ウクライナでの戦略爆撃(電力インフラ攻撃)に失敗したロシア
2022年10月初旬、ロシア軍はウクライナの民間電力インフラを攻撃する戦略爆撃に踏み切りました。それ以前も発電所などが幾らか攻撃されてはいましたが、この時から意図的に大規模な攻撃が開始されました。冬が近い中でウクライナ電力網を破壊して暖房を止めて市民生活を立ち行かなくさせて、市民の士気を挫き厭戦気分を醸成させて降伏あるいは停戦に追い込もうという作戦です。
そして2023年3月となりました。冬は終わり、もう直ぐ春がやって来ます。ロシア軍の電力インフラ攻撃は決定的な効果を生むことなく、ウクライナ市民の士気は下がるどころか徹底抗戦の意思はますます強固なものとなり、ロシアの行いは逆効果となってしまっています。
戦略爆撃。しかしこれは歴史上、失敗の多い作戦でした。過去の例から見ても市民を狙った攻撃は中途半端なものだと逆に抗戦意思を高めてしまいます。恨まれ、復讐の声が強くなり士気が上がってしまいます。人の抗戦意思を砕き心を折るには徹底して苛烈な大規模攻撃が必要になります。しかしミサイルは高価であり用意できる数は少なくなるので、必然的に投射量は少なくなります。攻撃は中途半端なものに成らざるを得ず、「ミサイルを用いた戦略爆撃」で過去に成功した例は一つもありません。
【ミサイル戦略爆撃の失敗の歴史】
- 第二次世界大戦末期のロンドン都市攻撃(V1、V2)
- 第二次世界大戦末期のアントワープ都市攻撃(V1、V2)
- イラン・イラク戦争の「都市の戦争」(スカッド)
- 湾岸戦争のイスラエル都市攻撃(スカッド改)
V1(Fi103巡航ミサイル)、V2(A4弾道ミサイル)、スカッド弾道ミサイル、スカッド弾道ミサイル改(アル・フセイン)
都市への大規模なミサイル攻撃が行われた過去の戦いの代表例は、どれも戦略目的は達成できませんでした。結果的に嫌がらせ攻撃にしかならなかったのです。ミサイルの少ない投射量でも大破壊をもたらす方法である核弾頭を用意すれば話は変わってきますが、通常弾頭のミサイルでは市民を狙った戦略爆撃は成功の見込みが低いものとなります。
ロシア軍がウクライナで行った戦略爆撃は都市の家屋を狙った無差別爆撃は主ではなく(ただし住宅街への攻撃も複数回実施)、主目標は電力インフラを狙った攻撃だったので、投射量が少なくとも精密攻撃を行えば成功する可能性があるという見立てもありましたが、結果としてそうはなりませんでした。
過去の第二次世界大戦でも日本やドイツへの戦略爆撃で電力インフラは狙われましたが、完全に破壊しきるには至っていません。今回のウクライナの戦争でも電力網はしぶとく復旧して電力供給の維持に成功しています。
※第二次世界大戦で日本の場合は終戦時に火力発電所は発電量の半分近くに相当する損害。ただし水力発電所のダムはあまり狙われていない。
主力攻撃兵器は亜音速の巡航ミサイルと低速の自爆ドローン
ロシア軍の電力インフラ攻撃は亜音速で飛翔する巡航ミサイル「カリブル」「Kh-101」「Kh-55」が主に用いられ、補助用としてイランから購入したプログラム飛行型自爆ドローン「シャヘド136」「シャヘド131」が用いられています。ジェットエンジンの亜音速巡航ミサイル(800~900km/h)とプロペラ推進の自爆ドローン(200~300km/h)は飛行速度が遅く撃墜されやすいものの、製造コストが安価で数が揃えられます。
短距離弾道ミサイル「イスカンデル」は開戦初期にあらかた使い切っており在庫が残っておらず、イスカンデルから派生した極超音速ミサイル「キンジャール」はもともと量産が全く進んでおらず数が無く、これらの高価ですが迎撃突破率が高い高速ミサイルは攻撃の主役として使えませんでした。なお超音速巡航ミサイル「Kh-22」は本来は対艦ミサイルなので対地攻撃では命中精度が悪く、主役には成り得ませんでした。
ウクライナ空軍司令官のミコラ・オレシチュク中将は「2022年9月11日以降、ロシア軍の巡航ミサイル650機以上とイラン製の攻撃無人機610機以上を撃墜した。」とウクライナ軍広報「АрміяInform」のインタビュー(2023年2月24日)で答えています。これはそれ以上の数が飛来してきたことを意味します。また9月からのカウントなのは、おそらくウクライナでイラン製自爆ドローン「シャヘド136」が初確認された時期に合わせてあるのでしょう。約5カ月間で1260機以上を撃墜という熾烈な防空戦が展開されています。
【いくつかの「もしも」の想定】
- ロシアが戦術目標に使用したミサイルを戦略爆撃に廻していたら?
- ロシアの高速ミサイル(イスカンデルなど)の数が十分であったら?
- ウクライナ防空網が満足に戦えずミサイルの突破を多数許していたら?
