(株)ツクイの介護スタッフがマタハラで提訴し和解。勇気をくれたのはお腹の子「私は一人じゃない」
「こんなことになるなら妊娠しなければよかった」とは、マタハラ被害女性の多くに一度はよぎる思いだ。介護スタッフ不足が問題となる中、高齢者の様々な介護サービスを展開している(株)ツクイのデイサービス施設でマタハラを受け、「妊娠は悪いことなのか」と悩み、うつ病にまでなった西原ゆかりさん。
記憶障害、摂食障害、円形脱毛症といったうつ病の症状を患いながら、何を支えに提訴し和解にまで漕ぎ着けたのか。どんな思いで職場に復帰したのか。その思いを語ってもらった。
なお、ツクイは女性活躍推進企業として「なでしこ銘柄」に2014年3月に選定されている。
【裁判の経緯】
●西原ゆかりさんは結婚して8年、子どもを授かることを諦めていた。ところが2013年7月妊娠していることが分かり、直ぐに職場の所長(女性)に報告した。
●9月中旬の所長との面談で「妊婦として扱うつもりはない」「妊娠は関係ない」「制服も入らない状態でどうやって働くの!」「子どもを抱えて働くリスクを背負えるのか」「一生懸命働かなければ辞めてもらう」「雇用の更新はない」などと所長より言われた。
その後パワハラも酷くなり、所長に話しかけても何も答えてもらえず無視される。他のスタッフには新しい制服が支給されたが、西原さんには制服ももらえず古い制服のままだった。給与改定の面談も西原さんには実施されなかった。
●酷いいじめを受ける中、12月に西原さんは切迫早産になってしまう。施設を利用するお年寄りの入浴介助や階段昇降の補助などは医師より禁じられ軽減作業を求めたが、職場がそれを認めず、今までと変わらない働き方を強いられたからだった。
●2014年2月に長女を出産
●「やっと子どもを授かったのに、妊娠は悪いことなのか」と悩むようになり、やがて仲が良かったスタッフからも無視され、精神的にも追い込まれた西原さんは、2014年3月にうつ病と診断される。症状としては記憶喪失や摂食障害、円形脱毛症などがあった。
●職場の状況を会社に何度も相談するが「マタハラの事実はない」とされ、裁判に踏み切ることになった。
●2016年4月19日地方裁判所にて判決。原告側である西原さんが勝訴。しかし、判決内容を不服とし会社が控訴。後に、西原さんも控訴して高裁へ。
●2016年9月28日高等裁判所にて和解が成立。
(西原さんへの取材をもとに作成)
●妊娠・出産・子育てしながら働けると会社に証明したかった。
小酒部:私がお誘いした、厚生労働省のストップ!マタハラのキャンペーンに合わせた被害者による記者会見で顔出し名前出ししてくれたのはどうして?
西原:あの時は、介護の世界にもマタハラがあると広く知って欲しかったし、顔出し名前出ししないと嘘を付いているようで嫌だった。自分は間違ったことをやっているわけではないと思っていたので。
小酒部:勇気が要ったでしょ?
西原:あまりそれに関しては深く考えていなかった。
小酒部:バッシングは怖くなかった?
西原:その時は無我夢中で何も考えなかったですね。
小酒部:自分の身については後先考えないくらい、思いの方が上回った?
西原:はい。怖さとかは全くなかった。それよりも、マタハラ問題をなくしたかった。子どもができたことで(仕事を)辞めさせられるのは間違っていると思ったので。それ以外のことは何も考えていなかった。
小酒部:世の中には子育てと仕事を両方取るなんて欲張りだって声もある。どうして自分の考えは間違っていないと強く思えたの?
西原:今までうちの営業所は、妊娠した方はみんな辞めて行った。離職率も高かった。自分はそういう風にはなりたくないと以前から思っていて。妊娠しても出産してまた復帰して、子育てしても働けると(会社に対して)証明したいという思いがあった。ただ、記者会見の後、どのくらい認知されたかを知りたくて、ネットを一度だけ見てしまって。酷い言葉の数々に2~3週間夜なかなか寝付けなかった。
●死にたいくらい辛かった。勇気をくれたのはお腹の子ども。
小酒部:うつ病はいつから?
西原:うつ状態の診断は2015年1月。その後2月に出産で3月にうつ病になった。
小酒部:うつ病を発病したのは妊娠して職場から嫌がらせをされたから?それとも、裁判しなければならなくなった大変さから?
