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「ワーク・シフト」 ―ひっそりと自分で未来のことを考える本 

小林恭子ジャーナリスト
「ワーク・シフト」の英語版と邦訳版

ふと、世の中の物事の風向きが、あるいは自分の気の持ちようが変わっているのを感じとるときがないだろうか?まるで木の葉っぱが緑からいつしか黄色、そして赤に変わってきたことに、突然気づいたときのように。

一つ一つの変わったことは他人に言うまでもなく、自分の心の中でそっとひそかに感じ取るだけだ。動いていく雲の端をとりあえず手につかんで溜めて置くだけー。

英ロンドン・ビジネス・スクールのリンダ・グラットン教授が書いた「ワーク・シフト」(原題は「The Shift」)を読んだとき、溜めて置いた雲の切れ端が、まるでパズルのようにつながってゆくのを感じた。教授は「パッチワーク」という表現を本の中で使っているのだけれども、ちょっと遠目で全体を見たら、「ああ、こんなでかいことが起きていたのか」と思ったのだ。

もう既にかなり日本で評判になっているようだが、「ワーク・シフト」とは、新しい働き方、つまり人生の生き方を自分で考えてみよう、という本だ。その手助けとして、2025年の近未来で生きる人々の働き方をシュミレーションで描いてみせる。

シュミレーションは単なる想像と推測を基にしたのではなくて、共同研究プロジェクト「働き方の未来コンソーシウム」による調査をベースにしている。プロジェクトには世界中の企業が参加した。

参加企業は、未来を規定するであろう5つの要因(テクノロジーの進展、グローバル化、人口構成の変化と長寿化、社会の変化、エネルギー・環境問題)についてのデータをもとに、「2025年、世界で人々はどのような働き方をしているか」を具体的なエピソード(物語)の形で提出した。その結果がこの本である。

まず目を引くのが本の謳い文句である。「孤独と貧困から自由になる働き方の未来図(2025)」とある。

なんだか素晴らしい未来が待っているようだが、それには、本の題名にもあるように働き方および生き方の面で「シフト=転換」をしなければならない。

そのシフトとは、(1)ゼネラリストから「連続スペシャリストになること」、(2)孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ、(3)大量消費から「情熱を傾けられる経験」へと転換することを指す。

中身を読まずして(1)から(3)を並べられてもピンとはこないだろうが、おそらく、この文章を読まれている多くの方が、自分の働き方に何らかの疑問を持ちながら生きていらっしゃるのではないだろうか?

なぜこれほどたくさん働いているのに正当に評価されないのか、あるいは賃金が安すぎるのか、あるいは仕事と家庭生活とのバランスをどうするべきか悩んだり、どうしてこんなに仕事がつまらないのか、と思ったり。そんな一人ひとりの私たちに、この本はある回答を授けてくれる。

ただ、その「回答」は、一義的には例えば「連続スペシャリストになれ」ということでもあるのだが、それぞれの働き方のエピソードを読み進んでいくうちに、自分のこれまでの働き方を反省したり、「ああ、こういう方向でやっぱりいいんだな」と思ったりする。読む過程で、「自分の心の中に、次第に浮かび上がってくる回答」なのだ。

だから、決まった回答はないにも等しい。自分で考えて、答えを引き出す本なのだ。

2025年の価値観とは

2025年という近未来の価値観はどうなっているのだろう?この本を読むと、実は、2012年の段階で未来の変化のきざしが既に起きていることが分かってくる。

例えば、ネットの急激な進展、お金を稼ぐことや消費に熱中することへの懐疑、社会全体に役立つことを達成しようという考え方、環境への配慮、大企業至上主義の崩壊、会社に張り付くような仕事への拒否感、マイクロ・ビジネスの萌芽などなどー。

私たちの働き方や働くことにまつわるさまざまな価値観は、既にかなり変わっている。例えば、今、「定年までひとつの会社にいられる」と考えている人はかなり少なくなった。もしかしたら皆無かもしれない。どこまでコミットするかは人それぞれとしても、環境保護を考えない人もいないだろう。どうせ何かやるなら、社会の役に立つことを、と考える人も増えている感じがする。

