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“ダンソン”から10年。ヒットネタへの愛憎を噛みしめて迎えた「バンビーノ」の今

中西正男芸能記者
「バンビーノ」の藤田ユウキさん(左)と石山タオルさん

2014年に「キングオブコント」決勝で披露したネタ“ダンソン”で一気に注目を集めたお笑いコンビ「バンビーノ」。ブレークから10年が経ちましたが、その月日は「抗った時間」だったといいます。愛憎を噛みしめ、向き合う“ダンソン”への思い。道のりで感じた葛藤。石山タオルさん(39)、藤田ユウキさん(39)が吐露する今とは。

「次がないと終わる」

石山:2014年に「キングオブコント」決勝で“ダンソン”をやったので、今年で10年が経ちました。本当にいろいろなことがあった10年でしたけど、感覚としては「抗った時間」でしたね。

藤田:「人生をやり直すとして、もう一回芸人をやるか?」と言われても、なかなか「うん」とは言いにくいくらい、いろいろなことを感じた期間でもありましたね。

石山:14年に「キングオブコント」決勝で存在を知ってもらい、15年は2年連続で決勝に行って準優勝した。その時でも、まだ印象は“ダンソン”でした。ただ、その頃はまだ「とにかく知ってもらううれしさ」が勝っていたのかもしれません。

でも、それだけではダメだ。新しいものを作らないと終わる。そう考えて、次の一手を模索するんです。

賞レースにも漫才で出ていましたし、違うパターンのネタもたくさん作りました。“ダンソンの次”を求めて必死になっていました。“ダンソン”ではなく「バンビーノ」として認知される。それを目指していたんですけど、それが本当に難しい。

“ダンソン”から距離を置かないと次はないと思っていたので“ダンソン”ありきのお仕事は断っていましたし、一発屋的なお仕事も辞退していました。同時期にブレークした「8.6秒バズーカー」とか「ピスタチオ」はそういう番組に出ているのに「バンビーノ」は出ていない。テレビの方々も「あ、これは断っているな」と感じてらっしゃったと思います。

藤田:とにかく遠ざけてましたね。

石山:ただ、いくら僕らが遠ざけても、やっぱり劇場出番で他の衣装で舞台に出た瞬間、お客さんからガッカリしたようなため息が出るんです。それくらい認知してもらってはいる。だからこそ、次がないとそこで止まってしまう。終わってしまう。どんどん頑なになってもいきました。

そんな中で、状況が大きく変わったのが新型コロナ禍でした。コロナ禍で舞台がゼロになりました。リアルに生活できなくなりました。

新しいネタを考えようが、何をしようが、それを披露する舞台がないと飯が食えない。そして、そんなエンターテインメントに逆風が吹く状況でも“ダンソン”はやっぱりお客さんが喜んでくださる。これってどういうことなんだろう。

“ダンソン”から離れることばかりを考えていたんですけど、よく考えたら大きな財産なんじゃないか。言葉にすると、伝わりにくいかもしれませんけど、そんな基本的なことに改めて気づいたというか。それを心底思ったんです。

公式YouTubeの名前も「バンビーノチャンネル」から「ダンソンチャンネル」に変えました。以前は登録者数が5000人ほどだったのが、コロナ禍明けに「ダンソンチャンネル」に切り替えて11万人になりました。改めて、財産という意味を噛みしめもしました。

今年6月に一回目、今月二回目をさせてもらうファミリー向け、お子さん向けのイベントがあるんですけど、それも“ダンソン”を強く出したものになっています。

「ダンソンさんと大冒険 ファミリー公演~巻き起こせ、ニーブラ旋風ビュンビュンビュン!!~」というタイトルなんですけど「バンビーノ」の文字がなく「ダンソンさん」って自分たちから言ってしまう。一つ、自分たちの中でも実は覚悟を決めた瞬間でもありました。“ダンソン”としっかり向き合うという。

普通、ネタを考える時は長い時間をかけて作っていくんですけど、実は“ダンソン”は15分ほどでできたんです。頭に映像が浮かんできて。まさかこれだけ長い付き合いになるとは思ってなかったですし(笑)、“ダンソン”がなかったら芸人をどこかで辞めていたかもしれないし、家族もいなかったかもしれないし、今の自分は確実にいなかった。そう思うと、本当に大きな存在だなと改めて思います。

自分が生んだものなんですけど、自分が憎み、結局自分が愛する。自分であって自分でないというか、もう一つ“ダンソン”という別人格がいて、そいつに「これからも頼むで」と言えているのが今なんだと思います。

もちろん“ダンソン”以外の笑いも作り続けるんですけど、しっかりと“ダンソン”もバイクのサイドカーのように一体となって前に進んでいく。そんなイメージだと考えています。

続ける意味

藤田:6月から始めたイベントもそうなんですけど、子どもたちの前で“ダンソン”をすると本当に喜んでくれるんです。ギャグとかネタというよりも、ああいうヒーローショーというか、キャラクターとして喜んでくれる。

僕たちが遠ざけていた頃にも、いろいろなSNSで子どもたちが“ダンソン”をやる映像が日々アップされていたんです。それもとことんありがたいことだなと思います。

石山:中学、高校の時に“ダンソン”をマネしてやってくれていた女の子がお母さんになって、お子さんを連れて来てくれる。そんなこともありますし、やり続ける意味を皆さんから教わっている気がします。

藤田:せっかく喜んでくださるものがあるんだから、全国で今回のようなイベントをやっていく。それが近いところの目標です。

石山:ここから60歳、70歳となっても“ダンソン”をやる。だいぶ勢いとスピードは落ちてるかもしれませんけど(笑)、それも楽しみな部分でもあります。

藤田:最後は僕が“ニーブラ”されたまま、パタッと倒れて人生の幕を下ろす。それくらいまで付き合えたら、芸人としては本望だとも思います。お客さんはびっくりするとは思いますけど(笑)。

石山:なんなんでしょうね、とがっていた時期が悪いとは思わないですけど、今は本当に考え方がシンプルというか、フラットになりました。

以前は間違って「“ラッスン”や!」と言われたら、即座に「違うわ!」と返してたんですけど、今は「“ラッスン”だよ」と言ってます。

藤田:そこはシンプルに“ラッスン”ではないけどね(笑)。

石山:“ダンソン”で本当にいろいろなことを経験しましたし、教わりもしました。これからはより一層、良い付き合いができるようやっていきたいと思っています。

(撮影・中西正男)

■バンビーノ

1984年12月10日生まれで愛媛県出身の石山タオルと、85年7月30日生まれで大阪出身の藤田ユウキが2008年にコンビ結成。ともにNSC大阪校30期生、独創性あふれる“ダンソン”ネタで注目され「キングオブコント2014」で決勝進出。15年には「キングオブコント」で準優勝する。石山はブラジルへのサッカー留学が経験あり、藤田は落語家・桂小文枝の甥という顔も持つ。11月15日に東京・セシオン杉並ホールで「バンビーノ」主催の企画ライブ第2弾「ダンソンさんと大冒険 ファミリー公演~巻き起こせ、ニーブラ旋風ビュンビュンビュン!!~」を開催する。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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