蒼井優が国家にNOを突きつける女性を熱演する『アンチゴーヌ』で日本を巡る。
蒼井優はだめな女を演じると輝く
最近の蒼井優の活躍が目覚ましい。
映画『ミックス。』(古沢良太脚本 石川淳一監督)ではバイプレイヤーとして。徹底したカタコト日本語の再現力で中華料理店店員役を演じ、コメディリリーフとして映画を活性化させた。
テレビドラマ『ハロー張りネズミ』(TBS 17年)では霊能力者役、『先に生まれただけの僕』(日本テレビ 17年)では真面目な高校教師役と、キャラクター性の強い役を的確に演じることのできる蒼井優が本領発揮するのは、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した『彼女がその名を知らない鳥たち』(白石和彌監督)のような「だめな女」ではないかと思う。(☆3月2日に最優秀主演女優賞を受賞した)
「だめ女」と一口に言ってもピンとこない方がいたとしても、蒼井優が男の俳優だったら、魅力的なだめ男を演じているといえばご理解いただけるのではないか。映画では、生理的に好きになれない男にしぶしぶ世話されている、男運のない(男を見る目のない?)女をじくじくと好演している。
代表作のひとつである『百万円と苦虫女』(08年 タナダユキ監督)などもそうで、社会的にだめなレッテルを貼られそうな生き方をしながら、どこか飄々として、背徳感を背負いながらも愛らしい人物を演じると、蒼井優は圧倒的に輝く気がする。
『花とアリス』(04年 岩井俊二監督)のバレエ少女のように一見、ふわっとおとなしそうに見えて、肝っ玉の大きいたくましさを内包していそうな俳優・蒼井優は、映画やドラマだけでなく、舞台でも才能を爆発させている。
主演舞台『アンチゴーヌ』は東京公演を1月で終え、2月3日からは長野、京都、愛知、福岡をツアーでまわるところだ。
その舞台について、見られなかった方にも、これから見たいと思う方にも、紹介したいと思う。
もう見た方は、振り返って噛みしめる手立てにしていただければ。
NOと言える蒼井優
『アンチゴーヌ』はギリシャ悲劇をもとに、フランスの作家・ジャン・アヌイが書いて、第二次大戦中、ドイツ軍にフランスが占領されていたときに上演した戯曲で、体制にNOをつきつけ、己の信じる道を突き進む若き女性・アンチゴーヌが主人公。
ギリシャ悲劇、アヌイ、占領下に書かれたというような歴史的背景はちょっと置いておき、主人公が求める“幸福”の形は、現代にも通じる大事なもの。いや、むしろ、多くの生活者たちが幸福に迷う今こそ考えるべきことが描かれている。劇中、語られる“幸福”に関することばの数々は、黒ひげ危機一発ゲームのナイフが何本も刺さるように見る者を容赦なく刺してくる。
舞台はギリシャの都市・テーバイ。圧倒的な支配を誇ったオイディプス王が亡くなり、そのあとを引き継ぐはずのふたりの息子・エテオークルとポリニスが王座を争い討死にしてしまった。代わりに王となった義弟のクレオン(生瀬勝久)は、義兄と違って、地道な幸せを求めるタイプだったが、国の決まりに従って、エテオールを手厚く葬り、外国と手を組んだポリニスを裏切り者として埋葬せずに野ざらしにするという刑を与える。
その仕打ちに疑問を感じたポリニスの妹・アンチゴーヌ(蒼井優)は、禁を犯してまで兄の遺体を埋葬しようとして、捕まってしまう。
彼女に待っているのは、死刑だ。
なぜ彼女は、罪になるとわかりながら兄の遺体を放っておけなかったのか。
これもひとつのだめな女?
