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破壊力抜群のスイング!大舞台で大坪梓恩(石川MS)のバットは火を吹くか 独立グラチャンは今日開幕!

土井麻由実フリーアナウンサー、フリーライター
豪快なスイングの大坪梓恩(石川ミリオンスターズ)

■豪快なスイングがウリ

 太い腕っぷし。どっしりした下半身。そのデカいガタイから繰り出されるスイングは、見る者を魅了する。

 大坪梓恩(おおつぼ しおん)、20歳。石川ミリオンスターズ日本海リーグ)の外野手だ。

 開幕当初は練習生だった。選手登録されると代打から始まり、たまにDHでスタメンに顔を出していたのが、いつしかオーダーに固定されるようになり、8月11日以降は完全にレギュラーの座をつかんだ。

 豪快なフルスイングは非常に魅力的だ。ファーストストライクはほぼ振っていく。振りながらタイミングを合わせ、追い込まれるとややコンパクトに対応する。打席を重ねるごとにコンタクト率を上げ、とくにランナーがいるときの勝負強さが光った。

 その破壊力抜群のスイングは、味方ベンチや応援するファンの心を躍らせ、相手バッテリーには恐怖心を与える。ひと目見たNPBスカウトも、驚愕を隠せない。

■進化の過程

 練習生のころは、選手登録を勝ち取るために必死だった。

 「みんなより練習量を増やしてやらないと出られないと思ってやっていました。先輩たちにいろいろ聞いて、アドバイスをもらって取り入れてやっていったら、いい感じになってきました。

 5月11日に出場選手登録された。最初はボールの速さに驚いたという。「代打で出させてもらっても、全然バットに当たりもしない。まず140キロ後半っていうボールを見たことなかったんで」と振り返る。

 しかし何度かチャンスをもらっているうち、徐々にストレートにはタイミングが合ってきた。そして6月25日、10打席目で初ヒットを記録したとき、「なんか自信がついたっていうか、まっすぐはタイミングが合ってきたなと思うと、余裕が出てきた」と打席での心持ちが変化し、すると「変化球にも徐々に対応できるようになった」と、対応力も上がっていった。

 先の読売ジャイアンツ3軍戦でも打席ごとにタイミングの取り方を修正し、3打席目で得点につながる貴重な1打を放っている。(参照記事⇒「日本海リーグ、人生を懸けた3番勝負は巨人3軍戦! 京本眞に抑え込まれる中、アピールしたのは誰だ!?」)

 その成長ぶりを認める岡﨑太一監督は、「オープン戦のころは1球も振らずに(ベンチに)帰ってきたりしていたので、最初はまず3本振って帰ってくることから始めようと言いました」と振り返る。

 「やっていくうちに、初球から振るためにはどうしなきゃいけないかとか、タイミングを合わさなきゃいけないなとか、しっかり打てる準備をしなきゃいけないなとか、いろいろ感じたと思うんですよね。今は練習や、ネクストでのタイミングの合わせ方とか見ていても、ちゃんと入っていけているなっていうのはありますね」。

 だから、初球から振っていけるのだという。「1打席しかないと修正とか言ってられないけど、最近はある程度打席がもらえているから修正もできるようになった。それも、彼が勝ち取ったものだから」。そう言って相好を崩す。

■チャンスに強い

 シーズンの成績を見て、「打率は低いんですけど、チャンスで打てているかな」と大坪選手は自己評価する。打点は、規定打席未到達ながらリーグ6位タイの20を記録している。とくに初本塁打が満塁弾で打点を荒稼ぎし、2試合連続弾も効いた。

 「ランナーがたまっているほうが打つなって、自分でも思います。映像を見ていても、構え方とかも違うなって感じです。1球目、2球目はホームラン狙いで大きくスイングしているけど、追い込まれて三振を取りにきたボールをしっかり体を残して打てているかな」。

 打席の中でもタイミングなど微調整しながら対応している。

■守備と走塁は課題

 今季、守備には就いたのはわずかに2度だ。

 「今は打つだけですけど、NPBを目指すには守れないといけないし、走れないといけない。守備ではまだまだ打球への反応とか、ナイター照明の感覚とかも全然。足は速いですよ。スピードに乗ったら速いし馬力はあるんで。走塁のスライディングとかはまだ下手くそなんで、そういうのもこれから教えていかないと」。

