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アイドル人生12年で卒業する大場美奈(SKE48) 「失敗だらけでも王道を諦めたからやり切れました」

斉藤貴志芸能ライター/編集者
撮影/松下茜

AKB48からSKE48と12年越しに活躍してきた大場美奈が、4月に30歳を迎えるのを機にグループを卒業する。自身最後のシングル『心にFlower』の発売、そして、横浜での3日間の卒業コンサートに向けて、アイドル人生はいよいよ大詰め。謹慎などを経て波乱もあった中で見つけたアイデンティティとグループ愛、そして、女優を目指す想いを語ってもらった。

5年前の選抜総選挙から卒業は考えてました

――卒業は「以前から考えていて去年の6月ごろに決意した」とのことでした。

大場 25歳のとき、沖縄で選抜総選挙があって、選抜に入るのが絶対的な目標だったんです。結果入れなくて、すごく悔しくて、スピーチであんな怒りが出るくらい(笑)、ショックでした。でも、次の日から「来年こそは絶対に選抜に入るための1年を過ごそう」と切り替えました。同時に「入ったら卒業だな」というのも、視野に入れていて。だから、卒業のことは長い間ずっと考えていました。

――翌年の2018年の総選挙では8位と、高順位で選抜入りを果たしました。

大場 名古屋での総選挙で目標を叶えて、次は卒業に向けて何をしたらいいか? 自分の中でいくつかやりたいことがあった中で、次の年には舞台『ハケンアニメ!』で主演しました。「卒業ライブをできる人になりたい」という目標もありましたけど、それは自分でどうにかできることでもないので、あとは発表のタイミングを決めようと。そしたら、高柳明音ちゃんと松井珠理奈さんの卒業発表が立て続けにあって、コロナ禍にもなり、去年4月に2人を見送ったあと、ようやく「私もそろそろ……」と考えられるようになりました。

舞台の稽古で「帰る場所がなくても生きていける」と

――それで、決意した6月には何かあったんですか?

大場 博多座での舞台『羽世保スウィングボーイズ』の稽古期間中で、1ヵ月くらい、SKE48から離れていたんですね。SKE48では慣れ親しんだメンバーと居心地良く過ごせて幸せでしたけど、舞台ではいろいろな方たちがいる中で、1ヵ月で関係性を作り上げないといけない。『ハケンアニメ!』のときは、SKE48という帰れる場所がある安心感が支えになっていて。でも、博多座の舞台のとき、「もし自分にSKE48がなくて、この現場だけだったとしても、精神的に大丈夫かな?」と考えたら、「メンバーに甘えなくても、新しい環境で楽しく生きていける」と思えたんです。それで今が旅立つタイミングだと、稽古の帰り道でSKE48のスタッフさんに電話して、「卒業します」と伝えました。

――夜道を歩きながら?

大場 はい。でも、もともと「30歳になるときかな」と話していたので。舞台が終わってから、卒業に向けたお話をしていくことになりました。

ラジオで多くの人に発表を届けたくて

――卒業発表は10月に東海ラジオの番組内で行われました。

大場 AKB48グループの歴史的には、劇場公演で発表するのが一番しっくり来ると思いますけど、私はそれだと、しっかり言えない気がして。その前に横山由依、山内鈴蘭と同期2人の卒業発表が続けてあって、見ているだけでも泣きそうになったから、自分は人前でちゃんと気持ちを伝えられないと思ったんです。それと、劇場には限られた人しか入れなくて、配信で観るにしても会員登録が必要。愛知のファンの方だけでなく、関東や全国でなるべく多くの人に届いてほしくて、ラジオで発表することにしました。プラス、ネットニュースでも同時に配信してもらって。

――想いは伝えられましたか?

大場 何回も下書きしましたけど、結局そんなに見られませんでした(笑)。生放送だったし、「卒業します」と言ったら、もう引き返せない。「ついに言うんだ」という緊張でずっと震えていて、感極まってしまいました。あの独特な感覚は、卒業を決めた人にしか味わえないものですね。

コメントは朝まで読み終わりませんでした

――反響も予想以上でした?

大場 めちゃめちゃ予想以上でした。ツイッターのトレンドに入って感動して、皆さんのコメントを全部読もうとしていたら、朝になっても終わりませんでした(笑)。次の日はSKE48のトーク会があって、早く寝ないといけなかったんですけど。

――でも、嬉しいことですよね。

大場 そうですね。懐かしい人たちからは、むしろ「まだアイドルをやっていたんだね」という声もあって。そういう人たちにも発表が届いて、久しぶりに思い出してくれたのも、すごく嬉しかったです。それで、次の日にはSKE48のファンの皆さんと、直接顔を見て話せて。本当に幸せな環境で、ラジオで発表して正解でした。

――大場さんはAKB48の最後の9期生でもありました。同期からの連絡もありました?

