ケンブリッジ大学出版局が中国検閲受け入れを撤回
ケンブリッジ大学出版局が習近平政権の圧力に屈服したニュースは、全世界の多くの学者からの激しい非難を招いた。耐えられなくなったのか、大学側は検閲受け入れを一転して撤回した。自由と尊厳、未だ死なず。日本は?
◆ケンブリッジ大学出版局が一転して撤回
筆者は8月21日のコラム「ケンブリッジ大学がチャイナ・マネーに負けた!――世界の未来像への警鐘」で、ケンブリッジ大学出版局(Cambridge University Press, CUP)が、習近平政権の要望を受けて、天安門事件などの中国政府に不利な論文へのアクセスをブロックした事実を書いた。
しかしその後、中国などの独裁国家を除いた全世界の多くの学者からの激しい失望の声と批判および非難署名文までが寄せられ、CUPは遂に前言を翻して、中国の検閲受け入れを撤廃した。
言論の自由が許されている国家では、「言論の自由」と「人間の尊厳」の方が、チャイナ・マネーを凌駕することを証明してくれた意味で、この一連の出来事は実に大きい。
まず、どの新聞社が、どのようなタイトルでこの新情報を報道したかを見てみよう。
たとえばイギリスの「ガーディアン(the Guardian)」は、Cambridge University Press backs down over China censorship (CUPは中国の検閲を撤回した)というタイトルで報道し、BBCはCambridge University Press reverses China censorship move(CUPは中国の検閲への対応を覆した)という見出しで報道した。
アメリカではワシントンポストがIn reversal, Cambridge University Press restores articles after China censorship row(一転して、CUPは中国の検閲を受けた論文を復帰させた)という記事を、USA TODAYが Cambridge University Press reverses bow to China censorship after backlash(CUPが大衆の批判を受けて、中国の検閲に屈服したことを覆した)という批判記事を公開した。
◆「検閲の輸出」は要らない
それら多くの批判の中で注目されるのは「検閲の輸出」という概念だ。中国はトランプ大統領の誕生によりアメリカの時代は終わったとして、「中国こそがグローバル経済のリーダーである」という顔をしているが、警戒する諸外国に習近平国家主席はたびたび「中国は政治を輸出しない」という言葉を使って、「中国は政治的圧力を、経済交流をする相手国に決してかけない」と宣言してきた。
それに対して研究者たちは「検閲を輸出しようとしているではないか」と声を上げたのである。その通りだ。拍手喝さいを送りたい。
◆大学側の弁明
CUPは多くの出版物を中国国内で販売している。中国当局は「もし中国にとっての有害情報を遮断しないのなら、中国での販売を禁止する」という趣旨の脅迫をケンブリッジ側にしてきたとCUPは説明し、その協議をするための会合があるので、それまでの「一時的な措置だった」などと弁明している。
しかし、「学術研究の自由は、ケンブリッジ大学の根幹を成す最優先の原則なので、ブロックした論文をもとに戻しアクセスできるようにした」とのこと。
実際は、多くの識者が「中国の検閲への屈服」という言葉を使って批判しているために、さすがに権威が失墜すると反省し、撤回したものと判断される。
◆習近平時代になってから言論弾圧が強化された理由
習近平政権になってから中国が言論弾圧を強化した理由は明確だ。
それは、共産党幹部の腐敗により中国共産党による一党支配体制が危機に瀕しているため、共産党の負の側面に触れてほしくないからである。その何よりの証拠に、習近平政権が発足した2013年前半(習近平が国家主席になったのは2013年3月14日)、中国当局は俗称「七不講(チー・ブージャーン)」という通知を出した。「七つの語ってはならないこと」という意味だ。その中の最も重要な一項目に「共産党の過去の歴史の過ちに関して語ってはならない」というのがある。教育現場で教師が教えてもいけなければ、キャンパスで「語り合ってもいけない」のである。
特に習近平は、既に終身刑を受けている元重慶市の書記・薄熙来の「紅い歌を唄おう」運動により、いかに人民が「毛沢東を慕っているか」を実感した。それは文化大革命につながるとして薄熙来を逮捕したというのに、今度は自分が国家主席になってみると、一党支配の脆弱さを痛感したのだろう。腐敗が蔓延し、人民が毛沢東を慕うのは、「その時代は貧乏だったけど平等で、腐敗はなかった」と思っているからだということを思い知ったにちがいない。毛沢東へのノスタルジーは現在の中国政府への批判なのである。
そこで、自らが「第二の毛沢東」になるために、習近平は毛沢東賛美を開始し、虎の威を借りて一党支配体制を盤石なものとしようとしているのである。
日本の中国研究者やジャーナリストは、習近平に関しても「権力闘争」と言いさえすれば問題は片付くと勘違いし、間違った分析をメディアもまき散らしている。そのようなことをしていたら、必ず中国に制圧されてしまう日が日本にやってくる。こういった視点が、どれほど日本の国益を損ねているか、猛省を求める。
◆日本は毅然と戦えるのか?
今回の事件は、日本を含めた関係国が、中国に対して毅然と振舞えるのか否かという、これからの根本的課題を人類に突き付けている。
筆者が『毛沢東 日本軍と共謀した男』を出版して以来、日本の一部の大手メディアは中国の顔色を窺い、このことに触れないようにビクビクしている。大局的視点に立たず、「習近平さま」の怒りに触れないよう、筆者を避けるのである(そうでないメディアもあり、心からの敬意を表する)。
いま人類は大きな分岐点に差し掛かっている。
中国がチャイナ・マネーでどこまで人心を買うことができるのか、民主主義国家と中国との、「人間の尊厳」を軸にした地球レベルの戦いが展開されることになるだろう。
今般のケンブリッジ事件は、そのことを如実に突き付けている。
拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』(の中国語版)を最も喜んでくれたのは、ワシントンで中国の民主化のために闘っている華人華僑たちだった。VOAやFRAの中国セクションは、競って筆者を取材し、その番組を習近平に見せるのだと張り切ってくれた。多くの民主活動家たちは「毛沢東が日本軍と共謀した事実」と「中国が真実を隠蔽し、歴史を捏造している事実」を世に知らせてくれたことこそが、民主運動家たちに力を与え勇気づけてくれると、数多くの感謝の言葉を送ってくれた。
トランプ政権誕生により、アメリカのプレゼンスが低まるいま、中国の制覇が目前に迫っている。それに抵抗できるのは人類の良心だ。
習近平が最も恐れる「毛沢東が日中戦争時代、日本軍と共謀していた」という事実こそが、「独裁国家に言論弾圧の輸出をさせないための強烈な武器」なのである。
この真相を中国に突き付ける勇気が日本にあるか?
中国の顔色を窺う日本と決別する勇気と良心を持っているか?
それともチャイナ・マネーの魅力が優先されるのか?
もし戦争への贖罪意識というのなら、なぜ韓国ヘは堂々とものを言い、中国には言えないのか?
それは即ち、チャイナ・マネーの威力に気を遣っているせいではないのか?
日本はその分岐点に立っていることを自覚してほしいと祈る。