2022年はモノづくり向けメタバースから始まる
メタバース(超宇宙)という言葉をクアルコム社のCEOであるChristiano Amon(クリスチアーノ・アモン)氏(図1)がCES 2022で使ったということで、CESの話題に上ったようだ。メタバースとは、メタ(超)と宇宙を意味するユニバースとの合成語である。超宇宙よりも超現実という訳の方が適切かもしれない。つい最近まで、VR/ARをMRやXRと表現していたが、今はメタバースに置き換わったようだ。
メタバースとは、VR/AR(仮想現実/拡張現実)を使って映像を見ながら没入感を増すという分野である。メタバースは、フェイスブックの社名をメタと変えたことから、宇宙を意味するユニバースとミックスしてメタバースという言葉が使われるようになった。メタバースがこれからのITの世界の一つの分野を形成するかもしれないが、今のところはゲームに現実の映像とグラフィックスを混ぜるとか、Zoomのようなビデオ会議の中でグラフィックスのアバターを登場させるといった応用しか新聞では報道されていない。
しかし、メタバースの最大の応用となる可能性は、産業分野であろう。グラフィックスチップメーカーのNvidiaのジェンスン・ファン(Jen-sun Huang)氏や、アプリケーションプロセッサメーカーのQualcommのアモンCEO(図1)が述べているように、工業用の設計、例えばクルマの新車設計に大いに役に立つ。
今や仏ダッソー・システムズ社や米PTC社、独シーメンスソフトウエア社などが販売している3D-CADは、ずいぶん普及してきた。しかも開発すべき新製品のイメージを視覚的に捉えやすい。それだけではない。自動車のように多国籍企業の多い産業では、世界各地に工場を持っているが、世界中の設計者が設計データを同時にリアルタイムで共有したり、設計作業に参加したりすることはできなかった。もちろん、各地のユーザーの要求が異なることもあるだろう。しかし細かい仕様の要求ではなく基本的な設計を世界で共有できたら、世界の重要工場でほぼ同時に製品を立ち上げることが可能になる。T2M(Time-to market)が極めて短くなる。
関東圏と関西圏のエンジニアが同時に設計作業を進めるだけではなく、ミュンヘンやパリ、ロンドン、デトロイトのエンジニアが同時にリアルタイムで設計作業を行うことができるのである。まさに世界中がつながった世界の設計データをリアルタイムで世界中の工場が共有できるので、クルマの作り方の大変革になる。
VR/ARのチップはGPUと呼ばれるグラフィックスチップで描画すると同時に、世界中の接続にはレイテンシの少ない5G技術が必要となる。それを制御するCPUはArmかRISC-Vか、今後の半導体産業の勢力図は大いに変わる可能性がある。それでもメモリだけは必ず必要である。キオクシアのNANDフラッシュだけではなく、日本でもDRAM開発が行われればもっと強くなる。DRAMのようなメモリはコンピュータシステムだけではなく、AIやメタバースでも求められるからだ。
しかもコンピュータシステムの応用は、拡大している。昔は「コンピュータ」を意味していたが、今は、コンピュータと同じ仕組みを使ったエレクトロニクス製品(業界ではこれを組み込みシステム:Embedded systemsと呼んでいる)があふれているからだ。卑近な例では、冷蔵庫や電気釜、自動車、スマホなどから電気(電池含む)を使う装置やシステムは全てコンピュータ制御に代わっている。それだけ半導体市場が拡大し続けているのだ。
メタバースはデジタルツインを実現する重要なツール、とジェンスン・ファン氏は位置付けており、デジタルツインによりデジタルトランスフォーメーション(DX)を実現し生産効率を圧倒的に上げることができる。また、旧フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)CEOは、「メタバースの最大の特長はテレポーティング機能だ」と述べている(図2)。テレポーティングとは瞬時に移動できるという意味である。アバターや3D-CADを同時に共有しながら作業することはまさにテレポーティングを表している。
加えて、QualcommのアモンCEOは、最新のArm V9アーキテクチャのCPUコアとGPUコア、5G通信回路などを集積し4nmプロセスで実現したSnapdragon 8の発表時には、メタバースを実現するためのチップでもあると述べている。Qualcommも都市設計事例を3D-CADで描き、世界のパートナーをアバターで表現、一緒に都市設計する様子を見せている。
メタバースの本命は、モノづくりの設計であろう。世界中、日本中のエンジニアが同時に設計できる環境は、これまでのモノづくりの環境を一変させる可能性を秘めている。こういった応用では、メタバースが恐らくバズワードでは終わらないだろう。