 今後さらに走攻守すべてでのレベルアップを岡﨑監督は求める。

 もちろん本人も重々自覚しており、「守備は、出ている選手の中ではやっぱり劣っているので、そこはもっとノックを数受けて、ミヤさん(宮澤和希選手兼任コーチ)に教えてもらってやっていきたい」と、さらなる向上を目指している。

 「走塁は、二塁から絶対ホームに帰ってこられるくらいの打球判断はしっかりして、あとはスライディングもしっかり練習したい。盗塁も、めちゃくちゃ足が速いわけじゃないんで、ピッチャーのクセを盗んでずる賢くいかないと」。

 そういったクセの見方なども、ベンチで岡﨑監督の言葉に耳を澄まして学んでいるところだ。

■one eighth(ワンエイス)

 くっきりとした目鼻立ちとその恵体から、ハーフかと思いきや「8分の1。one eighth(ワンエイス)です」と微笑み、「お母さん方のひいおじいちゃんがアメリカ人で、おばあちゃんがハーフ、お母さんがクォーター」と丁寧に説明してくれる。

 「体は昔から強かったほうですね。あと、あんまり疲れにくいっていうか、次の日に疲労が残んないっていうか、そういうのはあると思います」と自身の身体の特製についても語る。

 ビジュアルだけではない。経歴も異色だ。出身は千葉県で、高校まで野球をしていたお父さんの影響で小学3年から野球に夢中になった。軟式から始まり、硬式チームは松坂大輔氏らプロ野球選手も多数輩出する名門チーム、江戸川南リトルシニアに入って活躍した。

 千葉学芸高校に進学するも、1年秋からは通信制の屋久島おおぞら高校に転校した。千葉にキャンパスがあり、本校の屋久島を訪れるのは年に一度だ。

 高校3年になってクラブチームのヌーベルベースボールクラブに入って1年ほど活動し、秋ごろにBCリーグのトライアウトを受けた。結果は不合格だったが、「野球の練習も授業の一環として入っている」と、日本プロスポーツ専門学校でトレーナーの勉強をしながら野球を続けた。

 独立リーグとの練習試合の機会もあり、中でも石川とは対戦が多かった。すると当時の後藤光尊監督の目に留まり、石川の練習参加のチャンスをもらい、専門学校を卒業後に入団が決まった。

人なつっこい笑顔
人なつっこい笑顔

■専門学校でみるみる成長

 専門学校で野球に打ち込んだが、「高校で野球をやってないんで、体力面でちょっときつかった」と歯を食いしばって2年間、汗を流した。もともと細かった体も専門学校時代にビルドアップして、89キロだった体重を105キロにまで増やした。

 「高校生のときは足も6秒フラットくらいで、1番バッターで足も生かしながらだったけど、やっぱりホームランが魅力なのでそっちに特化しようって思って、体を大きくしました」。

 食事は量を重視し、好きなものをストレスなくかき込んだ。

 スイングスピードも「いろいろ計測して、明確に数字が出た。1年目はそんなに速くなくて130~40キロくらいだったけど、150を超えるようになりましたね」と、どんどん速くなった。

 体はさらに大きくなったが、石川に入団時の112キロは重すぎて動きにくさを感じたため、シーズン中に絞って105キロにしたところ、体にキレが出て打球がより伸びるようになった。「自分に合ってない体重だった」と、走れる範囲の自身の適性体重を見つけ、現在は維持している。

■「人間的に変わりたい」

 体だけではない。シーズン中、自分自身を見つめ直した。入団後、周りと比較して違いに気づいたという。「最初のころは、ちょっと気が抜けていたところがあって…。ちゃらんぽらんでした。集合時間ギリギリに来たり…」と省みる。

 「やっぱり浮くんです。いい面で浮くのはいいけど、悪い面で浮いたらチーム内でも居づらいっていうか…。自分が野球をやりづらくなったら意味ないんで、いい人たちに合わせようって思ったんです」。

 そこで、岡﨑監督に「『自分は変わりたい。人柄も変えていきたい』って相談して、いろいろ話した」と明かす。

 岡﨑監督は選手ひとりひとりをじっくり見て、ひとりひとりとしっかり向き合う。常に胸襟を開き、選手の相談をウエルカムな状態で待ち受けている。

 そのときのことを、こう振り返る。

 「彼から『このままじゃダメなのはわかっている。なんとか自分を変えたいんです』と言ってきた。僕もかつて変ろうと思ったことがあったけど、周りが『こいつ、変わったな』って気づくまで、すっごく時間がかかるんですよ。自分の中では変わってるんですけど、人がそれに気づいてくれるのには1年とか2年とか先になる。『すぐ元に戻ったら誰も気づかないよ。周りが気づくまでやり続ける覚悟があるなら』」。

