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世界ランキングに必要なポイントを獲得するのが、いかに困難か知っていますか?【テニス】

神仁司ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト
岩渕トーナメントディレクター(左)と株式会社ルネサンスの岡本氏(写真/神 仁司)

 実は、日本でプロテニスプレーヤーになることは、意外に難しくない。もちろん誤解してほしくないのだが、誰にでもなれるわけではなく、あくまで手続き上の話で、だ。テニスは、ゴルフと違って、実技のプロテストがあるわけではなく、日本テニス協会での登録上でプロに認可されれば、晴れてプロテニスプレーヤー誕生となるわけだ。

 一方、日本人プロテニスプレーヤーが成功を収めるのは、至難の業である。なぜなら、誰一人例外なくプロならば海外へ活躍の場を求めなければならないからだ。テニスには、ゴルフのように日本国内でプロが活躍できるプロツアーが存在しない。よって、男子ならATPツアー、女子ならWTAツアーを目指して世界ランキング上昇を目指す。

 また、日本人プロテニスプレーヤーが成功するのが難しい要因として、プロテニスが欧米中心の競技であることが挙げられる。2010年代頃から、中国がワールドプロテニスツアーでの市場価値を高め、アジアの存在感を高めてきてはいるものの、2024年現在も依然として、プロテニスは欧米中心の競技であると言わざるを得ない。

 陸続きのヨーロッパや国土の広い北米と違って、島国である日本から数多くの国際大会出場を求めるとなると、当然海外への移動を強いられることになり、若い日本人プロテニスプレーヤーは、体力的にも経済的にも負担を強いられることになり、欧米選手と比べてハンデを負うことになる。

 そんな背景を踏まえて、岩渕聡氏が動き、2024年シーズンから、M15棚倉大会(ルネサンス国際オープンテニス、賞金総額1万5000ドル、10月20日~27日、福島・ルネサンス棚倉)を創設した。

 岩渕氏は、元プロテニスプレーヤーで、世界ランキング最高223位、2005年ジャパンオープンでは、鈴木貴男と組んだダブルスでツアー優勝した。男子国別対抗戦デビスカップ日本代表ではダブルスで活躍し、1996年アトランタオリンピックと2000年シドニーオリンピックにダブルスで出場を果たした。株式会社ルネサンスとは、2007年から契約を結んでいる。2009年に現役引退後、2017年から2022年には、デビスカップ日本代表監督を務めた。現在、一般社団法人IWABUCHIの代表理事を務める。

 岩渕氏が、プロに転向した1994年当時では、ITF(国際テニス連盟)男子最下位グレードの大会は、サテライトサーキットと呼ばれるものだった。これは、3大会とマスターズ計4大会で構成されるもので、4大会戦った合計ポイントで上位者から世界ランキングに必要なATPポイントが分配されるという特殊なものだった。それゆえ、日本人プロテニスプレーヤーが、ATPランキングに名を連ねるまでに非常に困難な道を要した。

 1998年からATPフューチャーズ大会が創設され、1大会の中で試合に勝っていけば、ATPランキングを獲得できるようになったが、2019年のツアー改革によって、フューチャーズ大会が消滅し、ITFサーキット男子最下位グレードのM15大会では、ATPポイントを獲得できなくなった。M15大会は、プロテニスプレーヤーの登竜門となる大会だが、ITFポイントしか獲得できなくなり再びプロへの敷居が上がった。そして、コロナ禍を経て、M15大会でATPポイントを獲得できる現状に至っている(M15で優勝すれば15ポイント獲得)。

「自分も高校を卒業して18の時に、日本であったサテライト大会で、最初にポイントを取った。そこがスタート地点だった。多くの志の高く夢を持っている選手に、少しでもチャンスを与えられる大会を作れたら」と考えた岩渕氏は、2023年春にダメもとで所属契約をしているルネサンスに相談をしてみた。

 ルネサンスは、1979年10月に、「ルネサンス テニススクール幕張」をインドアテニスコート8面でオープンさせたのが始まりで、当時第2次テニスブームも相まって人気を博した。その後、総合型スポーツクラブを全国に272カ所、テニススクールを約40カ所展開し(2024年3月時点)、スクール事業では、子供や成人向けにスイミングスクールやテニススクールを手がけている。スイミングでは、競泳日本代表選手の池江璃花子がルネサンス出身だ。

