芸術が超えてはいけない境界線はあるのか。警察に通報されたノルウェーのムンク美術館の挑戦
『叫び』を描いた画家エドヴァルド・ムンクの作品を数多く所蔵するムンク美術館が、変換期を迎えている。その舵取りは、挑発的・斬新であり、そして物議を醸すものだった。今回の騒動で、ノルウェーという国でのムンクの存在の大きさ、芸術とメディアのあり方の面白さが浮かび上がった。
ぺドフィリアの言葉がついてまわる芸術家とムンクを並べる
事の発端となったのは、2015年1月31日から4月12日に開催されていた「メルゴール+ムンク」展だ。他のアーティストとムンクの作品を並べて「共演」させようという初の試みで、その第一段目の展示だった。ノルウェー出身のビャルネ・メルゴールは、現在ニューヨークを拠点に活動し、ノルウェーを代表する現代で最も重要なアーティストの1人として評価されている。
メルゴールには、黒人女性が「椅子」となった作品「チェア」をはじめとして、「差別的だ」と批判されがちな作品も多い。特に、幼児・小児に性的興味を持たせるようなヴィジュアルを使用することもあることから、メルゴールが評価される際には「ぺドフィリア」という言葉がくっついてまわることもある。
「子連れにはおすすめできない」
芸術家はどこまで倫理的・道徳的な一般常識を踏み外すことが許されるのか、メルゴールは物議を醸しやすい人物でもある。展示初日、地元の最大手アフテンポステン紙などには次のような見出しが載った。「子連れにはおすすめできない」。
この日から、国中を巻き込む芸術の議論が幕を開けた。
Foto: Vegard Kleven / Exhibition "MELGAARD+MUNCH" at the Munch Museum
メルゴールの作品には、裸体、性行為や性器を強調させるイメージ、そして解釈によっては子どもへの暴力、小児性愛や人種差別を連想させるものがある。そのセンセーショナルな作品を、「我らが偉大なるムンク」の作品とコラボさせたことに、眉をしかめた芸術評論家、メディアの記者が多かったのだ。
警察に通報!
批判された作品群のひとつに関しては、なんと誰かが警察に通報。問題となったのは、「All Gym Queens Deserve to Die」というビデオ映像の中に、大人の男性が1才の少女の手と腕を丸ごと口に入れてしゃぶっている実写シーンだった。最終的に、警察は問題なしと判断。
ムンクの作品はすでにオスロ市に寄贈されているものだが、ムンクの末裔にあたる家族も黙ってはいなかった。「美術館側から説明を受けたい」とコメントを出した親戚の怒りの表情は、地元メディアに大きな写真とともに取り上げられた。写真上で、その親戚が手にしていたのは、美術館の「展覧会カタログ」だ。実は、カタログも問題点となっていた。
男性性器と裸の少女のコラージュ
カタログは写真が中心となっており、両氏の作品がハサミで切り取られた切り絵のようにバラバラにされている。例えば、その中で、ムンクの作品『思春期』の絵と、メルゴールが手がけた男性性器の大きな写真が、1枚の写真としてコラージュされている。『思春期』は、裸の少女が不安そうな顔でベッドに座っている絵だ。その組み合わせで、見る人が何を頭に思い描くかは、ご想像にお任せする。
展示で何が批判されてきたのか、例を挙げるとキリがないのだが、保守的そうなムンク美術館の方向転換は、異例といえるほど、数か月にわたって国内で大きな注目(批判)を浴びていたことは間違いない。それは決して、ポジティブな目線で伝えられているものではなかった。
記録に残る訪問者数
ムンク美術館に直接問い合わせたところ、騒動を巻き起こした今回の展示期間中の訪問者数は、3万5,500人。前年の同時期頃に開催された過去の展覧会の訪問者数は、約2万人だったということなので、異例の訪問者数を記録したといえる。
「一般市民」は嫌がっていたのか?
