【河内長野市】鬼だけではない!河内長野に残る天狗伝説とは?川上地区の小深天狗堂に行ってきました。
2年くらい前に公開された映画で、河内長野を舞台とした「鬼ガール」がありましたね。現在の神が丘(旧鬼住村)に鬼の伝説があるということで、それをモチーフに作られた映画でした。しかし、河内長野には鬼のほか、天狗(てんぐ)にまつわる伝説があることを知りました。
その場所とは、鬼の伝説の場所と同じ川上地区のうち、奥から二番目にある小深という地域です。そこにある小深天狗堂を見てきました。
場所は小深の交差点、金剛山ロープウェイ前行きのバスで、小深バス停のところからすぐのところにあります。
まず川上地区の民話の中に「天狗」に関する記述がありましたので引用しましょう。
このようにこの天狗の民話は、小深天狗堂のことを指していることがわかります。
さて小深天狗堂を調べると、寺領(観心寺領)のひとつであった小深にあるお堂とありました。
中世や近世のころは石見川や五條に向かって通っている現在の国道310号線(大沢街道)沿いには観心寺領(観心寺七郷)が点在し、小深もその観心寺領のひとつでした。
では真言宗の寺院である観心寺の領内に、天狗を祀るお堂がなぜあるのでしょうか?ここで天狗についてあらためて調べてみると、天狗とは本来中国で流星を意味するものでした。
元々は隕石などが大気圏に突入し火球となって空中で爆発したときの音を、天を駆け降りる犬の姿(天の狗<犬>)に見立てていて、凶事を知らせるものだったそうです。天狗の現象が日食や月食を引き起こしたとの伝承があります。
日本で最初に天狗というキーワードが登場するのは日本書紀です。飛鳥時代のある日のこと、都の空を巨大な星が雷のような轟音を立てて流れていく事がありました。それを見た唐から帰国した旻(みん)という学僧が、「あれは天狗だ」と言ったことが書かれています。
その後、平安時代に密教が日本に入ると、山岳信仰(修験道)と相いまって(ふたつの事がお互い作用しあう)いくのですが、やがて修験道の行者である山伏は、死後に異界(魔界)に転生して大天狗という妖怪になるという伝承が広まります。
ここで山地を平野に対する異界とし、そこで起こる怪異な現象を天狗の仕業と考えました。
やがてその未知の力を持つ天狗を「山の神」として崇め祀るようになったとか。こうして全国各地で、山の神として天狗を祀る天狗堂が誕生していったようです。
元々観心寺は修験道の祖・役小角(えんの おづぬ )が開いた寺で、その後空海が七つ星(北斗七星)を勧請(霊を呼び寄せる)した寺なので、役小角と真言密教に関係する寺の領内にあった小深という山深い集落に、天狗を祀るお堂があっても不思議ではないとなりますね。
余談ですが天狗の真言(しんごん)があり、「オン・アロマヤ・テング・スマンキ・ソワカ」といいます。
そのほか天狗には、天孫降臨(てんそんこうりん)で道案内をした神である猿田彦(サルタヒコ)やタイとインドネシアの国章にもなっているインドの神由来の迦楼羅(ガルーダ)との接点もあるともいいます。
さて、ここに注連縄(しめなわ)があります。毎年12月中旬に天狗堂境内にて、小深地区総出で注連縄を綯う「勘定つり」という儀式が行われます。
注連縄は直径10cmほど長さ4mほどで、普通の注連縄ではなく蛇のようにつくられるとか。これは「蛇」を「邪」に引っかけて、邪悪なものの侵入を防ぐと言う意味があります。
そのほか旧暦2月15日を涅槃(ねはん:釈迦の入滅日)には、地域の観音講の人たちが中心となって涅槃会が営まれます。
これは天狗堂の集会所に安置されている大日如来を開帳して行われる行事です。
というわけで小深天狗堂を見てきました。河内と大和をつなぐ大沢街道から石見川にかかる天狗堂橋を渡り、結界でもある注連縄をくぐってお堂の前に来れば、山の異世界に来たという印象を受けました。
もちろん鼻高々の天狗には会えませんでしたが、もしかしたら天狗が天狗堂の奥の山で私のことをひそかに眺めていたのかもしれません。
ということで天狗に連れ去られる前に、小深のバス停から河内長野駅に向かってバスに乗りました。
小深天狗堂
住所:大阪府河内長野市小深
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 小深バス停徒歩下車1分