 また、千葉県千葉市花見川区にある「ルネサンス 鷹之台テニスクラブ」に18面のテニスコートを有し、1985年から5年間、女子テニスの国際大会も開催したことがあった。

 今回、相談を受けた株式会社ルネサンス代表取締役社長執行役員の岡本利治氏は、ある危機感を抱いていた。

「ジュニアの時にテニスに触れてもらわないと、テニスの人口は増えていかないと思う。みんなが選手にならなくてもいいけど、エンジョイして生涯スポーツとして続けていくためには、子供の頃からやるべき。(ルネサンスの)スイミングでは、選手コースと楽しむのと分かれている。ピラミッドができていて下の方からずっと上がっていけて、池江選手もいる。(子供たちが)硬式テニスを続けながら、(テニスの)ゲームとしても楽しめるような環境を作っていかないといけない」

 このような岡本氏の思いもあって、棚倉大会の特別協賛を務めることになったルネサンス。大会会場となるルネサンス棚倉は、2022年3月にコートサーフェスがハード(デコターフ、12面)に整備され、さらにインドアコート4面と宿泊施設も備えており、国際大会招致にも対応できるようになっている。

 ルネサンス棚倉では、2023年から全国ジュニア大会(12歳以下)も開催するようになり、さらなるパスウェイとして今回のM15大会創設にもつながった。

 なお、大会開幕直前の10月18日と19日には、ワイルドカード選手権を開催する。14~18歳の日本男子選手で、プロを志し世界ランキング獲得を目指す若武者の参加を待っている。

「世界につながる大会に自分も参加しているという気持ちでテニスをしてもらうことが大事」(岩渕氏)

 日本での国際テニス大会誘致やジュニア選手への支援の動きは、数年前から活発になっており、例えば、西岡良仁は、男子ジュニア選手の海外遠征費サポートのために、2021年から「Yoshi’s Cup」を創設。一方で、内山靖崇は、地元の北海道・札幌で、2021年から「UCHIYAMA CUP」を誘致した(2021年は国内大会、2022年からM25大会として2週開催)。多忙な現役選手であるにもかかわらず日本テニスの未来を憂う彼らの動きに刺激されて、岩渕氏も心を動かされたのだ。

 現時点ではルネサンスと棚倉大会は1年契約で、「今回成功しないとですね」と語り、まだ先はわからないとする岡本氏からは、経営者としての一面とテニス人としての一面の両方がうかがえる。

「(大会が)単年度で終わってしまっては意味がないので、うちとしてはできるだけ長く続けたいです。余裕があれば、年に複数回できるといい」

 そして、近い将来に、ルネサンス出身のジュニア選手が、M15大会に挑戦できるようになることを夢見ている。

「小さい大会ではありますけど、世界につながっています」という岩渕氏の言葉が象徴するように、テニスは、日本のプロ野球や相撲と違って国内完結型のスポーツではなく、ワールドワイドなスポーツだ。現在では、野球もサッカーも海外に挑戦することが珍しいことではなくなったが、テニスでは40年以上前から海外へ挑戦することが当たり前のことだった。

 そんな世界への第一歩をサポートするために、現役時代に体験した自らのATPポイント獲得への苦労を踏まえて岩渕氏が創設する夢のつまった大会が成功することを願わずにはいられない。そして、「ルネサンス国際オープンテニス」が単年で終わることなく、東北の名物テニス大会となるぐらいまでに成長し、そこから世界の舞台で活躍するプロテニスプレーヤーが巣立っていってほしい。

ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンMJ)勤務後、テニス専門誌記者を経てフリーランスに。グランドスラムをはじめ、数々のテニス国際大会を取材。錦織圭や伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材をした。切れ味鋭い記事を執筆すると同時に、写真も撮影する。ラジオでは、スポーツコメンテーターも務める。ITWA国際テニスライター協会メンバー、国際テニスの殿堂の審査員。著書、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」(出版芸術社)。盛田正明氏との共著、「人の力を活かすリーダーシップ」(ワン・パブリッシング)

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