教育におけるメディアリテラシーを考える〜「バイアス」を知ることと「ニュースコメント」の重要性について
教育の現場では、ネットニュースを無批判にそのまま受け入れてしまう学生が増えていると感じることが多い。その問題について、先日参画したイベント『ジャーナリズム・イノベーション・アワード2017』で提示した背景分析と、「ニュースコメント」の機能と影響から考えた解決策をまとめておきたい。
●急激に浸透するスマホの日常化
私が担当している小学生達の間でも「好きな芸能人」と「好きなユーチューバー」が自己紹介の重要ポイントになっている。一時期話題になっていた「将来の夢がユーチューバー」という主張はあまり聞かないが、それでも動画配信をやってみたいという声もあり、学校でもそれらの話題が飛び交っているという。また、待合室などで幼児をおとなしくさせるためにスマホでYouTubeを見せている親も散見する。教育現場で感じるそれらの影響について考えてみたい。
現場での状況とリンクするように、メディアでは次のような調査結果が見られるようになった。
実際、小中高生に「メディアリテラシー」を教える際に難しさを感じるのは、基本的に「メディアによって表現のされ方が違う」ことについては理解している(と認識している)ことが多いゆえに、逆に「自分はメディアをちゃんと使いこなしている」と錯覚してしまっていることだ。
それを裏付けるように、次のような調査結果もある。似たようなデータも近年枚挙に暇がない。
●教育現場での影響
実際教育の現場でこの数年で急激に変化しいることの一つに、口げんかなどで「ウソつけ!」といわれた時の反応がある。かつては「だってお母さんが言ってたし」だとか「先生が言ってた」「本に書いてあった」などが主流だったが、やがて「テレビで言ってた」という根拠に最も信頼が置かれるようになり、最近では「だってネットで見たし」という発言が圧倒的に増えてきている。テレビの内容までがネットニュース記事として上がるようになってきたため、ネットの方が「ニュース的」だと感じているのではないかとも考えられる。
ネットニュースはとにかく扱われる内容や表現方法の幅が広く、ニュースという概念が分かりにくくなっていることも原因の1つだろう。アクセスできる莫大なニュース的記事の中から彼らに引っかかる「検索ワード」はオモシロ系・エログロ系が大半である。それらをどれくらい「スゴい・ヤバい」かという評価軸で判断して、シェアしていく。当然それは完全に主観的な判断であり、しかしそれに無自覚なまま伝言ゲームのように情報が拡散していく。
SNSによるシェアしやすさも、ネットニュースが浸透する原因になっている。また画面を見せてシェアするシーンもよく見かけるのだが、驚くのはそのスピードである。会話の途中で「ちょっと見て」とか「今送るわ」といってシェアするのだが、ぱっと見てすぐに感想(スゴい・ヤバいかどうか)を言って会話に戻る。とても本文を読んでいるようには見えない。タイトルや画像、冒頭だけで知ったつもりになって、意見や内容を伴わない印象を述べ連ねて、次の話題へ滑ってしまう。次のような調査報告もあるが、現場感覚としては受験生によくある「言葉だけは知っているが、説明はできない」状態が大半である。
なかでも、現場で最も悪影響であると感じるのが、無自覚なまま「批評的な視点」を無くしてしまっている点である。1つの視点(記事執筆者の主観)からの意見に乗っかってしまい他の視点を受け入れにくくなってしまっている。これは、テレビも同じ影響を与えていたと思うが、関わる人数が少なく、編集や精査があまりされないで配信されるネットニュースの方が、より偏った影響を与えているように感じる。
●バイアスを知ることからはじめる