大場 (初代)チーム4でも最後の卒業でした。同期には個人的に先に報告していたんです。

――旅館の若女将になった島田晴香さんとか、芸能界を離れた人にも?

大場 そうです。島崎遥香ちゃんとか全員に。みんなから「お疲れさま。よく頑張ったね」と言ってもらいました。私が一番年上ですけど、「10年以上続けられたのは簡単なことじゃないよ」と言われて良かったです。

最後のMV撮影はいつも通りに

――卒業シングルの『心にFlower』のレコーディングやMV撮影では、「これが最後」という感慨はありました?

大場 いえ、いつも通りの感覚でした(笑)。メンバーと「おはよう」と会って、ダンスの練習をして、メイクして、撮影に入る……という流れは、10年以上続けてきた日常的なことなので。現場の光景も目の前で起こることもすべて、慣れ親しんできたもの。卒業の実感が湧くというより、自分で「これが最後なんだ」と意識してないと、いつも通りにあっという間に終わってしまいそうでした。

――では、しんみりすることもなく?

大場 むしろ楽しく終りました。曲も前向きで明るくて、あと、今回ダンスがすごく難しかったんです。メンバー同士で「大変だね」と声を掛け合いながらやるほどで、パフォーマンスに集中していて、あまり感傷はなかったです。大変だっただけに、出来上がりが楽しみでした。

――本当の最後は、カップリングに収録のソロ曲『生まれ変わっても』だったんですか?

大場 そうです。表題曲の選抜メンバーでのMV撮影は、大人数の中から選んでもらって、毎回特別な想いがありましたけど、卒業曲は1人で終わって。またちょっと違う感覚がありました。

ソロ曲を1人で撮るのだけはイヤで(笑)

――さすがに卒業曲では、泣けてくる感じもしたのでは?

大場 MVにはメンバーにも何人か出演してもらいました。1人で撮りたくないという、私の寂しがり屋な気持ちがあって(笑)。

――大場さんの希望だったんですね。

大場 そうなんです。曲が決まるだいぶ前から、スタッフさんに「何か希望はありますか?」と聞かれて、「1人はイヤです」ということだけ、お伝えしました。

――たぶんスタッフさんは、どんな曲がいいかを聞きたかったのかと(笑)。

大場 どういう形で映るかはお任せでしたけど、自分にとって最後の作品には、絶対にメンバーにいてほしくて。大好きなSKE48で、このメンバーがいなかったら、私はここまで続けられなかったと思います。それくらい大きな存在なんです。メンバーとの撮影は終盤で、そのあとも1人で明るめのシーンを撮って、こちらも寂しいというより、楽しいまま終わりました。

――最後に花束をもらっても、こみ上げてくるものもなく?

大場 「ああ、終わったんだ」くらいの感じでした。1人で撮影終了を迎えたことは今までなくて、必ず他のメンバーと一緒だったり、順番的に途中で帰ったりしていたので、1人でオールアップして花束をもらったのは初めてでしたけど、無事に撮れて良かったなと。

SKE48の10周年の1年はグッときました

――『生まれ変わっても』には<嬉しい時 悲しい時>というフレーズがありますが、大場さんのアイドル人生で嬉しさのピークはいつでした?

大場 総選挙8位が私的には一番嬉しかったんですけど、あの1年はSKE48が10周年で、ずっと楽しかったです。私が総選挙へファンの方たちと一丸になっていて、同時進行でSKE48も秋の10周年に向けて、メンバー、スタッフ、ファンの皆さんの全員で頑張っていて。あの一体感はもう一生味わえないと思います。

――特にどんなところで一体感が強まりました?

大場 当時はイベントがたくさんあって、選抜メンバーだけでは回らなくて。全員であちこちに行っては、いろいろやっていたんです。みんながそれぞれの場所で、SKE48として頑張っている。「どこで誰が何をしていても、安心して任せられるね」と、須田亜香里ちゃんや高柳明音ちゃんと話していました。先輩・後輩関係なく、全員が信頼し合っていて。だからこそ、みんなで集まってライブをしたら、すごかったんです。

――盛り上がっていましたね。

大場 特に夏。『美浜海遊祭』という東海テレビさんのイベントがあって、海の近くの野外ステージで毎年ライブをやっていたんですけど、定員を遥かに超える(観覧)応募があって、海の遠いところからも観てくださっていたくらい、すごくたくさんの人たちが集まってくれたんですね。松井珠理奈さんがお休みをされていた時期で、「みんなでSKE48を守って、珠理奈さんが帰ってきたときに安心できる場所を作っておこう」みたいな想いも重なっていて。言葉では表せないくらい感動して、グッとくる1年でした。

