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「草の根で実習生を支える」(3)裏切られた”憧れのニッポン”行き、「それでも私は日本語を学ぶ」

巣内尚子研究者、ジャーナリスト
ボランティア日本語教室で学んでいる技能実習生のベトナム人女性。筆者撮影。

日本にいるのに、日本語ができない。日本人との交流が限られる――。

外国人技能実習生は、日本で暮らし、就労している半面、日本語学習の機会に恵まれず、十分な日本語能力を身につけられないケースが少なくない。さらに、日本人との交流が限られている技能実習生もいる。

技能実習生をめぐってはこれまで、賃金や就労時間など処遇に関する課題が注目されてきた。その一方で、「日本語学習機会の不足」や「人間関係の乏しさ」といった問題も根深い。そんな中、地域のボランティア日本語教室が技能実習生を日本語教育の面から支援している。

私は「『草の根で実習生を支える』(1)ボランティア日本語教室が学びの場に、就業後や休日に日本語学ぶ実習生」「『草の根で実習生を支える』(2)無償で授業する日本語教師が”かろうじて”補う実習生の日本語学習」、名古屋市のボランティア日本語教室で技能実習生が学んでいる様子を伝えた。

技能実習生の中には、日々の就労に追われ、経済的な余裕がない中でも、土曜日や就業後、自らの意志でボランティア日本語教室に出向き、日本語を学習している人も少なくない。

ボランティア日本語教室にきている技能実習生にはどんな人がいるのだろうか。

そう思い、話をきかせてくれないかと声をかけたのがヒエンさん(仮名)だった。彼女は、「『草の根で実習生を支える』(1)ボランティア日本語教室が学びの場に、就業後や休日に日本語学ぶ実習生」「『草の根で実習生を支える』(2)無償で授業する日本語教師が”かろうじて”補う実習生の日本語学習」で取り上げた名古屋市のボランティア日本語教室に通っている。

◆「日本は稼げる」を信じて来日、子どもたちのために決断したデカセギ

ボランティア日本語教室で学ぶ技能実習生。筆者撮影。
ボランティア日本語教室で学ぶ技能実習生。筆者撮影。

2016年9月上旬。

私は名古屋市南区のボランティア日本語教室を訪れた翌日の日曜日、名古屋駅から地下鉄に乗り、ヒエンさんのもとを訪れた。

待ち合わせの時間、地下鉄駅構内の待ち合わせ場所に、ヒエンさんはにこやかに現れた。普段は工場で働き、日々仕事に追われがちだというが、日曜日だからかゆったりした表情だった。

駅を出て、車道沿いをヒエンさんと話しながら歩く。マンションや個人商店、コンビニエンスストアなどが並んでいる。技能実習生の中には遠隔地や農村部、漁村部で働く人もいるが、名古屋駅から地下鉄で移動することのできるこの地区はそれに比べるとより都市部に近い。交通の便もよく、近隣にはいろいろな店舗があり、生活に便利そうなところだ。

地下鉄駅から出て車道沿いを10数分ほど歩いたところに、ヒエンさんの住む部屋があった。

それは決して新しくはないが、モダンな感じのする集合住宅だった。エントランスをくぐり、エレベータで、彼女の住む部屋にむかう。

ドアを開けて通された3LDKあるというマンションはきれいに片づけられ、すっきりとし、居心地がよさそうだ。

平屋の古い家や小さなアパート、あるいは雇用主の家の2階のスペースなどに部屋があてがわれ、そこに二段ベッドが詰め込まれた上で、ほかの技能実習生と共同生活している技能実習生がいる中、名古屋の中心部近くに立地するマンションに案内され、私はヒエンさんが待遇のよい職場で働けているんだと思い、少しほっとした。

ただし、彼女を取り巻く状況は、実際には、そう楽観的できるものではなかった。

ダイニンルームにあるテーブルにつくよう促された。椅子にかけると、ほかの技能実習生の女性たちも自室から出てきて一緒に席につく。みな、にこやかに接してくれ、1人がコーヒーをいれてくれた。それは、ベトナムのコーヒー最大手チュングエン社のインスタントコーヒーで、独特の香りと強い甘みが以前に暮らしたハノイのことを私に思い起こさせた。私がコーヒーを喜んだためだろうか、ヒエンさんも緊張がとけたようで、それまでよりもいっそう柔らかな雰囲気になった。

