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樋口尚文の千夜千本 第80夜「獄門島」(吉田照幸監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。

金田一耕助の正体を見てみないか

異色のドラマ『洞窟おじさん』で気を吐いたNHKの西村崇プロデューサー、吉田照幸ディレクターのコンビに、映画『桐島、部活やめるってよ』『幕が上がる』『ディストラクション・ベイビーズ』の脚本家・喜安浩平が加わって、なんと横溝正史「獄門島」をドラマ化するというので、楽しみに観た。もちろん横溝正史の本格探偵小説は市川崑の「金田一」シリーズがあまりにも人気を集めているので、(しかも市川崑版の映画『獄門島』はなかなか絢爛たる娯楽作であったから)この気鋭のチームもなかなかハードルの高いところに斬りこんでいる。こういう場合は、思いきり切り口を変えてのぞむのが賢明だが、しかし「金田一」物をそんなに改変するのも難しいのではないかと思った。

ところが、このたびのドラマ『獄門島』を観て、作品に妙にニヒルでダークな気分が充満しているので驚いた。その原因は、長谷川博己扮する金田一耕助のキャラクター解釈に負うところ大だろう。いわゆる1970年代の横溝ブームの際に連作された金田一=石坂浩二の映画版、金田一=古谷一行のドラマ版では、ともに金田一耕助の扱いはヒッピー的な飄々とした自由人だった。角川映画が『犬神家の一族』で派手にブームを起こす前に、まさかのATGがこの時代の「金田一」物の先鞭をつけて「本陣殺人事件」を高林陽一監督で映画化したが、ここですでに金田一=中尾彬は(予算の関係上、原作の敗戦直後の設定を1970年代に置き換えたこともあって)パッチワークのジーンズルックで、ヒッピー的というよりヒッピーそのものであった。

高度成長期をモーレツに駆けあがってきたニッポンに違和感を持った70年代の若者は、ちょっとたちどまって日本の旧い風景や自然に帰還し、そんなディスカバー・ジャパン的な世界でナイーヴな自分探しにいそしんだ。かかる若者像を描いて『旅の重さ』的な映画もいろいろと作られたが、70年代の金田一耕助人気は、そういう優しいヒッピー性への共感もあったことだろう。今や素九鬼子といっても知らない人も多かろうが、こと金田一耕助と田園の憂鬱という当時のイメージをもって、横溝ワールドは素九鬼子の小説の〈気分〉と自然にドッキングしていたのだった。特に石坂浩二は、そんなイメージにみごとに嵌って、最も観客に愛された金田一耕助となったはずである。

それだから、映画『本陣殺人事件』の金田一=中尾彬がクラシックなパナマ帽に書生スタイルといういでたちでなくジーンズでキメていても、むしろ金田一のヒッピー的な性格設定がわかりやすくカタチになっている感じだったので(狭量な横溝ミステリ原理主義者はケチをつけたが)、全く違和感がなかった。篠田正浩監督『悪霊島』でビートルズと金田一の相性がとてもよかったのもそのせいであって、逆にあの場合など、もう無理して書生姿をすることもなく今様にすればいいのに、とさえ思った。

そんなふうに金田一=ヒッピーという解釈は、当時の横溝作品が(後続の松本清張の社会派ミステリに駆逐されて久しく)戦後間もない頃の古めかしい探偵小説というレッテルを貼られていたネガを軽やかに払拭し、70年代の観客にとって共感できるものに「翻案」したといっていい。あまつさえ市川崑の(決しておどろおどろしくない)ディスカバー・ジャパンのCM的映像がその方向を揺るぎないものにした。映画『獄門島』のラストシーンなどその白眉で、あの雰囲気のファンは少なくないだろう。そして、今回のドラマ『獄門島』は、そのナイーヴで優しいヒッピー的世界観を真っ向から覆すのであった。この解釈にはひじょうに驚きであった。