 愛弟子にそう説いた。

■気持ちも行動も変った

 そして、気持ちだけじゃなくて行動も変えるべきだと指南すると、「球場にめちゃくちゃ早く来るようになった」という。

 「最初は早く来ても何もしなかったんですよ。とりあえず来るだけ。でも、そこからちょっとジョグをするようになって、キャッチボールするようになって、ロングティーするようになって…。みんながアップしているときにバッティングしたりも。球場に来れば『こんなことしたい』『あんなことしたい』って出てくるんですよね」。

 岡﨑監督は、大坪選手のやりたいことにとことん付き合った。

 「『もっと監督に怒ってほしいです』みたいなことを言うから、『甘えんな』って。『怒ってほしいって、それは許してほしいと一緒やぞ』って言ってね。僕も昔は人間的に未熟な部分が多かったので、彼のその気持ちもすごくわかるんですよ。現状を不甲斐ないと思ってもがいている姿というのは、好感が持てる。今はもちろん未熟だけど、本当に変わろうとしている姿っていうのは、僕も見ていて『なんとかしてあげよう』っていう気持ちになります」。

 共感しつつ、愛情深く導く。

 大坪選手も「野球の成績も伸びましたし、やっぱり野球以外のこともちゃんとしないといけないなっていうのを岡﨑さんに教えてもらって、今があると思っています」と、しっかりと応えている。

■グラチャンの大舞台はアピールの場

 高校を出て3年目の年だ。「石川に来て環境も変わって、自分自身も変って、いろいろ大変だった。今年は慣れればいいかな」とNPBを目指す準備の年とらえ、「来年が大学4年と同じ年なんで、そこでしっかり仕上がった状態でいければいいかなと思っています」と来年を勝負の年と位置づける。

 ただ、「独立は毎年チャンスがある」とも口にする。学生のように卒業を待たなくていいのだ。つまり、今年指名されるに越したことはないわけだ。

 このバッティングがどうしても欲しいとなれば、守備と走塁は入団してから教え込めばいいだろうと、獲得に動く球団もあるかもしれない。そのアピールにうってつけの舞台が用意されている。

 今日開幕する独立リーグの日本一決定戦、「グランドチャンピオンシップ」だ。9月7日にリーグ優勝を決めた石川は初日の初戦、愛媛マンダリンパイレーツ四国アイランドリーグplus)と相まみえる。

 このグラチャンには例年、ダイヤの原石を発掘しようとNPB各球団からスカウトが視察に訪れる。シーズン中の公式戦を見ているスカウトも、こういう大舞台で、しかも自身の目の前で、衝撃的な活躍をした選手には食指が動くというものだ。

 大坪選手が持ち前のパワーと勝負強さを発揮すれば、来年と言わず今年、夢を掴む可能性は大いにある。

 「大坪梓恩」―。強烈なインパクトを与える打球で、その名を全国に轟かせてほしい。

【大坪梓恩(おおつぼ しおん)*プロフィール】

2004年2月2日(20歳)

190cm・105kg/右投右打

屋久島おおぞら高校(ヌーベルベースボールクラブ)―日本プロスポーツ専門学校

千葉県出身/外野手/背番号40

【大坪梓恩*今季成績】

23試合/打席77/打数75/安打17/二塁打0/三塁打1/本塁打3

四球0/死球1/三振10/犠打0/犠飛1/併殺打3

打点20/得点9/盗塁4/盗塁死1/失策0

打率.227/出塁率.234/長打率.373/OPS.607

フリーアナウンサー、フリーライター

CS放送「GAORA」「スカイA」の阪神タイガース野球中継番組「Tigersーai」で、ベンチリポーターとして携わったゲームは1000試合近く。2005年の阪神優勝時にはビールかけインタビューも!イベントやパーティーでのプロ野球選手、OBとのトークショーは数100本。サンケイスポーツで阪神タイガース関連のコラム「SMILE♡TIGERS」を連載中。かつては阪神タイガースの公式ホームページや公式携帯サイト、阪神電鉄の機関紙でも執筆。マイクでペンで、硬軟織り交ぜた熱い熱い情報を伝えています!!

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