けれど、話すうちに、技能実習生としての生活について聞いてくと、それまで笑顔だったヒエンさんはとたんに居心地悪そうな表情を見せた。

ヒエンさんは1980年代にベトナム北部の農村部に生まれた。1950年代生まれの父親はベトナム戦争に従軍した後、工員として働いた。母親は農業をしていた。

ヒエンさんは学校を出た後、同年代の男性と結婚し、子どもを産んだ。そして、育児と仕事を平行して行ってきたという。

来日前は二輪車の販売店で働き400万ドン(約1万9,691円)の月収を得ていた。夫は台湾企業の工場で働き、月収は600万ドンだった。

2人で働き得た収入はそこまで悪いものではなかったものの、子どものための教育費など生活は楽ではなかった。市場経済が浸透する一方、医療や教育といった社会インフラの整備が道半ばのベトナムは思ったよりもお金がかかる。子どもがいればなおさらで、教育費を稼ぐ必要に迫られる。

そんな中、ヒエンさんは友人から技能実習生のことを聞いた。

ベトナムでは日本をいまも「憧れの経済大国」としてみている人が少なくない。そして、技能実習生を日本に送り出している送り出し機関は「日本の給料は高い」と盛んに喧伝している。

子どもを抱え、暮らしが楽ではない中、ヒエンさんにとって技能実習生としての来日は自分と家族の生活を改善させるための「希望」に思えた。

彼女は「日本に行けばもっと稼げる」「家族を助けられる」と思い、まだ幼い子どもを故郷に残して日本にいくことを決断した。

◆100万円超える渡航前費用、借金してでも来たかった「憧れのニッポン」

ボラティア日本語教室で学ぶ技能実習生。筆者撮影。
ボラティア日本語教室で学ぶ技能実習生。筆者撮影。

日本行きを決めたヒエンさんはまず、友人から紹介された仲介者に1,500米ドルを支払い、送り出し機関を紹介してもらった。

そして送り出し機関に手数料として5,500米ドル、保証金として3,000米ドル、来日前の日本語研修費用として1,500米ドルをしはらった。保証金は3年の契約を満了して帰国すれば返金されるが、もし途中で帰国するなどした場合は返ってこない預け金だ。

彼女は技能実習生として来日するために、合わせて1万1,500米ドル(約131万6,405円)を支払ったことになる。

ベトナムから日本に技能実習生としてわたる際、ベトナム側の送り出し機関に高額の渡航前費用を支払うことが一般化している。その上、送り出し機関は「日本は稼げる」と盛んに喧伝しており、「憧れの日本」に技能実習生として行くためにこれだけの大金を支払う人は少なくない。

それまでのヒエンさんの収入は400万ドンで、来日費用はそれに比べると非常に大きな額だが、日本での給与が高いと聞いていたことから、彼女はこの費用をすべて借金でまかない支払った。年収をはかるかに上回る借金をしてでも、日本に技能実習生としてくることを決めたヒエンさん。それほどに日本への期待が大きかったのだ。

その後、日本語研修を半年にわたり受けてからを学んでから、ヒエンさんは数年前に来日し、名古屋市内の製造業で就労を始めた。

◆「少なくて驚いた」給料、借金を返しつつ就労するというあり方のおかしさ

ボランティア日本語教室で学ぶ技能実習生。筆者撮影。
ボランティア日本語教室で学ぶ技能実習生。筆者撮影。

一方、日本での就労はヒエンさんの期待通りにはいかなかった。

「初めて給料をもらったとき、少なくて驚きました」

ヒエンさんはこう打ち明ける。

フルタイムで働き、土日は休みという就労スタイルだが、ヒエンさんは「日本の給与はすごく高いと聞いていましたが、月給は14万円で、税金や家賃が引かれると、手取りは9万円だけです」と、ため息をつく。