- ウクライナ防空網が壊滅しており大型爆撃機が絨毯爆撃していたら?
結果的にロシア軍による1260発以上、1500~2000発近いミサイル戦略爆撃を耐えきったウクライナですが、いくつかの「もしも」を考えると薄氷の勝利だったのかもしれません。戦略爆撃は中途半端な攻撃では失敗しますが、大規模に行えば成功する可能性が出てきます。
ただし①についてはロシア軍が戦略目標に投入可能なミサイル数が飛躍的に増えるものの、代わりに戦術目標への投入数が減ってしまうのでウクライナ軍の行動の自由度が高まり、戦場で押されてしまう可能性があります。②については高価な高速ミサイルであるイスカンデル弾道ミサイルを大量に備蓄することは予算的にも難しく、現実的ではありません。
③と④はこのロシア-ウクライナ戦争の根幹に関わってきます。圧倒的な航空戦力を持つ筈のロシア空軍が、ウクライナ軍の防空システムの地対空ミサイルで大損害を出して以降、これを恐れて積極的な活動が出来なくなりました。巡航ミサイルで電力インフラ攻撃という発想自体がこの影響のせいです。爆撃の投射量が大きい戦闘機や爆撃機で攻撃に行けず、投射量の少ないミサイルで小規模な攻撃しか出来なくなったのです。
ロシア軍の戦略爆撃を阻止したのは第一にウクライナ防空システムの活躍によるものでした。そして防空システムを掻い潜って来た攻撃による被害を粘り強く復旧し続けてきた作業員の尽力も重要なものでした。ウクライナ民間電力最大手のDTEKは2月24日までのこの戦争の1年間で従業員が141人が亡くなっています。(従軍中に126名死亡、電力復旧作業中の攻撃で4名死亡、勤務時間外の無差別攻撃で11名死亡。)
電力インフラ攻撃の種類別と傾向
- 火力発電所 ※主攻撃目標、巡航ミサイル
- 水力発電所 ※破壊はできず、発電関連設備を攻撃
- 原子力発電所 ※破壊はできず、攻撃そのものを断念
- 風力発電所 ※攻撃目標、ただしあまり狙われず
- 太陽光発電所 ※攻撃目標、ただしあまり狙われず
- 変電所 ※主攻撃目標、自爆ドローン
ロシア軍の主攻撃目標は火力発電所と変電所です。数の少ない火力発電所はウクライナ軍が防空システムで重点的に守ることで被害をある程度抑えることに成功しましたが、数が多い変電所はどうしても防備が薄くなってしまい、攻撃による損害が相次いでしまうという問題が生じています。数の多い変電所の防衛に対処するためには小型で安価な防空システムを大量に用意する必要が生じます。
ロシア軍はこの数が多い変電所は守り難いという点に着目して重点的に狙ってきました。変電所は設備が建屋で守られていないので弾頭の炸薬の少ない自爆ドローンでも破壊が容易という点も重要でした。頑丈な建屋で守られた火力発電所はミサイルを用いないと有効な打撃は与え難いと判断されたのです。
なお電力インフラを破壊するという戦略目標であっても、ロシアはウクライナの原子力発電所への破壊を目的とした攻撃は決断できませんでした。破壊により非人道的な被害が生じてしまい、あまりにも政治的影響が大き過ぎるからです。水力発電所もダムの構造体を完全に破壊してしまうと非人道的な被害が下流に生じかねず、これも攻撃を控えています。ただしダムの構造体を破壊しない程度に水力発電の送電能力を破壊しようとする小規模な攻撃は幾つか試みられています。
変電所から発電所への攻撃目標の変更
ロシア軍は冬が本格化した1月中旬以降に市民の暖房供給を止めようと変電所から発電所への攻撃に切り替えています。ウクライナの暖房は火力発電所で温めたお湯をパイプラインで各家庭に送る方式なので、火力発電所が破壊されると周辺地域の暖房が全て止まります。
またこれはイランから購入したシャヘド自爆ドローンをあらかた使い切ってしまったせいでもあり、温存していた巡航ミサイルで火力発電所への集中攻撃を行ってきたのですが、それもおそらく在庫が尽きかけています。巡航ミサイルの新規製造による補充分が溜まるまでは大規模攻撃ができません。小規模な攻撃では飽和攻撃が狙えず防空システムに完封されてしまう恐れがあります。噂されていた開戦日の2月24日に合わせた大規模ミサイル攻撃も行われませんでした。
そして2月が終わり冬は終わりました。3月に入り暫くすれば暖かい春がやってきます。ロシア軍の電力インフラ攻撃は失敗に終わったのです。通常弾頭のミサイルによる戦略爆撃の失敗の歴史がまた積み重ねられました。
予想と答え合わせ
英国国際戦略研究所(IISS)のフランツ=ステファン・ガディ(Franz-Stefan Gady)氏は、ウクライナでロシア軍の戦略爆撃が始まったばかりの2022年10月10日にTwitterでこのように予想していました。
正しく、この予想通りの展開になったと言えるでしょう。ロシアは国内の強硬派の突き上げによりミサイル戦略爆撃を実行せざるを得なくなり、過去の歴史の先例と同じように失敗の道を辿ったのです。