移籍したときは職種が変わる感覚でした

――今はそういうふうにSKE48愛に溢れる大場さんですが、もともとAKB48から兼任を経て移籍。「最初は合わないと思った」という話もされてました。

大場 SKE48というグループは知っていたし、シングルのMVや歌番組で珠理奈さん、(松井)玲奈さんたちが歌っているのは観たことありました。でも、それしか情報がありませんでした。メンバーも木﨑ゆりあちゃん、木本花音ちゃんとドラマで一緒だっただけ。それ以外、会ったこともしゃべったこともなくて。だからSKE48がどうこうでなく、どんなグループなのか知らなくて不安だったんです。場所が変わっても、やることが同じなら心配はないじゃないですか。でも、私の場合、SKE48の歌も踊りも1曲も知らないわけだから、またゼロからのスタート。会社が変わるというより、職種が変わる感じでした。

――姉妹グループで、そこまで違いました?

大場 グループによって、曲もダンスも色が全然違うので。一般の人で言ったら、業務内容がほぼ変わったほどです。

――野球選手だったのが、サッカー選手になるような?

大場 本当にそれくらいの感覚でした。

憧れの体育会系のノリが自分に合っていて

――でも、結果的にはSKE48が合っていたと。

大場 私はずっと、体育会系のノリにどこか憧れていたんです。

――元テニス部としては。

大場 テニス部は幽霊部員だったので関係ありませんけど(笑)、アイドルはダンスも歌も突き詰めるために、レッスンの過程がめちゃめちゃ長いものだと思っていたんです。1曲の振りを合わせるために100回やるとか、そういうことに憧れていて。

――大場さんが入った頃のAKB48はいわゆる全盛期で、ひとつのことをじっくりというより、次から次とスケジュールが入ってきたようですね。

大場 それでSKE48に来たら、ダンスにすごく力を入れていて。昔から、そこでAKB48との違いを出すことを大事にしてきて、その歴史は私が入ったときも続いていたし、今でもそう。こんなにしっかりダンスを合わせて、きれいなものを作り上げている。私はこれをやりたかったんだ! と思いました。時間はかかるし、体力も要る。でも、そこにしっかり向き合える人なら、向いているのがSKE48。私ももっと面倒くさがりだったら、無理でしたね。

グッズを身に付けたファンを作るのを目標に

――アイドル人生で<悲しい時>もありましたか?

大場 兼任していた1年ですかね。AKB48で4年やって、新たな地でファンの方がゼロの状態というのは、すごく怖かったです。ファンの方たちの雰囲気も全然違ってました。AKB48はフラッと来る人たちが多いイメージだったんです。高校生、大学生、スーツのおじさん、女の子とか、いろいろな人たちが入り混じっていて。

――SKE48のファンの方は?

大場 劇場や握手会でビックリしたのは、推しメンのグッズをたくさん身に付けて並んでいる人がすごく多くて。サイリウム文化もあるから、色もそう。メンバー1人に対する熱量とモチベーションが、こんなに違うのかと思いました。

――総選挙でSKE48勢が強かった原動力なんでしょうね。

大場 メンバーのファンの方たちを見ていると羨ましくて、私がSKE48で最初に掲げた目標が、自分のグッズをたくさん付けてくれるファンを作ることでした。でも兼任だと、どうしても「どうせ帰るんでしょう?」という目で見られてしまう。それを取っ払ってくれたのがメンバーでした。みんながやさしく受け入れてくれて、高柳明音ちゃんがリーダーだったチームKⅡに入れたことはすごく大きくて。私がSKE48に行く前から、ずっと連絡を取って、「不安なことがあったら何でも話して」と言ってくれたり、初めての現場でもずっと近くにいてくれて。

――のちに“ビジネスパートナー”と呼び合っていました。

大場 今振り返ると、彼女も人見知りなのに、何で私にあんなに親切にしてくれたのか不思議です。古川愛李ちゃんとの名コンビにも遊んでもらって、写真を撮ったりして、ファンの方たちにも「SKE48のメンバーと仲良いんだ」と、徐々に受け入れてもらえました。本当に当時のメンバーは先輩・後輩関係なく、みんなに感謝しています。

野間口徹さんとのコントで演技を追求しようと

――卒業後は女優の道に進むそうですが、AKB48に入った頃から、目指していたんでしたっけ?

