なでしこリーグではなく、アメリカ留学へ。女子サッカーの新たな道を切り開く黒崎優香
日本とは意識が違うアメリカの大学スポーツ
学生アスリートの朝は早い。
7時前に始まるトレーニングでたっぷり1時間汗を流すと、10時半には大学の授業へ。午後にまたサッカーの練習と授業をこなす毎日だ。
「お金をもらっているから(日本とは)意識が違う。高校のチームメイトは日本でいろいろな大学に行ってるけど、みんなバイトして学校に行ってる。こっちだとバイトしない分、勉強しないといけない。お金もらっているから意識の違いがあるなって。日本は高校までは親がいろいろ払ってくれてるから、サッカーだけを全力で頑張ればよかったけど、大学は自分で稼いで、払っていくという意識です」
そう語るのは、今年1月にケンタッキー大からオクラホマ大に編入した女子サッカー部の黒崎優香さんだ。
「お金をもらっている」というのは、黒崎さんがフルスカラシップと呼ばれる学費や寮費などすべての費用を大学がカバーする奨学金を得ているためだ。オクラホマ大は、映画にもなった「アポロ13」号の宇宙飛行士フレッド・ヘイズや、1980年代に阪神タイガースで活躍したランディ・バースの母校で、文武両道で知られる大学。年間の学費や寮を合わせると年間約3万ドル(大学のホームページ参照)ほどかかり、その全てを返済しない奨学金としてサポートを受けているため、意識は「大学の体育会」というより「プロ」そのものだ。
昨年12月にシーズンを終えたオクラホマ大女子サッカー部は、黒崎さんの加入とともに新チームでのスタートを切ったばかり。18人の部員のうち、海外からの留学生は黒崎さんも合わせて2人しかおらず、「英語が話せない日本人やインターナショナルの選手にフルスカラシップを出すのは、アメリカの大学にとってはリスクがある」という。
それでもフルスカラシップを得ることができたのは、オクラホマ大のマット・ポーター監督が、「ユウカはパーソナリティもプレースタイルも僕たちのチームにあっている。チームに加わってくれてラッキー」と惚れ込む期待の高さが伺える。
恵まれた環境
オクラホマ大女子サッカー部は、NCAA(全米大学体育協会)の最高峰レベルであるディビジョン1に位置し、その中でも強豪ぞろいのBig12というカンファレンスに所属。監督のほか、コーチ2人、トレーナー1人、ウエイトとコンディションイング担当2人がつき、栄養士から専門的なアドバイスも受けることができる。
「日本の大学の女子サッカーチームのほとんどは、ウエイトなどを専門的に教えてくれるコーチはいないんです。みんなどのタイミングでどれだけのトレーニングにして重りに変えてっていうのは、自分の知識でやってるけど、プロの方に教えてもらうのと自分でやるのとでは違う。そこでは、差が出る」
NCAAは学業でもきちんと結果を出さないと、試合に出ることができない。スポーツバカではスポーツが続けられないのがアメリカの大学だ。黒崎さんも授業には欠かさず出て、わからないところは聞きに行くなどして単位をとっている。
「ケンタッキー大では先生がパワーポイントの授業が多く、分かりやすかったし、チューターがついて教えてくれた。アスリートは家庭教師の時間があって勉強できました。オクラホマ大は話すだけの先生も多く、『本当にこの人何言ってるんだろう』って思うこともありますよ。黒板に字を書かない先生もいるので、オブザーバーに聞きに行って、ここはこうだよって教えてもらったり」
サッカーと勉強の両立が求められる生活も、アメリカを選んだのには「理由」があった。
進路を真剣に考えるきっかけとなった母の言葉
4つ上の兄の影響で4歳からサッカーを始めてから、ずっとエリート街道を歩んできた。高校は地元福岡を離れ、藤枝順心高等学校(静岡)へ進学。単身で寮生活を送ると、3年でキャプテンに就任。「チームの力を大切に」と全国No.1に輝いた。希望すれば、なでしこリーグでも、スポーツ推薦での大学進学も可能だった。
しかし、進路を考えた時、母の修美(なおみ)さんは「サッカーのためだけに大学に行って欲しくない。目的を持って行きなさい」と言ったが、すぐには答えが出なかった。
「サッカーしかしてこなかったから、サッカーしか考えられなかった。じゃあ、大学どうしようって。サッカーしたいならなでしこリーグだけど、日本のなでしこリーグってプロ契約じゃないんですよ。働きながらサッカーしないといけない。自分の中で働きながらサッカーすることがイメージできなかった」
そこで海外に目を向け、インターネットでスペインやドイツなどのクラブチームの情報を集めたが、「トライアウトを受けて、契約を取る自信がなかった」。
ちょうど2015年はサッカー女子ワールドカップでアメリカが優勝。「アメリカには返済しない奨学金があって、サッカー強いし、英語も学べる。これは完璧だ」と進路先をアメリカ留学に絞った。
初渡米は高校3年の夏休み。単身フロリダ州へ飛び、留学エージェントと女子サッカーの試合を見学すると・・・。
一瞬で心を奪われた。スタジアムが満員だったのだ。
