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アンミカ、貧乏だった時代は私の誇り

中西正男芸能記者
貧乏だった頃の話を笑顔で話すAHN MIKAさん

モデルとしてパリコレに出演し、女性が憧れる女性の代表格ともなっているAHN MIKA(アン・ミカ)さん(43)。2013年には制作会社社長の米国人男性と結婚し、華やかなセレブのイメージもありますが、最近は他の追従を許さないモーレツ貧乏トークでも新たな顔を見せています。美について、ファッションについて、そして、貧乏について。どんな話題も満面の笑みで話すAHNさんの“根っこ”にあるものに迫りました。

今から1年半ほど前ですね。最初は「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ系)さんから出演依頼が来て、そこで初めて“貧乏トーク”をさせてもらったんですけど、そこからお仕事もガラリと変わりました。

別に、貧乏話を隠していたわけでも何でもないんです(笑)。むしろ、大阪にいた時は新聞配達をしながらモデルをやっていたという話はよくさせてもらってましたしね。

ただ、「魔女たちの22時」(日本テレビ系)という番組でよく東京に来させてもらうようになり、そこでは韓国ビューティーを語る役割をさせてもらっていた。もちろん貧乏の話をする場面もなく、その頃にダンナ様に出会って結婚もした。そうなると、いつの間にか、セレブキャラみたいになっていて、ますます貧乏話なんてすることからは遠ざかっていた。それが本当のところなんです。誰からも聞かれもしないのに「いや、実は、ウチはすごく貧乏でしてね…」なんて話し出すのもおかしいですし(笑)。

「さんま御殿」がきっかけ

そんな中で「さんま御殿」さんの話が事務所に来て“貧乏”がテーマだと。そこで初めてマネジャーにも「それだったら、私、話ができるかも…」と大阪で暮らしていた時の説明をしたんです。

ただ、私もそういうことで番組に出してもらったことがなかったので「どんな話をしたらいいんだろう…」という戸惑いもあり、収録でも最初は黙って他の出演者さんの話を聞いてました。

そうしたら、皆さん、住んでいたのが2階建ての一軒家だったり、家にお風呂があったり、暖房があったり、私からしたら「え、これ貧乏話をする場じゃなかったの?みんな、メチャメチャお金持ちやん…」となったんです。

ウチは家族7人で四畳半の部屋に住んでましたし、その部屋も他人の家の2階部分を間借りしていたものだった。だから、小学校に入って友達の家に遊びに行くまで、他人の家の居間を通って自分たちの部屋に上がるのがどこの家でも当たり前のスタンダードだって思ってましたし(笑)、18歳までお風呂のある家に住んだこともなかった。大阪・鶴橋の長屋地帯にいたんですけど、周りもそういう感じのおうちが多かったんで、ウチだけが特殊だとは全く思ってなくて。

だから、番組でその話をして、皆さんがあまりにも口あんぐりとなることに、こちらが口あんぐりするような感じだったんです。一口に貧乏と言っても、ずいぶんと“幅”があることをその時に知りました(笑)。

病院に行った記憶がない

他にも、昔は今よりずっとフルーツが高かったんですよね。だから、近所の平野区青果市場に行ったら、ぶつかってちょっと色が悪くなっている果物が売り物にならないからと捨ててあったので、それを拾ってきてみんなで食べてたんです。でも、中でも、なかなか食べられないのがスイカだった。なぜかというと、スイカは当たったところで、色が悪くなったところだけを捨てて切って売れるから、果物屋さんも丸々は捨てないんです。だから、めったに食べられなかった。

また、小さい頃は病院に行った記憶もないんです。病気というのは、死ぬ気で治すもんやと習ってましたし。だから、どうしても具合が悪い時は、病院にかかると診察費が要りますから、ウチの母親が仲良しの病院の先生を外に呼び出して『個人的にアドバイスをもらう』という形をとってました(笑)。それは、正規の診察じゃなくて、あくまでも友達同士の“立ち話”ですから、お金はかからないと…。

こっちは笑わせる意識なんて一切なく、特に変わったことを言っているつもりもなく、ありのままの体験談をしたら、それで皆さんが爆笑するんです。

結果「今週の踊る!ヒット賞」をもらったんですけど、そこで初めて「あ、こんな話って、普通じゃないんだ」ということを認識したんです。

苦労だという感覚がない

そこから、貧乏トークがらみのオファーも来るようになったんですけど、よく言われるのが「AHNさんって、苦労したという空気、悲壮感が出てないよね」ということだったんです。言われると、実際、そうかもなと。というのも、私は貧乏がキズだとも、恥ずかしいことだとも思ってないんです。クリスチャンの家庭だったということもあり、親も清貧ということを誇りに思っていたし、本当に、本当に、愛情たっぷりに育ててもらいました。物はなくとも、楽しく生活をしてたんで、それが苦労だという感覚もない。

周りの方からは「よく、あんなこと告白したね」と言っていただくこともあるんですけど、だって、ホンマのことやもんと。それよりも、エエ格好をするとかではなく、親が愛情たっぷりに育ててくれたからこそ、あったことを何一つ恥ずかしいと思わずにお話ができるし、結果、今の自分があるんだなと思うんです。本当に。

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グレる余裕もなかった…

もし、私の中に後悔があるとするならば、それは親孝行ができていないということだけです。父親も、母親も私がしっかりと仕事をする前に亡くなってしまったので。特に、母親は同じ女性として思うんですけど、今の私の年齢には、もう生きてない。そう考えると、女性として一番いい時期をみんなのために尽くしてくれてたんですよね…。だからこそ、もう直接の親孝行はできないけれども、必ずどこかで通じてると思って、私ももっと頑張らなきゃと思えるんです。

人から見たら不幸と思えることかもしれないけど、私には全くその感覚がない。幸せも、不幸も、結局、自分の心だけが決めることなんだなと、改めて思っています。

もし、今、両親に言うとしたら「ありがとう」だけですね。これと言って反抗期もなかったですし。小中高とアルバイトもするし、家事もするし、勉強もする。だから、反抗なんてしてるヒマがなかったんです。母親に「ご飯よ」と言われて「うるせぇ!!」なんて言ってたら、あっという間に食べるものがなくなってますからね(笑)。だから、グレてる人を見たら「この人、ゆとりがあるんやなぁ…」とうらやましかったですもん。

いろいろお話をしましたけど、私にとっては、これは自分の中のごく一部の話でもあるんですけど、ざっと駆け足でお伝えすると、こんな感じかなと。お話、足りてますかね?

エッ、もう入りきらないくらい、しゃべってます?それやったら、大変、失礼しました…(笑)。

■AHN MIKA(アンミカ)

1972年3月25日生まれ。韓国出身、大阪府育ち。5人きょうだいの次女として生まれ、両親を加えた7人家族が四畳半の部屋で暮らす生活を経験。モデルとして、93年にパリコレに初参加する一方、化粧品プロデュース、デザイナー、エッセイ執筆など幅広く手掛ける。漢方養生指導士、化粧品検定1級、NARD アロマアドバイザーなど多くの資格も持つ。2013年には米国人の実業家と結婚。2009年から韓国名誉広報大使、2013年には初代大阪観光大使に就任する。テレビ朝日系「美女たちの日曜日」、日本テレビ系「ヒルナンデス」などに出演中。近著「アン ミカの幸せの選択力」が発売中。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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