに上げることになりました。
(5)創造の原点。真似されることとインスピレーション
他のデザイナーたちが意匠権を守ろうとする中、シャネルだけは「真似されることは良いこと」と考えたそうです。良いもの、真似する価値のあるものでなければ、真似すらされません。コピーされることは、シャネルにとって「成功の証」だったのです。
どんなクリエーターだって過去の作品や人からインスピレーションを得ているもの。完全なオリジナルなど存在しません。だから他の誰かが自分の作品からインスピレーションを受けてもそれは当然のこと。そんな器の大きい考え方も、シャネルの魅力のひとつでした。