ぜひ虚心にドラマそのもので味わってほしいが、今回の『獄門島』においては、市川崑が『犬神家の一族』の折に「戦争への異議はいくら唱えてもいいわけですからね」と言いつつ、到底『野火』の監督とは思えないほど戦争の影を排除して明朗なヒットメーカーに振りきっていたのに対し、のっけから島の人々はどこか陰鬱で不自由で何かに憑かれているようであり、その原因をなすのが戦争であり、誰もが戦争の傷を背負っているのだというダークさがどんどん充満してくる。

戦地を経験した金田一耕助すら例外ではなく、冒頭からしてどうも定番ののんきなヒッピーではない挙動不審さが漂うなと思いきや、結局彼と犯人たちを隔てるものはないのだという境地が最後にはやってくる。誰もが戦争の傷を負ってクレージーになっており、等しく生の歯車の狂った同志が、たまたま犯人と探偵に分かれた・・・そんな実にビターな幕切れであった。こんな金田一像を演ずる長谷川博己は、終盤ややシアトリカルに過ぎるかなとは思ったものの、犯人と紙一重のファナティックな、いかれた素顔を好演する。そこが本作最大の見せ場でもあろう。

さてせっかく市川崑流の”アイム・イージー”なヒッピー金田一がみんな好きなのに、こんなエキセントリックに病んだ金田一像をこしらえて、いったいどうしてくれるんだという向きもあるかもしれない。しかし、待ってほしい。金田一耕助は大正2年に生まれて、昭和7年、19歳の時には渡米して麻薬に耽ったりしているから、確かにはるかヒッピーの始祖と言えるだろう。この頃に、サンフランシスコの在留邦人会で「本陣殺人事件」の久保銀造(映画では志賀勝の父・加賀邦男が印象的に演じた)と出会い、旧家の小作人から脱してアメリカの果樹園で成功した久保の援助でカレッジを卒業、帰国する。その恩義に報いて、「本陣殺人事件」では久保の姪が殺された事件をふらりと訪れて解決してみせるのだ(これが横溝作品での金田一耕助のデビューである)。設定としては昭和12年の支那事変勃発の頃で、ここで洋行帰りの金田一がヒッピーの草分けとして地方の旧家の因習に対置される、という構図は解釈も間違いないだろう。そして、後の映画、ドラマの「金田一」シリーズに定着したポピュラーな金田一耕助像は、この「戦前」のヒッピーぶりに依拠している。

だが、金田一が「獄門島」に渡るまでには、実は応召と苛酷な戦地経験をはさんでいる。金田一は昭和15年に中国戦線に駆り出され、実に昭和20年の敗戦までまる5年にわたって戦争の悲惨にさらされ、後半はニューギニアで飢餓と熱病で地獄を見ながら辛くも生還している。まさに同じ市川崑でも『野火』で飢えて人肉を喰らいそうになる船越英二の田村一等兵が金田一耕助に近い存在であったわけだ。したがって、復員早々の昭和21年に「獄門島」事件に遭遇した頃の「戦後」金田一は、あの「戦前」金田一のうららかなヒッピーぶりとは裏腹に、かなり心身を病み、傷ついていたはずなのである。したがって、このたびのドラマ『獄門島』の冒頭からして様子のおかしい長谷川博己の金田一は、実は横溝ワールドの原点に則した「本来の金田一耕助」と見るのがスジなのだ(好き嫌いはあろうが)。

西村プロデューサーと吉田ディレクターは前作『洞窟おじさん』でも野戦部隊のように日本の野山に潜むいかれたおじさん(リリー・フランキー)を描くにあたってドアーズの「ジ・エンド」を引用して爆笑させられたが、今回の『獄門島』ではなんとまたマリリン・マンソンの「キリング・ストレンジャーズ」(!)をテーマ曲にするという狙いようだ。この曲をもって、やにわに『獄門島』は狂ったベトナム帰還兵どうしが対峙するアメリカン・ニューシネマ風味をも呈してくるのだった。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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