高度経済成長以降の「追いつき、追い越せ」主義はもうすっかりなくなってしまったような感じがする。

1980年代末、ソニーがコロンビア映画を買ったときのように、「日本が世界で一番」になるようにと夢見るような人は、今の日本にいるのだろうか?もしかしたら、まだ少しはいるのかもしれないが、「ナンバーワンにならなくても良い」と思う人も、随分と増えているのではないだろうか。少なくとも、私自身がそうだ。時代の雰囲気が、風向きが変わっている。

お金を稼ぐよりも、もっと違うもの

お金を稼ぐことについての考え方の大きな転換という指摘に、私自身、はっとした。最近、うすうす感じていることだったからだ。

もちろん、お金を稼がなければ(いかなる形にせよ)ご飯が食卓に上らない。しかし、それが最終目的ではないー。

例えば私が良く見ている英国の新聞業界の動きである。あるいはテクノロジー業界の動きでも良い。少し前までは、「稼いで、利益を出して何ぼ」という考え方があった。良いウェブサイトやコンテンツがあったとして、例えそれがどんなに素晴らしくても、「利益を出せなければ、黒字にならなければ、評価されないよ」という考え方が過去にあったが、今はこれが消えた気がする。

代わりに、どこで評価されるかというと、「どんなに面白い、素晴らしい、斬新な、社会の役に立つアイデアか」、という点なのだ。

働くことの新しい目的は?

それでは、お金を稼ぐことをのぞくと、何のために働くだろうか?

それは、「ワーク・シフト」が言っている、あるいは暗示しているのだけれど、充実した、感動する、興味深い体験を自分がすることーこれが自分にとっての働く意味。

その働くことの結果・目的として、社会全体に何らかの良いフィードバックがあることー。実際、私たちは最近、そう考えるようになっていないだろうか?

コラボの世界

そして、働くときに、これまでは自分が一生懸命がんばって、出世するとか、お金をたくさん稼ぐとかが目的だったわけだけど、ある特定の仕事の目的を果たすために、これからは、ほかの人とのいろいろなレベルでの共同作業(コラボレーション)になってゆく。

これもまた、実に自然に、そういう感じがしませんか?

おそらくこれは、インターネットが普及したせいがあるのだろうと思う。有料コンテンツもたくさんあるけど、それと同時に無料のものもたくさんある。みんながアイデアを出し合って、コラボしたり、ヒントを与えたり、授かったりー。これがどんどん、より自然になってくるのだー。

この本を読まれた多くの人が、おそらく、「ひっそりと、気づく」ことがいくつもあるのではないかと思う。

「ワーク・シフト」の著者グラットン教授に、先月、インタビュー取材をする機会があった。これをプレジデント・オンライン用に執筆した。もともとはこのために本を読み出したのだけれど、時代が変わり、価値観が変わり、働き方も変わっていることをひしひしと感じる読書体験となった。

自分の生き方や働き方に少しでも疑問を持っている方は、人生模索の意味で、この本からヒントが見つかるかもしれない。「ヒント」を感じ取るには、アンテナが必要だから、悩みを持っている人ほど、つまりはアンテナをめぐらせている人ほど、大きなヒントが見つかるのかもしれない。

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『ワーク・シフト』著者、リンダ・グラットン教授に聞く「なぜ私たちは漠然と未来を迎えるべきではないのか」(上)

『ワーク・シフト』著者、リンダ・グラットン教授に聞く「なぜ私たちは漠然と未来を迎えるべきではないのか」(下)

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ブロガーのちきりんさんが、10月6日(土)にツイッターでこの本について語り合おうというイベントを開催する。午後8時から10時まで。興味のある方は参加してみてはいかがだろうか?

ちきりんと一緒に 『未来について考えよう!』

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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