『蜘蛛ですがなにか?』は蜘蛛に転生したJKの白熱のバトルを描く!…だけでなく人生の機微もある!?
2021年1月からTVアニメがスタートした『蜘蛛ですがなにか?』は小説家になろうに2015年5月から連載され、同年12月からカドカワBOOKSにて書籍版が刊行されている馬場翁の小説を原作とする。
いわゆる異世界転生ものだが、主人公の女子高生が蜘蛛になって生きぬかなければなくなる点が特徴だ。
■集団転生して姿を変えた元・高校生たちを描く群像劇(蜘蛛子、最強を目指す)
正確にはひとりだけではなく、日本のある高校で授業を受けていたクラス全員が次元魔法を食らって死亡、異世界へ転生する。
大半はヒト型種族に、一部はペットの竜などになるが、主人公は地下迷宮の蜘蛛(通称・蜘蛛子)になり、孤独にモンスターと戦わねばならないサバイバルを強いられる。
カフカ(または芥川龍之介?)的とも言える設定だが、実際に展開される物語は「世界の管理者を倒す」ことを目指して強くなることを目標に、より強い的を捕食していくという『ドラゴンボール』的なバトルものである(蜘蛛子の動機は単純である)。
一般文芸でも蜂を主人公にした百田尚樹『風の中のマリア』などは一応あるが、「なろう」では本作や伏瀬『転生したらスライムだった件』のように異形の存在に転生したファンタジーでもそれなりにポピュラリティを得て、サブジャンルとして確立されている。さすがなんでも擬人化して神や妖怪にしてきたアニミズムの国らしいと言うべきか。
■『転スラ』との類似点と差異
そもそもこの作品は『転スラ』を読んだことがきっかけで書き始められたものだというが、いくつか共通点と相違点がある。
本作も『転スラ』も主人公は初期設定では弱そうに見えるが、本作なら蜘蛛の素早さと糸のスキルを駆使し、『転スラ』なら食べた相手の能力を吸収することで徐々にのし上がっていく。
一見最弱から始めて最強に転ずるのはラノベ定番の展開だ。
ただ『転スラ』とは異なり、蜘蛛子は集団を組成して大きくしていくわけではない。
ともあれ、蜘蛛が主人公という企画は普通、商業出版の編集会議では通らないだろう(ウェブ小説が登場する前のラノベならまず、通らない)。こういう作品を作家に書かしめ、無数の読者の目に触れさせた投稿サイトがサブカルチャーにもたらした大きさを感じざるをえない。
この蜘蛛は、強いが孤独である。
転生前は家庭崩壊、学校でもぼっちと居場所がなかった主人公は、異世界に来てもピンで生き抜く。
対照的にクラスの面々は異世界で学校に通い出すなど、リア充ぶりを発揮し始め、そこだけ比較すると切なくも感じられるが、蜘蛛子はさびしく思って感傷的になるよりも、敵をいかに倒すかに夢中で、ぼっちであることを基本的に気にしない。
ダンジョン内で捕食した毒ガエルや巨猿などはだいたいまずく、美食ライフを漫喫する『異世界居酒屋“のぶ”』や『とんでもスキルで異世界放浪メシ』などのなろう系のグルメものは一線を画している。
むろんその状態がずっと続くわけではないが、ようやく出会えた最初のうまいものはナマズである。
■ファンタジー文学定番の主題「世界の謎」+「自分の謎」も扱う
蜘蛛子たちは明確に何かのゲームの中に転生したとは言われていないが、スキルを使った分だけステータスやレベルが上がることからゲームのようだという感覚を抱く。
主人公はあるスキルを授かった際に、エドモンド・ハミルトンのSF小説『フェッセンデンの宇宙』よろしく、この世界はどうやら何者かによってつくられたものであり、自分はその登場人物にすぎないのではないかと思い至る。
しかも上位存在はひとりではなく、上位存在同士で牽制しあっている。
蜘蛛に特別なスキルを授けた、“邪神”を自称する「管理者D」は、スマホを使って蜘蛛に語りかける。
蜘蛛に転生するという変化球的な始まりながら、ファンタジー文学定番の主題「この世界は何なのか? 何のために存在しているのか? この私の生きる意味とは?」という「世界の謎」「生の意味」に斬り込んでいく。
『ドラゴンボール』的な最強を目指す物語であると同時に、カフカや芥川的な問いも投げかける。
■クラスメイトが離散し、再び交錯するときにはあまりに姿を変えているという人生の真実
主人公は成長し、新たな能力獲得に酔いしれる一方、誰かを殺すための力が強くなっていくことに恐れを抱く。
この世にひとりしかその称号を与えられない「勇者」になったことに苦悩する転生者の人間も現れる。
あるいは、前世は男だったが公爵令嬢に生まれかわり女体に興味を持たなくなる者、その世界の宗教に目覚めて敬虔な信仰を獲得する女子まで登場する。
そしてかつてのクラスメイト同士で異なる勢力、異なる種族に属し、徐々にすれちがい、時に対立を深めていくことになる。
人間を含めたあらゆる生物は、遺伝と環境の相互作用で個性を獲得していく。
転生ものでは、遺伝子もそのひとを取り巻く環境も持っていけない。
引き継げるのは記憶だけだ。
だからあたらしい身体と頭脳(遺伝子)を手に入れ、生前とは異なる環境、ルールに置かれたキャラクターたちは、人格がどんどん変わっていく。
この作品はそういうラディカルな人格変容を描いてもいる(ただ、蜘蛛子は襲われていた人間を助け、会話もできないが、回復魔法をかけてやる。転移したあとでは人間を殺してもなんとも思わなくなる丸山くがね『オーバーロード』などとはこの点が異なる)。
『蜘蛛ですが、なにか?』というタイトルだが、本作は蜘蛛だけにフォーカスをあてた物語ではない。それぞれに違った個性をもち、さまざまな思惑と戸惑いに満ちた複数のキャラクターが並行して動いていく群像劇だ。
中高時代のクラスメイトたちは、たとえそのまま大人になっていたとしても、おそらくほとんどはバラバラになり、それぞれまったく異なる人生を歩んでいただろうが、異世界転生というギミックを挟むことによって、それが前倒しになった、とも言える。
バトルものとしてのおもしろさが第一にある作品ではあるものの、ファンタジー設定を挟むことで、同じ場所にいて時間を共有していた人間たちがその後いかに遠ざかり、すれ違っていくのかという、誰もが経験する人生のありようについて一歩引いた視点から描いたものとしても読める。