西原:妊娠した途端、所長(女性上司)や同僚の介護スタッフから無視されて、悩んだ挙句発症したものと考えている。裁判となったのは、その当時の統括の方(男性上司)から「裁判でもなんでもしたらいいじゃない」と言われて。夫婦で「会社の所長や統括から嫌がらせをされている」と会社に相談したのですが、会社の回答は「嫌がらせなどは全くない」という回答で話が平行線だった。
小酒部:その後どうしたの?
西原:色々な外部機関に相談した。最初は区役所の保健師さん。「母性健康管理指導連絡事項カードがあるから、それを会社に提出するといいよ」と言われた。医師の診断書も提出したけど、軽減作業してもらえなかった。連合が発行しているマタハラ手帳を会社に見せても「そういう事実はない」とシラを切られてしまった。北九州地域労働組合と一緒に会社に団体交渉もしたんですけど、解決の目途が立たなかったので裁判に踏み切った。
小酒部:結局、会社から事実が覆されてしまい心も塞いでしまった。その心理状態でも裁判しようと思ったのはどうして?
西原:死んでしまいたいと思うくらい毎日すごく辛かった。所長に挨拶しても返してくれない、何か話しても無視される。情報共有してもらえず自分の知らないことばかりが増えていく。自分は何のためにここにいるんだろうと悩んだ。そのうち、夜中にふと目が覚めて、色んなものを無意識に食べるようになった。自分がお茶を沸かしてちゃんと火も消しているのだけど、なぜお茶が沸いているのか記憶がなくなる症状も出るようになった。最終的には「子どもなんて妊娠しなきゃよかった」と毎晩自分のお腹を強く叩いてしまった。利用者さんを送迎中に送迎車がこのまま前の車に突っ込んで、自分なんて消えてなくなってしまえばいいと考えたりもした。
小酒部:それは辛かったですね。
西原:そんなときに決まってお腹の中から蹴られるんですよ。赤ちゃんが「自分は生きたいんだ」「お母さんがそんなでどうするの!私は外に出たいのに!」と言っているようで。まだ外に出て来てもいない子どもからすごい勇気をもらった。
【裁判の結果】
●2016年4月、地方裁判所の判決内容
所長の言動は、社会通念上許容される範囲をこえているものであって、妊産婦労働者の人格権を害するもの。職場環境を整え、妊婦の健康に配慮する義務に違反する不法行為責任があり、会社は使用者責任及び就業環境設備義務に違反する債務不履行責任がある。35万円の支払いを会社に命じるという、原告側西原さんの勝利判決だった。
しかし、判決内容を不服とし会社が控訴。後に、西原さんも控訴して高裁へ。
西原さんが控訴した理由は、マタハラをしても35万円支払えば、マタハラしても大丈夫・良いのだという気持ちを使用者側に持って欲しくない。また、労働者側にもマタハラされても35万円で解決されてしまうという不安感を持って欲しくない、という思いから控訴に至った。
●2016年9月、高等裁判所の和解内容
高裁での和解内容は、口外禁止条項が和解文の中にある為、公開できない。
●記者会見より勇気が要った職場復帰。子どもの写真に勇気をもらった。
小酒部:顔出し名前出しで被害者が声を上げられない、一番のストッパーは何だと思う?
西原:それはパートナーだったり、家族だったり、周りの人の目を気にしているからだと思う。実際自分も記者会見するとなった時、自分の親はすごく反対した。「働いてきた会社と闘って何になるのか?」と。周りの人からも「なんでそんなことするの?」と。裁判している途中でも「その会社を辞めて転職すれば?」と言われたこともあった。でも私は「そうじゃない、この会社で働き続けたい」と思って。
小酒部:訴訟を終えて裁判した会社に復帰するのはすごいことだと思う。記者会見した勇気と、職場に復帰する勇気とどちらが勇気を使った?
西原:職場復帰ですね。
小酒部:そうだよね。私もすごい勇気だと思う。勇気を使わないとならなかったのはどうして?
西原:職場に戻るとき、私の知っているスタッフが6人しかいなかった。あとは新しく入った人たちばかり。だから、職場がどんな雰囲気になっているか分からなくて怖かった。スタッフだけでなく利用者さんも裁判していることを知っている人は結構いたので、自分を受け入れてもらえるのか不安が大きかった。
小酒部:復帰してすぐにフルタイムで働いたの?
