悪気ない行動に差別のDNAが宿っている?有名人ブログの「あえて白人」発言の違和感
とある有名人がニューヨークのマンハッタンに高級マンションを現金で購入したというニュースを見て、興味本位でブログを覗いてみたときのこと。そこには、購入プロセスのために雇った弁護士について「あえて白人をリーダーにした。おかげでさすが、素晴らしい仕事ぶり」といったようなニュアンスの日記が書かれていた。
これを読んで「何が問題?」と思う方も多いだろう。そのご指摘、間違っていません。
だが、私はなぜだかモヤッとした気持ちになった。この喉に小骨が刺さったようなひっかかりは何だろう?
ここは人種のるつぼニューヨーク。普段の会話で、メディアで、SNSで、そのような特定の人種を強調するようなことを現地の人々は言わない。在米日本人の会話からも聞こえてこない。「強調の意図は?」違和感がどうしても拭えなかった。
その後、3月9日号付け『ニューヨークタイムズ』紙に掲載された、日本在住の黒人ジャーナリスト、バイエ・マクニール(Baye McNeil)さんについての記事を読んで合点した。
記事のタイトルは「What It’s Like to Be a Black Man in Japan」(黒人男性が日本に住むのはどういう感じか)。アディール・ハサン(Adeel Hassan)氏によるインタビュー記事だ。
ニューヨーク・ブルックリン出身のマクニールさんは日本在住歴15年で、日本が大好きだそう。『The Japan Times』に自身のコラム「Black Eye」を寄稿している。
日本在住黒人コラムニストの訴えから見えてきたこと
マクニールさんは日本での生活を通して、多様性についてのさまざまな興味深いコラムを発信している。
また、2017年の年末、お笑い番組で黒塗りメイクが物議を醸したときも、日本は好きだが止めてくれと、Twitterで切実に訴えた。
件のニューヨークタイムズの記事だが、興味深かったポイントが2つある。
1つは、日本で黒人文化へのリスペクトを感じることが多いとしながらも、ニュースがリアルタイムに世界に流れる現代において、日本が無知で人種差別主義の国という烙印を世界から押されないために、メディアやスポンサーは世に出す前に今一度再考することが必要だと、警鐘を鳴らしていること。
もう1つは、彼が人種差別(racism*)という言葉のかわりに、思い込み(presumption)という言葉を使うようにしている理由として、人種差別という言葉で片付けてしまうと、もうそれ以上の解決策や議論の余地がなくなるからということ。そして(日本ではそれも)至極当然と理解を示し、「日本人は未知のものでもそれが問題であるとわかったら、議論にオープンである」というコメント。
これらは私も普段から同意するところだ。私も人種差別という言葉をあえてあまり使わないようにしているのは同じ理由であるし、そもそも日本にずっといて「知らない」のはしょうがないのだから、問題になる多くは悪気があっての行動ではないと理解している。また問題だと知って、素直に話し合う姿勢はすばらしい。
マクニールさんについてもう少し調べてみようとウェブサイトを見てみたら、さらに興味深いYouTubeを発見した。
TBSが社内向けに行なっている人権講座「ブラックフェイス どう向き合うか」で、マクニールさんが講師として登壇していた。
この中で私が合点した教えは、「差別的意図がなくても、行為そのものが人種差別的なDNAを含んでいることがあるので、注意が必要」という箇所。冒頭に書いたもやもやの原因はこれだ、と思った。
彼は映像でブラックフェイスを事例に挙げていたが、これは何でも言えることではないだろうか。(そして言葉にも)
誤解なきよう念押ししておくが、冒頭の有名人が特定の人種について触れたこと自体に差別的な意図はなかったはず。そもそも、これまでずっと日本にしかいなかったのだったら「知らない」だろうし。
そして私にもこれを読んでいるあなたにも「知らないこと」はたくさんあるだろう。
人種差別以外にも、もしかして自分が意図していないことだったとして、ある人にとっては違和感を覚えたり、差別的に感じたり、嫌な気持ちになることもあるかもしれない。改めて身が引き締まる思いがした。
参照:
人種差別という意味のRacism*について、Wikipediaの解説:
人種差別とは、ある人種がほかの人種より優位であるという信念。そのように思うことで人種や民族に基づいて差別や偏見が生じることがよくある。 「人種差別」という用語は、単に1つの定義として容易に当てはまるものではない。
(Text by Kasumi Abe) 無断転載禁止