若者に限らず、私たちは様々なバイアス(思い込み、偏見)を持っている。「批評的視点の喪失問題」を解決するための第一の提案は、学生はもちろん、保護者や教育者などの関わる大人がそれらのバイアスを知ることである。まずバイアスの存在を知ることで、客観的に論理的に自分や社会を捉えることができるようになり、情報を扱う際の様々なリスクを減らすことができる。以下に、ネットニュースメディアを利用する際に特に相関があると思われるバイアスをまとめてみる。
ネットメディアの影響を加速させる幾つかのバイアス
・単純接触効果
見慣れているものに好感を抱く傾向
・アンカリング
特定の情報から全体を判断してしまう傾向
・配置バイアス
記事の冒頭部分が重要だと思ってしまう傾向
・選択支持バイアス
過去の自分の選択が正しかったと思いこむ傾向
・Google効果
容易に手にした情報は忘れやすい傾向
・真理の錯誤効果
すでに知っている情報を正しいと思いこむ傾向
・選択的知覚
自分の信念に合わない情報に気付かない傾向
・ネガティビティ・バイアス
良い情報よりも悪い情報が気になってしまう傾向
・敵対的メディア効果
自分の信念に合わない報道は偏見だと感じる傾向
・バイアスの盲点
自分は偏見が少ないと思いこむ傾向
これらのバイアスを知ることなく、ネットニュースに触れ続ければ最悪の場合、ネットニュースが情報ソースとして当たり前になり、ネガティブなタイトルや扇動的なタイトルから情報を得た気になり、自分で考えることなく無自覚に記事作成者の立場を受け入れ、あとから違う立場の記事が出ても気づかないか偏見だと思い、ニュースはすぐに忘れてしまい、そのこと自体を肯定するようになるおそれもある。
●ネットニュースの長所を活かして問題解決するには?
「批評的視点の喪失問題」を解決するための第二の提案は、ニュースコメントの活用である。
小中学生にニュース記事のみを見せた場合、そこに記者の視点が介在していることを意識できていることはほとんどない。しかし、ニュースに対する批評や対立意見、複数の視点のコメントを同時に提示すると、ニュースの視点とコメントの視点のどちらに共感できるかできないか、好きか嫌いか、あるいは自分ならどう考えるか、という選択や思考を自然にするようになる。つまり、無意識のうちにより客観的でメタな視点に自分を置くようになる。
ネットニュースには、コメント機能がついている場合も多く、Yahoo!ニュースにおいても匿名のコメントが多数表示される。しかし、匿名意見はたとえ内容のあるものであっても、無責任な意見として中高生にも伝わってしまい、批評や視点としての効果は小さくなる。一方、実際現場で生徒たちにコメントを見せた時の反応は、誰が言っていたのかが明確なほど影響力があるように感じる。であるから、そのテーマの専門家以外も含む有識者(実名・顔出し)による、複数の視点からのコメントを同時に表示することが理想的だと考える。たとえ本質的でないような意見であっても、そのコメント自体を批評的に見る視点を誘導することができるし、教育現場で使用する際は、コメントを選び、あるいは講師自身のコメントを並列に扱うことで複数の視点を喚起することができる。
非常に単純な解決策だが、ネットニュースに、最低限信頼できる人間のコメントがあることで、ニュースをそのまま受け入れてしまうことなく、「自分ならどう考えるか」という思考や選択が自然に生じるようになる。コメントに対する批判や炎上などのリスクを恐れて、コメントを書かないオーサーが多いと聞くが、コメントをすること自体がメディアリテラシーの向上に繋がる可能性を鑑みて、顔が見えるコメントを寄せる多分野の専門家が増えていくことが望まれると同時に、家庭や教育機関において、学生と関わる大人が積極的に自らの見解をコメントしてニュースについて話題にしていくような環境づくりが急務であると考える。
最後に、提案をシンプルにまとめておく。
家庭や教育の現場で「ニュースを話題に」して欲しい。
その際「顔の見えるコメント」を同時に扱って欲しい。
それだけでも「自分で考えるようになっていく」環境に近づくはずである。
(矢萩邦彦/知窓学舎・教養の未来研究所・Terra Academy)