「いやー、これはすごいって。驚きました。私は大勢の前でプレーするのが好き。日本では大学生の試合に観客は入らないんですけど、日本に帰って、親に『アメリカにするわ』って言いました」
さらりと話すが、人生初渡米も、アメリカ留学のためのエージェントとのやりとりも、自分でこなした。その後、1度は奨学金をオファーしてくれた大学からの連絡が途絶えるということもあったが、「日本では1度話をしたらなくなることはないけど、アメリカはプツって切れることもある」といい教訓に。最終的に、大学入学前に語学学校で学ぶ時間も待つと言ってくれたケンタッキー大に決めた。
「行けばなんとかなる」とほとんど英語がゼロの状態で渡米すると、語学学校では「習った英語と全然違うじゃん!みたいな」毎日だったという。今では英語の授業にも食らいつき、昨年ケンタッキー大からオクラホマ大へ編入するときは、「移籍話」をまとめるため、オファーをくれる大学へ自ら電話をかけ交渉もした。「英語の電話って緊張するけど、5回超えたら慣れます」。
返済しない奨学金
アメリカはとにかく学費が高い。ニューヨーク州では私立幼稚園から年間4万ドルはかかるし、大学費用を子供のうちから貯めておくか、奨学金狙いで学業以外のスポーツ、音楽、課外活動に力を入れる親が多い。
高い学費を補うのが、スカラシップという返済不要の奨学金のほか、ファイナンシャルエイドと呼ばれる家庭の収入に応じて学費が何割か免除されるもの(こちらも返済不要)、卒業後に返していく学生ローンがあるが、どの程度奨学金でカバーされるかは大学の予算などにもよるし、全額が奨学金でカバーされるのはそう多くはない。心置きなくサッカーに打ち込めるのも、返済しなくていい奨学金制度が大きい。
「問題児」の自立を促した親の方針
黒崎さんはSNSを通じてサッカー留学の日々を綴っている。「まだ見ぬ世界へ」と題されたメッセージは力強く、会ったことがなくても心惹かれるものがあった。
今では落ち着いた大学生だが、「小学校4年生から中学2年生までは反抗期」。
「人を叩くのは嫌だったから物を壊していた。問題児だったんです。毎日親と喧嘩して、今からは想像つかないと思うんですけど」。そう穏やかにはにかむ姿にたどり着くまでには、葛藤の日々があった。
社会人チームに混ざり練習をしていた中学時代。片道1時間半かけて通わなければならなかったが、「親と喧嘩した」ことで迎えに来てもらえず、自分で帰らなければならないことも。
「私の親は褒めたりしないタイプ。今思えば、褒めてくれなくてよかったと思う。親との喧嘩が原因で中学の途中から迎えにきてもらえなくなって、帰りも自分で帰らなきゃいけなくなって、自分で何をしないといけないのか考えるようになった。甘やかされてないから、自分で考えて行動しなきゃいけない」
親元を離れた高校時代。自分で洗濯物をたためない子、電車の乗り方に戸惑う子など「自分のことを自分でできない子を見ていると、全部自分でやりなさいと育ててくれたおかげだと思った」。
親にとっては、夜が遅い練習に迎えにいかないのも、心の底から子供を信頼していないとできないこと。迎えに行ったほうが楽なのに、あえて自分でやらせてみる。1度自分で決めたことは諦めない、頑固で負けず嫌いの黒崎さんの性格も踏まえ、あえて「自立」を促す接し方をしていたのかもしれない。
「親に感謝? 具体的にそういうのは伝えたことはないですけど、高校で寮生活してみると、親がどれだけのことをしていてくれたのかがわかったし、自由な分、自分に責任があると思っていた」。感謝の気持ちは言わずとも、今、逞しくアメリカで生き抜く姿を見せるだけで十分伝わっていると思う。
夢はプロ、そして「女子サッカーに恩返しを」
渡米3年目は勝負の年だ。ケンタッキー大での2シーズンは怪我もあり、思うような成績が残せていない。
「1年目は必死。2年目は声が出せるようになった。3年目は伝えたいことを短くいうことを心がけています。説明してと言われると、頭が真っ白になるから」
大学で結果を残せば、卒業を前にしても女子プロサッカーリーグNWSLへの道は開ける。
なでしこリーグではなく、アメリカ留学を選んだことで得たものは計り知れない。
「アメリカで自分が経験してることを、ほかの人にも伝えたいなって。こっちで日本とは違う経験ができているので、日本の人たちに伝えたいんです。アメリカにいるからこそ、できることがあるんじゃないか。アメリカの大学に来て視野が広がったし、考え方が変わるし、異文化に触れられるし、他の国に興味が出る。自分はアメリカを選んでよかったと思う」
そして将来の夢は「プロ」になって女子サッカーへの恩返しだ。
「まだはっきりと将来やりたいことは決まっていません。ですが、女子サッカーを通して私の人生が作られています。サッカーをやっていたから、いろいろな人に出会い、道を決め、ここまで来ることができました。なので、将来は女子サッカーに恩返しできることをしていきたい」
地にしっかり根を張り、幹を太くし、大きく枝を広げる木のように、今はじっくり成長する時期。いつか、うちなる情熱をどう表したらいいかわからず、もがいていた自分のようなサッカー少女の力に、きっとなれるはずだ。