【神戸市】悲しい恋物語が伝わる3つの古墳を訪ねて阪神沿線をぶらり・・「処女塚古墳」と東西の求女塚古墳
神戸で古墳というと垂水区の「五色塚古墳」が有名ですよね。以前こちらの記事でもご紹介しました。他にもたくさんの古墳があり、その数なんと600基以上!市街地にもいくつかあり、中でも東灘区、灘区にかけての約3.5Kmの間には「東求女塚古墳」「処女塚古墳」「西求女塚古墳」と3つの古墳が存在。悲恋の物語「処女塚伝説」ゆかりの塚として知られています。いずれも阪神電車の沿線なのでアクセスも楽。住宅街に眠る古墳を訪ねるショートトリップに、さあ出かけてみましょう。(各古墳の詳細は後日別記事で)
東求女塚古墳
まずこちらは、阪神電車住吉駅から東に徒歩約3分のところにある「東求女塚古墳(ひがしもとめづかこふん)」です。元々全長約80mの前方後円墳でしたが、明治時代に工事用の土として、また阪神電車の土取り工事等で削られ、墳丘の殆どはなくなってしまいました。
現在、求女塚東公園内に後円部分がわずかに残され、石碑が建立されています。
菟原(うない)処女(兎名負処女・菟名日処女とも、後述)をめぐる悲恋伝説ゆかりの塚として古くから有名。伝説に登場する茅渟壮士(ちぬおとこ)の墓と伝えられていますが、実際には、このあたりを支配していた豪族の墓であると考えられています。
処女塚古墳
阪神電車住吉駅から西へ2つ目の駅、石屋川駅で降り、南西に徒歩約6分のところにあるのが「処女塚古墳(おとめづかこふん)」。石屋川下流の扇状地上に造られた全長約66mの前方後方墳で、3世紀後半に造られました。周囲を住宅やビルに囲まれていますが、古墳の上だけが緑に覆われ、墳丘はきれいに整備されています。
「処女塚伝説」「菟原処女(うないおとめ)伝説」とも言われている悲恋物語の主人公、菟原処女の墓と伝えられているのがこの3つの古墳の真ん中にあるこの「処女塚古墳」です。前方部東側のくびれ部に近いところで箱式石棺1基が見つかり、国指定史跡となっています。
西求女塚古墳
阪神電車石屋川駅からさらに西へ3つ目の駅、西灘駅から南東へ徒歩約7分。国道43号線の近くにあるのが「西求女塚古墳(にしもとめづかこふん)」。
当初は前方後円墳と考えられてきましたが、発掘調査の結果、前方後方墳であることが確認され、国の史跡にも指定されています。古墳の規模は全長98m、後方部52m、前方部46m、後方部幅50m、くびれ部幅25m、高さは最大9mと3つの中では最大。有力な豪族の墓であったとされています。
なだらかな丘になっており、3つの古墳の中では一番古墳らしさを感じられるところです。1993(平成5)年の調査では、三角縁神獣鏡7面を含む銅鏡12面や鉄剣、鉄槍などが出土して話題になったことも。出土品から、築造年代は4世紀前半と推定。
出土品や発掘の様子は、文化庁 文化遺産オンラインで見ることができます。
これは2023年11月下旬に撮影したものですが、紅葉の時期に訪れるのもおすすめです。
悲しい恋物語とは?
最後に、「処女塚伝説」「菟原処女(うないおとめ)伝説」として今に伝えられている、この3つの古墳にゆかりのある悲恋物語をご紹介しましょう。
物語は、菟原処女(おとめ)を真ん中に位置する「処女塚古墳」に、同時に求婚する2人の若い男性を、東西の古墳にみたてたもの。
その昔、六甲山麓の菟原(うない)に住んでいた美少女、菟原処女に二人の男性が恋をしました。二人から求婚されたことで悩み苦しみ、どちらか一方の男性を選ぶことが出来ず心をいためた菟原処女は、生田川に身を投げて命を絶ってしまいました。そして、二人の男性も、後を追って命を絶ったのです。
その後、菟原処女と男性の死を悲しんだ一族が、娘の墓を真ん中にして、その両側に男性の墓を作ったというお話です。
この悲しい恋物語は、奈良時代の「万葉集」、平安時代の「大和物語」、謡曲の「求塚」、森鴎外の戯曲「生田川」など多くの作品に登場し、今も語り継がれています。
※菟原は、かつての摂津国菟原郡菟原で、現在の神戸市中央区〜東灘区、芦屋市付近
※菟原処女は、兎名負処女、菟名日処女(うなひをとめ)とも表記
悲恋物語が残る3つの古墳、いかがでしたでしょうか。
灘区から東灘区にかけての阪神電車沿線にあり、半日もあれば巡ることができます。古代のロマン、悲恋物語の地をぶらぶら歩いてみるのもいいかと。
なお、各古墳については、今後写真を追加した記事を個別に公開する予定です。
基本情報
東求女塚古墳
住所:兵庫県神戸市東灘区住吉宮町1丁目9-15
アクセス:阪神電車住吉駅から東に徒歩約3分
処女塚古墳
住所:兵庫県神戸市東灘区御影塚町2丁目8-3
アクセス:阪神電車石屋川駅から南西に徒歩約6分
西求女塚古墳
住所:兵庫県神戸市灘区都通3丁目1−17
アクセス:阪神電車西灘駅から南東へ徒歩約7分
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※築造年代については諸説あり、文献により異なります。