残業はほとんどないため、残業代で稼ぐことはできない。技能実習生は賃金水準が低いため、残業代で稼ぎたいと思う人が少なくないが、彼女の場合はそれは無理だった。

そして、ボーナスもない。

ヒエンさんは来日前に100万円を超える渡航前の費用を借金により支払っており、日本で得た収入はまず借金返済に充てられる。来日前に思っていたほどは日本の給与がよくなかったため、借金返済には2年もかかった。

私が出会ったときは、ちょうど来日後2年目が終わるころで、借金を何とか返し終えたところだったため、ヒエンさんは2年間にわたり日本で働いてきたものの、実際には貯金はできていなかった。お弁当をつくり職場にもっていくなどして、毎月の生活費をぎりぎりまで抑えているが、借金額が大きい一方で賃金水準が低いため、お金は貯められない。まだ貯金がないため、このままベトナムに帰るわけにもいかず、日本で働きつづけるほかない。 

日本とベトナムの間には、技能実習生が高額の渡航前費用を送り出し機関に支払って来日し、借金を返しつつ、就労するという移住労働の在り方が存在する。この枠組みの中で、ベトナム人技能実習生は来日後、借金返済に追われ、就労していたとしても、すぐには貯金できない上、期待と違うからと言って、途中で帰国することも難しい。

ときおり、技能実習生に関する問題に関連し、「日本人でも賃金が低い人がいる」という意見を聞くこともあるが、ベトナム人技能実習生の場合は、借金をして来日し、それを返しつつ就労しているほか、その諸権利は「外国人」のために制限されている。さらに、技能実習生は現在のところ最長3年しか日本で働けない。家族の呼び寄せもできない。

高額の渡航前費用の支払いとそのための借金返済、諸権利の制限、期限付きの就労といった技能実習生特有の構造的な課題をきちんととらえるべきだろう。

またヒエンさんのようなベトナム人技能実習生について、来日前に「もっとよく先を見通すべき」だと思う人もいるかもしれない。しかし、ベトナムでは国民の海外出稼ぎは政府によって「国策」として積極的に推奨されている上、送り出し機関は「日本は稼げる」と喧伝している。そして、高額の渡航前費用は一般化しており、高いお金を払わなければ来日できないようになっているのだ。

さらに、貧困問題が残り、社会福祉制度の整備が遅れているベトナムでは、「稼ぐことができる」と思われている日本にわたることは、庶民にとって、なんとかして家族が生き残っていくための切実な取り組みなのだ。

私が「すっきりしていていいな」と思った彼女の部屋も、ほかの技能実習生の女性たちと5人での共用で、1つしかないお風呂やトイレを順番で使ったり、寝室も相部屋となっていたりと、共同生活上のさまざまな苦労があった。1日の仕事のあと、疲れて帰宅しても、お風呂にはすぐに入れず、ほかの人が終わるのを待つほかない。プライバシーもない。その上、近く別の技能実習生が数人新たに来日するため、共同生活者がさらに増えるという。

ヒエンさんはこのように借金返済に追われつつ、ほかの技能実習生とともに寝起きをともにしながら、日々就労している。

日本での暮らしは彼女がベトナムで思い描いていたものとは異なっていた。

それでもヒエンさんは、期待を裏切られたとしても、無料のボランティア日本語教室に通い、日本語を学んでいたのだった。

「高い給与」がもらえると思いやってきた”憧れのニッポン”で、期待を裏切られつつ、それでも日本にせっかく来たのだからと、休みの日にボランティア日本語教室へ通う。

生活費を切り詰めている彼女は交通費が出せないため、ボランティア日本語教室にはいつも時間をかけて自転車で行くしかない。

彼女は日本語を学ぶことでなんとかして日本にやってきた証を残そうとしているかのようにみえた。(「草の根で、実習生を支える」(4)に続く)

研究者、ジャーナリスト

岐阜大学教員。インドネシア、フィリピン、ベトナム、日本で記者やフリーライターとして活動。2015年3月~2016年2月、ベトナム社会科学院・家族ジェンダー研究所に客員研究員として滞在し、ベトナムからの国境を超える移住労働を調査。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。ケベック州のラバル大学博士課程。現在は帰国し日本在住。著書に『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』(花伝社、2019年)。

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