西原:復職プログラムというのを作ってもらって、短い勤務時間からスタートして徐々に時間を延ばしていった。利用者さんは復帰したことを喜んでくれた。けれど、スタッフとは最初上手く人間関係を築くことができなかった。初めの3ヶ月くらいは悩んだ。どういうふうに打ち解けたらいいか分からなかったし、自分も壁を作っていた部分があった。
小酒部:そこからどうした?
西原:新しい所長との毎月の面談で「みんながどう接したらいいか分からないと言っている」と言われた。そこで、自分から話しかけていけば相手も心開いてくれるかなと思って。自分がうつ病になった原因もそこだった。周りとの会話がなくなり、自分の殻に閉じこもってうつ病になった。そこを自分で乗り越えないといけないと思って。
小酒部:どうやって乗り越えた?
西原:休憩室で一緒にご飯を食べるとき、どうしても会話に入っていけないことがあった。スマホに入れている子どもの写真を見ながら「がんばってみよう」と。子どもの写真に勇気をもらって、写真に話しかけたりしていた。
小酒部:今はどう?
西原:すごい仲良くなったというわけではないけど、普通に話せるくらいにはなっている。
小酒部:このままツクイで働き続けることはできそう?
西原:今の様子なら働けると思う。
小酒部:これからツクイでどんなことがしたい?
西原: 利用者さんに対する体制づくりに貢献していきたい。何かあるたびにバタバタしているので、利用者さんが「ここに来てよかった」と心から思える環境にしていきたいと思う。それから、この会社で妊娠したスタッフが出たら、「この会社はマタハラなんてないよ」「妊娠したからって辞めなくていいんだよ」とも言って行きたい。
小酒部:後に続く女性たちを守りたいんだね?
西原:はい。それが、この会社で自分が働き続ける意義でもあるので。
小酒部:ツクイでの仕事が好きなんだね。
西原:好きですね。介護の仕事は、人のためになる仕事だと誇りに思っている。
●勇気は誰かと一緒に作るもの。一人じゃないと思えた時、勇気が出た。
小酒部:裁判後、上司にあたる女性所長はどうなった?
西原:別の事業所に異動になって、今もそこで働いている。彼女は独身で、初めて妊娠した労働者を抱えるという状況だったので、すごい戸惑いがあったのだと思う。
小酒部:その所長の女性も辞めずに働き続けてよかった。彼女が辞めてしまったら、今度は西原さんが苦しむことになる。難しいのは、被害者は辛いけれど被害者であり続けないといけない。怒りを振りかざし過ぎると、今度は加害者になってしまう。そこのバランスが非常に大切。
西原:お互い働き続けるのがベストですよね。
小酒部:今回の出来事は今までの人生で一番勇気を使ったと思うが、勇気ってなんだと思う?
西原:勇気は自分ひとりで出来ることではなく、誰かと一緒に作るものだと思う。実際、自分が復職するときも労働組合の方とか国民救援会の方とかが応援に来てくれて、朝から激励の言葉をいただいた。すごく緊張して手も足も震えている状態だったのに、自然体で仕事に望めるくらいまで落ち着けて。そのくらい励ましてもらった。「私は一人じゃない」って心から思えた。
小酒部:なるほど。勇気とは色んな人からもらえるエネルギーみたいなものかな。娘さんもお腹の中から勇気をくれた一人だね。
西原:はい。マタハラと闘っているときも娘からパワーをもらったけど、今も仕事から帰って「おかえり」と娘に言ってもらえると「1日がんばって来てよかったぁ~」と思える。
小酒部:西原さんは妊娠7~8ヶ月頃に切迫早産になっているよね。お腹のなかの娘さんもよく頑張ってくれたね。
西原:産まれて来てくれたときは、「本当ありがとう」と涙が出た。
小酒部:この経験を通じて、今はどんなふうに感じている?
西原:会社に「マタハラなどという事実はない」と言われ続けたときは、見放されている気がして、もう人なんて信じないと思ったけど、最終的には人に支えられているなと今は思える。
小酒部:最後になにかメッセージはある?
西原:もしマタハラに遭ったら、一人で悩まないで周りの人とか色んな人に相談できる環境を築いていって欲しいな思うと。一人じゃできないけど色んな人の力を借りてだったら、自分の考えや思いを発信できると知った。私は今回の経験をしたお蔭で、色んな人と出会うことができた。
小酒部:行動を起こすと、また別の出会いがあるということだね。
あなたの会社にも、後に続く人たちのために声を上げてくれた名もなき勇者がいるかもしれない。
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