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【神戸市】神戸で暮らしていた画家 東山魁夷。その旧居跡を訪ねてみた。心の中にはいつも神戸が・・・

斎信夫(いつき)WEBクリエイター/旅行ライター・エディター(神戸市)

誰もが知る有名な日本画家で、1999(平成11)年に逝去した東山魁夷。その生涯のうちの15年間を神戸で過ごしていたということはあまり知られていません。その神戸在住時の旧居跡が新開地近くにあると聞き訪ねてみました。

その旧居跡の場所は、JR神戸駅から南に徒歩約10分、新開地からほど近い西出町公園付近。公園の角に案内板。公園内の南側には解説板が設置されています。

1908(明治41)年に横浜に生まれた東山魁夷は、3歳から18歳までの15年間を神戸で過ごしました。信成幼稚園、入江小学校、県立第二神戸中学校(現県立兵庫高等学校)と幼少期から少年期までを神戸の学校に通い、東京美術学校日本画科に入学。その後、ドイツに留学し、ベルリン大学で美術史を学びました。

解説板には、15歳の時に描いた自画像も掲載されています。

東山魁夷が暮らしていた昭和初期の復元地図(北方向は左)も掲載されています。

信成幼稚園もこのあたりにあったよう。

入江小学校は1988(昭和63)年3月で廃校になり、跡地には集合住宅が建てられています。

その跡地には、碑とともに、学校にあった二宮尊徳(二宮金次郎)の石像が残されています。この像、昔は学校でよく見かけましたけど、今では珍しい存在ですよね。

当時の復元地図を、わかりやすく上が北になるようにして、現在の地図と比べてみましょう。

水色で「東山商店」と記載されていますが、それがちょうどこの西出町公園の南側、解説板が設置されている付近になります。

この「東山商店」が東山魁夷の実家で、船具を取り扱うお店を営んでいました。

Yahoo!マップより
Yahoo!マップより

解説板にはこんな記述が・・・

入江小学校時代には絵が好きで学習のあいだによく絵を描いており、既に画家を志していたという。中学校になってからは我流で油絵も描くようになったが、異国的な雰囲気のみなとや山が好きで独りで遊ぶことがことに多かった。(解説板の文章より)

また、随筆集「わが遍歴の山河」(1957年出版)には、神戸についてのこのような記述が見られます。

派手好きで贅沢で楽天家であった父と、父の様々な所業に黙々と耐えた母という相反する性格の両親の下、特に母親の苦悩をより敏感に感じながら成長した東山の心を慰めたのが神戸の自然、六甲の山々や陽光明るい淡路島や須磨の海岸であったといいます。

苦しい時、いつも彼を慰めてくれたのは神戸の風光明媚な景色、自然だったようです。

そして、ドイツ留学から帰国し、初めて個展を開いたのも神戸でした。戦後、日本画壇を代表する画家として活躍した東山魁夷ですが、神戸は自身にとって懐かしい地として、そして、画家を志すきっかけとなった場所として、氏の心の中にあり続けたのです。

東山魁夷の作品には、海や山を描いた心に沁み入るような風景画が多いですが、それも神戸での少年時代が影響しているのかもしれませんね。

旧居の建物が残っているわけでもなく、ただ解説板が設置されているだけのところですが、日本画が好きな方、東山魁夷の作品が好きな方はぜひ訪ねてみてください。

東山魁夷の作品は、神戸市灘区にある兵庫県立美術館に常設展示されています。東山魁夷の震災復興の遺志を受け継いで、2001年に魁夷の夫人より版画256点が寄贈されました。

また、2024年7月20日(土)~2024年9月23日(月・振)まで、東京の山種美術館で、「【特別展】没後25年記念東山魁夷と日本の夏」が開催されています。

基本情報
スポット名:東山魁夷旧居跡
住所:兵庫県神戸市兵庫区西出町2丁目2
アクセス:JR神戸駅から徒歩約10分

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WEBクリエイター/旅行ライター・エディター(神戸市)

兵庫県西宮市生まれの神戸育ち。テクニカルライターを経て、1998年より会社を設立しWEBクリエイター、フリーライターとして活動。数々の旅行関連サイトを企画・運営。LINEトラベルjp元編集者兼ライター。沖縄と北海道が大好きで6年半沖縄市に在住。海外は特に台湾が好きで渡航回数10回以上。「週刊日本の島(デアゴスティーニ)」専属ライター&フォトグラファーとして沖縄、兵庫、瀬戸内等の33の島の記事を執筆。こちらでは地元神戸市の魅力を、時には動画を交えてお伝えしていきます。X(旧Twitter)、Instagramでも、神戸の最新情報や記事でのこぼれ話、その他の旅行ネタなども発信。

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