大場 将来の夢を決めるように言われて、女優、タレント、歌手しか項目がわからなかったので、女優さんを選んだだけです。自分がAKB48のドラマや映画に出演させてもらって、いつからか「お芝居するって、こういうことなんだ」と知った感じでした。

――ドラマや映画をよく観ていたわけでもなくて?

大場 ドラマは好きで観てましたけど、アイドルしか目指してなかったので、女優さんの仕事の仕組みも全然わかってなくて。AKB48で初めてドラマに出たときも、現場でたくさん迷惑を掛けていたと思います。1~2年経って、いろいろな監督さんたちのお話を聞いて、ようやく「こうしたほうがいいんだ」とわかるようになりました。お芝居はできたら楽しいと感じて、追求したいと思い始めたんです。

――特に大きかった作品はありますか?

大場 お芝居と言えるかわかりませけど、NHKの『AKB48 SHOW!』で「妄想少女大場」というコントをやらせてもらって。

――卒業コンサートのタイトルにも使われている「可愛くてすみません」が決め台詞でした。

大場 そこで野間口徹さんと出会えたのが、本当に大きかったです。コントとはいえ自分がメインで、本物の俳優さんが相手で、1回目はすごく緊張していました。というか、1回しかないと思っていたら、好評だったんです。台本を読んで「こういうテンションで、こんなふうに台詞を言ったら面白い」とか、自分でいろいろ考えてやったら、野間口さんが合わせてくださって。それで皆さんに届いて反響があって、第2弾となったと思うんですけど、初めてお芝居で評価を受けました。

自分が主役タイプでないのは理解してます

――野間口さんからは、どんなことを学んだんですか?

大場 多くは語られないんですけど、やりやすい空気を作ってくれて、私が台詞の言い回しを間違えても、うまく回収してくれる。たくさん助けてもらいながら、たぶん気づかないうちに、いろいろなことを教わった気がします。「妄想少女大場」は回を重ねるごとに評判を呼んで、自信が付いて、役の大場美奈を演じることも楽しくなって。そこで野間口さんのように相手をカバーできるくらい、お芝居を極めていきたいと初めて思いました。

――今は目指す女優像もありますか?

大場 野間口さんの背中を追い掛けて、いつかちゃんと共演したいと思います。野間口さんは本当にいろいろな作品に出られているじゃないですか。主役でなくてもバイプレイヤーとして、どんな役にもなれる。同じクールで別々の作品で見ても、どちらにもキャラクターの色があって、ちゃんと演じ分けられている。すごい才能だと思います。私もあれくらい、いろいろな人物になり切るのが理想です。

――脇役でも毎クール何かしら出演しているタイプを目指そうと?

大場 私は主役タイプでないのは、はっきり理解してます(笑)。アイドルの世界でもセンター気質ではなかったし。将来おばあちゃんになったとき、2時間のサスペンスドラマに出られるくらい、力量のある役者さんになれたらいいなと。ここからまた、試練のスタートです。

自由にやらせてもらえたから楽しくて

――チーム4の後輩だった川栄李奈さんは、朝ドラのヒロインにまで昇り詰めました。

大場 私は基本、ヒロインというものは目指していません。芸能界に12年いて、ヒロイン顔でないのは重々承知しています(笑)。

――AKB48に入った当初は、王道アイドルを目指していたんですよね?

大場 そうなんです。だから、お芝居でも壁ドンをされるようなヒロインに憧れていました。でも、すぐ「あなたはそういうタイプではない」とバッサリ斬られたので(笑)、現実を見ました。

――そこで一度はショックを味わったんですか?

大場 ショックはちゃんとありました。でも、王道アイドルになれなかったからこそ、自由な感じでやらせてもらえて、すごく楽しいアイドル人生を送れました。きっとお芝居に関しても、ヒロインを目指すより、いろいろな形を探していくほうが私っぽいのかなと。アイドル時代の経験から、自分のやりたい方向が必ずしも正しいとは限らないと考えています。

物怖じしない人になりました

――卒業曲『生まれ変わっても』の詞にあるように、大場さんは生まれ変わっても同じ人生を選びますか?

大場 どうしよう? <失敗も間違いもすべてが私なんだ>という詞もあって、私は本当に失敗だらけなので(笑)。次は失敗しない人生を歩みたいと思いますけど、出会った人たちに関しては最高だったと、誇りを持っています。

――<自分の過去のどこを上書きしようかな>と思うこともありつつ?