姉のイスメーヌ(伊勢佳世)、乳母(梅沢昌代)、恋人エモン(渋谷謙人)、クレオン(生瀬勝久)、衛兵(佐藤誓)……とアンチゴーヌは向き合って語り合い、自分の思いを語り続ける。
全員、とっても饒舌(衛兵だけは、ちょっと違う存在)。
身内、世話を燒いてくれる人、恋人、絶対的な権力者……誰がどれだけ言葉を尽くしても、アンチゴーヌは自分の意見を決して曲げない。そもそも、亡くなった人なのだから、どんなにその人としての尊厳が損なわれようと、自分の命を晒してまで決まりを破る意味があるのかという理屈から、最後の最後にアンチゴーヌを大きく揺るがすクレオンの衝撃の話に至るまで、彼女はすべてを否認していく。単純にいったら「NO」を突きつけるのだけれど、SNSが炎上するように相手を罵るのではなく、自分はこう思うのだということを、言葉を尽くして相手に伝えていく。ときにストレートに、ときに詩的に。
王家の血筋とはいえ、痩せっぽちの、弱冠二十歳の女性を演じる蒼井優は、休憩なしの2時間10分、公演の半分近くしゃべっているのではないだろうか。
曲げない意思の強さは、蒼井優のむき出しの腕や脚や首筋を貫く細くてコツっとした骨格が表しているよう。足の指一本一本までに意識が行き届き、それが、頭の先から爪先まで、台詞が詰まっているように見える。蒼井の肉体と言葉が溶けあわせ、エネルギーの塊となって静かにまっすぐ、樹氷のように立ち上る。すっと伸びた背骨を通って口をつく声は、ただただ清々しく響く。
あまりにも蒼井優の芝居が健気で、応援したくなるが、冷静に考えたらアンチゴーヌは損な生き方をしているようにも見える。この役だって蒼井優「だめな女」シリーズのひとつとも言えるだろう。ごくふつうの幸せを求めて生きるクレオンのほうが共感できるような気もする。演じる生瀬勝久が、仕方なく王になったものの、アンチゴーヌに情もある、迷える人間を演じるものだから、余計に。
それでも、クライマックスのクレオンにぶつけるアンチゴーヌの、ふつうの幸せに対する呪詛のような言葉は決して、間違ってはいないとも思える。
私たちはなぜ生きるのか
私は何のために生きてるのか。いま、そんなことを口走ったら、厨二病と笑われそうな、そんな問に対する答えを、芝居が終わっても、持ち帰って考え続けることになるような、どっちが正しいかわからない物語のステージは、十字になっていて、観客は、十字を東西南北に囲む四角い部分、四ヶ所に座る(美術:伊藤雅子)。
一般的に舞台は、プロセニアム・アーチという額縁のような様式が多く、前から後ろの席まで、距離は違えど、だいたい見えている画は等しいものだが、『アンチゴーヌ』の舞台は、座った場所で、見えるものが全然違うという偶然性を楽しめる。クレオンが近くに見えたり、アンチゴーヌが近くに見えたり、彼らが背を向けていたり、正面を向いて見えたり、座った場所の差異によって抱く印象の変化は、世界そのものではないか。
こういう体験は、作り手の意思で見えるものが決められて、四角い画面に収められた映画やドラマにはない、舞台だけの楽しみ方だ。
パンフレットによると、演出家の栗山民也は、この十字を「交差点」に見立ているそうだ。
人間が出会い、語り合い、そこから何が生まれるのか。
戯曲のなかでは、幸福とか希望とか悲劇について、シニカルな言葉もあるけれど、交差の果てに、希望はあるのだろうか。
アンチゴーヌ
作:ジャン・アヌイ
翻訳:岩切正一郎
演出:栗山民也
出演:蒼井優、生瀬勝久、梅沢昌代、伊勢佳世、佐藤誓、渋谷謙人、富岡晃一郎、高橋紀恵、塚瀬香名子
東京
2018年1月9日 (火) ~2018年1月27日 (土) ☆終了
新国立劇場 小劇場<特設ステージ>
長野
2018年2月3日 (土) ~2018年2月4日 (日)
まつもと市民芸術館〈特設会場〉
京都
2018年2月9日(金)~2018年2月12日(月・祝)
ロームシアター京都 サウスホール〈舞台上特設ステージ〉
愛知
2018年2月16日 (金) ~2018年2月18日 (日)
穂の国とよはし芸術劇場PLAT・主ホール〈舞台上特設ステージ〉
福岡
2018年2月24日 (土) ~2018年2月26日 (月)
北九州芸術劇場大ホール〈舞台上特設ステージ〉