なぜ「最長片道切符」が人気なのか? 総距離1万1000キロの魅力
SNSなどで「最長片道切符」の旅のようすをアップする人が次々と現れている。最近でも、最長片道切符を購入しその画像を投稿したものがあり、話題となった。
「最長片道切符」とは、JRの乗車券のルールに則った、もっとも長いルートの乗車券のことである。現在の最長は、北海道の稚内駅と、佐賀県の肥前山口駅を結ぶルート10,998.4キロとなっている。
もちろん、この旅行には何十日もかかる。なぜ、こんな乗車券をつくることが可能なのだろうか。
最長片道切符を可能にする乗車券のルール
乗車券は、一筆書きであれば、どこまでも長くつくることができる。そうなると、鉄道路線上でどこまで長く乗車券をつくることができるかということを考える。
また、乗車券は距離により有効日数が決まっている。近距離では日数は少ないが、新幹線を使って1日で行けるような遠距離の場合でも、何日もかかるようになっている。たとえば東京から博多までの乗車券は、7日間有効である。1800キロまでは10日間有効であり、それより長い距離は200キロごとに1日有効日数が増える。
そして乗車券には、「途中下車」の制度がある。この制度は、乗車券の区間内の駅で改札口の外に出ることが可能という制度である。片道の営業キロが100キロまでの普通乗車券や、各近郊区間内の乗車券、交通系ICカードでない長距離の乗車券であれば、改札で乗車券を見せて途中下車し、またその駅から乗車することができるのだ。日をまたいで途中下車することも可能である。それゆえに駅近くで宿泊できる。
それらの仕組みを利用して、「最長片道切符」は可能なのである。
最長片道切符の旅が流行るまで
1961年に、東京大学旅行研究会のメンバー4名が最長片道切符の旅を敢行した。現在は廃止された古江線(のちの大隅線)海潟駅から、こちらも廃止された広尾線広尾駅までの旅だった。距離は12,145.3キロ。この旅の記録は中央公論社から刊行された『世界の旅』シリーズの『日本の発見』に収録されている。ただし、このときのルートは現在再検討され、長くなるルートが存在していたことが判明している。
『時刻表2万キロ』で紀行作家としてデビューした宮脇俊三氏は、1978年10月から12月にかけて最長片道切符の旅を行った。広尾線広尾駅から指宿枕崎線枕崎駅までの旅だった。この旅のようすは『最長片道切符の旅』(新潮文庫)に記されており、当時の鉄道のようすを知ることのできる書物となっている。この本の存在により、鉄道ファンに「最長片道切符」が知られるようになった。
また国鉄時代は、国鉄バスも含めた最長片道切符をつくることが可能だった。レイルウェイ・ライター種村直樹氏は、国鉄バスも含めた最長片道切符を作り、実際に旅をして『鉄道ジャーナル』にルポを掲載した。ただし、このときの国鉄バスも含めた最長片道切符にはミスがあったことが指摘されている。
コンピューターの普及にともない、最長片道切符を整数計画問題として解くという試みが行われた。東大大学院生だった葛西隆也氏は、整数計画法と全探索という数学的に証明できる方法で経路を探索し、2000年7月から8月にかけて実際に乗車、その手法と旅の記録は『オペレーションズ・リサーチ』2004年1月号に宮代隆平氏との共著で掲載されている。
最長片道切符の旅はテレビ番組にもなった。NHK総合で2004年5月6日から6月23日にかけて、『列島縦断 鉄道12000キロの旅~最長片道切符でゆく42日~』が放映された。出演は関口知宏氏。関口氏を起用した企画が全国ネットのテレビ番組で放映されたことにより、一般社会での「最長片道切符」の認知度が高まっていった。関口氏はのちに鉄道紀行番組の「旅人」として大活躍することになる。
SNS時代の最長片道切符の旅
SNSが普及することにより、最長片道切符の旅をしていることを旅先からネット上に報告し、それが広まっていくという現象が見られている。かつては帰宅後に紀行文を書くしかなかったものが、いまではリアルタイムに状況を報告できている。Twitterユーザー、YouTuberなどが日々の最長片道切符の旅を実況し、多くの人がその旅を応援している。
関口知宏氏の旅は、毎日決まった時間にNHKでようすが報告され、それを多くの人が見るというものであった。それ以上のことが、いまネット上で起こっている。
かつて最長片道切符の旅は、孤独に行うものであった。しかしSNS時代の到来により、多くの人から応援されながら最長片道切符の旅を行うことが可能になった。
鉄道自体、強いコンテンツ力を持っている。その中でも「最長片道切符」は多くの人の関心を集めるようになった。その関心が応援へとつながり、多くの旅人たちは、旅のようすをさらにSNSにアップするようになっている。