大場 たぶん秋元(康)先生の中で、私は“失敗した人”というイメージなんでしょうね(笑)。失敗した。SKE48に行った。その2コの印象が強いんだと、歌詞を見て思いました。でも、AKB48グループに入っても全員が、秋元先生に自分のための歌詞を書いてもらえるわけではないので、その2コだけでも刻んでもらえていたのは光栄です。

――秋元先生とは直接話もしてきたんですか?

大場 会うたびに「暗い」しか言われませんでした(笑)。SKE48に入って、音楽番組のトークで秋元先生とご一緒したとき、「何でここにいるんだ?」と言われて「行けと言ったじゃないですか!」と指差してしゃべってしまって、思い返すと本当に失礼だったなと(笑)。でも、私はSKE48に入って、物怖じしなくなりました。品川駅でたまたま秋元先生をお見掛けしたことがあって、トントン肩を叩いて「どうも」みたいな。「元気にやっているのか?」と聞かれて「はい。じゃあ!」という感じで、誰だと思っているのか(笑)。

――AKB48時代は恐れ多かったのが?

大場 偉大な先輩たちがいたので、引っ込み思案がずっと抜けませんでした。でも、SKE48に行って上のほうの期になったのと、メンバーの影響もあって変われたと思います。

謹慎した身で二度と迷惑はかけたくなくて

――30代に、女優以外ではどんな展望がありますか?

大場 アイドルを卒業して劇場公演やトーク会がなくなると、ファンの方たちは「もう会えない?」という不安が真っ先にあると思いますけど、それは取り払いたいです。思い出を振り返る場所を作りたいし、せっかくできた絆を切らないことはちゃんと考えています。

――それはファンの方には嬉しいことですね。

大場 30歳から私は第3章なんです。アイドルになるまでが第1章、アイドル人生が第2章で、その次。第2章をなかったことにしたくないし、10年以上アイドルをしてきたのはすごく素敵な経験だったので、文字にできたらいいなと思っています。

――卒業するアイドルさんに定番の質問ですが、恋愛解禁になるのは楽しみですか?

大場 それはもう、天からの授かりものなので。子どもではないですけど(笑)、恋愛もそんなものでしょう。自ら探し求めることはしません。これから人との出会いはたくさん広がると思うので、運命的な巡り合いがあったらいいかな……というくらいです(笑)。

――グループにいても、恋愛禁止に息苦しさはありませんでした?

大場 それは自己責任の問題で、私はAKB48時代に謹慎した身として、二度とグループに迷惑はかけたくないと思って、生きてきましたから。恋愛禁止が息苦しいなんて、おこがましい。復帰してから、あんなに迷惑をかけたのに「もう一回頑張ろう」と言ってくれたことに感謝して、そこに関しては“無”でした。

昔のことも思い出せるコンサートにします

――では最後に、卒業コンサートまで、どんな形で有終の美を飾りますか?

大場 アイドルはやり切った想いでいっぱいですけど、ライブに関しては最後まで諦め切れません。たぶん卒業生はみんな思うことで、ライブはいくつになっても楽しいし、ずっと続けていきたいくらい大好き。だからこそ、自分で区切りを付けないと終われません。今回、卒業コンサートを3日間やらせていただけるということで、絶賛打ち合わせ中ですけど、AKB48時代に私を知ってくれた方も絶対に楽しめる内容にします。

――幅広いセットリストになるような?

大場 それが可能なのは3日間あるから。振り返れることもいっぱいあります。AKB48時代のファンの方はほとんどが、もうアイドルを追い掛けていないかもしれませんけど、しっかり昔を懐かしめます。この機会に自分の学生時代を思い出して、私の卒業コンサートに来てもらえたら。もちろん、SKE48でずっと応援してくれていた皆さんに最高のセットリストもありますし、どちらの方たちも楽しめる3日間になるように、今は集中しています。お楽しみに!

撮影/松下茜

Profile

大場美奈(おおば・みな)

1992年4月3日生まれ、神奈川県出身。

2009年にAKB48の9期生オーディションに合格。2010年に正規メンバーに昇格し、チーム4の初代キャプテンを務める。2013年よりSKE48と兼任になり、2014年に移籍。2015年よりチームKⅡリーダー。個人でドラマ『さすらい温泉 遠藤憲一』、映画『地獄少女』、舞台『ハケンアニメ!』、『羽世保スウィングボーイズ』などに出演。4月1日にパシフィコ横浜国立大ホール、2・3日にKT Zepp Yokohamaで卒業コンサート。

『心にFlower』

3月9日発売

TYPE-A~C(CD+DVD) 1750円(税込)

劇場版(CD) 1150円(税込)

TYPEA。大場美奈ソロ曲『生まれ変わっても』収録
TYPEA。大場美奈ソロ曲『生まれ変わっても』収録

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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