実は、今回のメディア騒動を傍観していた筆者は、ある疑問をずっと感じていた。メディアは美術館の試みが、いかにもスキャンダルのように伝える。しかし、美術館側がどれほどの苦情を、「一般市民」から届けられているかの報道はしない(ノルウェーにはもともとそこを基準にニュースを伝えない文化がある)。
メディアや美術界で騒ぎのネタとなっていることは肌で感じたが、国民の大多数にあたる「一般市民」から、本当に批判が殺到しているのか?と疑問だったのだ。
10件しかクレームがきていない!
展示も終わったので、ムンク美術館の広報担当に問い合わせた。なんと、「10件しか苦情のメールが届いていない」という。「子どもの教育に悪影響」という報道批判も目立っていたのだが、恒例行事となっている7年生(12歳)の社会科見学をキャンセルしたのは1クラスのみで、残りの1000人以上の生徒は展覧会を予定通り訪れたそうだ。Facebookページなどでも批判コメントは殺到していない。「ノルウェーのメディア、なぜこの状況で、祭りのようにあそこまで大げさに騒ぎたてたのだ」、と正直思う。
一部の肩書きがある人たちの意見が、世論を代弁しているかのように報道される。今回はその典型例だなと感じた。ひとつの美術館をここまでメディア権力で報道批判する必要はあったのだろうか。
批判されたが、話題性としてはよかった?
ノルウェーでは新ムンク美術館がどこに移転するかというのは、数年にわたり大きな議論となっていたが、「”展覧会”がここまで大きな注目を集めたのは、初めてで驚いた」と美術館広報のイッテ・シルブレッド氏は回答した。
4月8日には、ムンク美術館で専門家などを招いた討論の場が設けられた(一般公開)。美術館側がこのような討論の場を企画したのは、過去にいつだったかスタッフも記憶がないという。
刺激的なメルゴールの起用に、問題点があることは認めつつも、おとなしくなりがちな伝統ある美術館が、運営のあり方を変えようとする姿勢に期待をもつ人は多い。
- 「カタログの議論って、そこまで大事ですか?ただの紙じゃないですか」
- 「それよりも、このコラボ企画の共演者リストに、女性アーティストがいないのね。男女平等じゃないわ」
- 「キュレーターの役割についてもっと議論すべき。ここまで自由にさせていいものか?」
- 「『思春期』だって問題があるけど、誰もそこを指摘しませんね。40代の男性が、10代前半の裸の少女をモデルにして描いたであろうものですよ?私たちはムンクの絵に対して、受身で寛容すぎるのでは?」
- 「ムンクへの思い入れはノルウェー人は強いけれど、個人的な感情と、専門家としての客観的な判断は切り離すべき」
- 「展覧会の内容を“理解するのが難しい”と感じる訪問者を笑ってはいけません。コミュニケーションがしっかりできていないから、今回の騒動があるのです」
ジャーナリスト、大手美術館のトップ、美術史の専門家、ムンク美術館関係者が一緒に座ったテーブルからは、面白い意見が続々と出てきた。
今回の展示のキュレーターであったラーシュ・エーリクセン氏は、「劇作家イプセンの昔の劇を、新しいかたちで解釈して上演することが普通に許されているように、我々も実験的な美術館であろうと思います。真面目で、イメージの重い美術館であると同時に、メルゴール氏のようなアーティストとも関わっていきます」と宣言。
討論の最後に、傍聴していたムンク美術館の代表であるステイン・オーラヴ・ヘンリクセン氏は次のように述べた。「ムンク美術館はこれからさらにオープンになり、前進していきます」。ノルウェーを代表する伝統的な美術館が今、保守的な安全路線から外れ、新しい道を開拓しようとしている。美術界・市民・メディアが、ぶつかり合いながらも、美術館のあり方とムンクの未来の道を探っていこうとする、この熱い姿勢。ノルウェーの人々のムンク愛の深さを感じた数か月だった。
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Text: Asaki Abumi