「日本一の里山」守りたい 国蝶・オオムラサキの飼育を通し子どもたちに託す未来
兵庫県川西市の黒川地区は、「日本一の里山」と呼ばれている。茶道で使われる最高級の「菊炭」生産のため人の手が適度に入ることで、良好な環境が保たれてきたからだ。だが、近年は炭焼き農家が減り、里山を維持するのが難しくなってきた。その黒川で里山を守っていく担い手を育てようとしているのが環境省・環境カウンセラーの石津容子(74)さんだ。絶滅が心配される国蝶(こくちょう)オオムラサキの飼育を小学生に体験してもらうことで、まずは地元の豊かな自然に興味を持ってもらう活動を続けている。里山の将来を子どもたちに託そうとする石津さんの思いとは。
●日本一の里山の現状
木々のざわめきと鳥や虫の声が鳴り響く山あい。目の前に広がる田園と民家の風景。その境界にあり、人が薪や山菜を採るために手を入れてきた場所が里山と呼ばれている。
黒川の里山は「菊炭」の生産とともに発展してきた。樹齢8年から10年のクヌギやカシの若木を炭にすると、焼き上がった断面が菊の花びらのように割れることから名付けられた。火付きと火持ちがよく、煙が立たずに静かに燃えるのが特徴だ。室町時代から茶席などで高級炭として重用され、現在も京阪神の問屋を通じて全国に出荷されている。
黒川では約8年の周期でクヌギを伐採し、再生させてきた。クヌギには多種多様な昆虫が集まり、冬の落葉が堆肥となってあたりの土の栄養分となる。こうした環境が保たれていることが、「日本一の里山」といわれる由縁だ。
ただ、その環境を維持していくことが難しくなりつつある。昭和30年代以降、電気やガスなどへのエネルギー転換が進み、最盛期には約40軒あった炭焼き農家は今では1軒が残るだけだ。「林の管理者が居なくなると、一気に雑木林となり、周囲の生態系が変わります。光が入らなくなり里山が暗くなっていきます。そうならないように周期的に伐採をしなければならないのですが、放置林が増えてしまっています」と石津さんは話す。
現在、黒川では炭焼き農家のほか石津さんを含めたボランティアによって伐採や植樹などが行われているが、雑木林は徐々に増えている。さらに追い打ちをかけているのが少子化だ。将来にわたって里山を管理していく担い手が見あたらないのだ。対策として市は廃校になった旧黒川小学校の校舎を2022年から「里山センター」としてフリースクール里山体験の場として使い始めた。これからも子どもたちが集う拠点として拡充していく方針だ。
●豊かな里山の象徴、準絶滅危惧種の国蝶オオムラサキを子どもたちと育てたい
主婦だった石津さんは里山保全のため約25年前に「身近な自然とまちを考える会」を結成、地区内を流れる猪名川流域の水質や生物を調査してきた。里山を守るために何かしたいと思っていた石津さんだが、はじまりは娘の中学校の理科の自由研究だったという。
「夏休みの自由研究でいろんな場所の水質を調べていたんです。やはり黒川の水質はきれいで、いろんな生物がすんでいるのが分かりました。良質なクヌギがある黒川は落葉した堆肥も豊富です。養分を含んだ堆肥が川に流れて、里山の多様な生態系を循環させているんです。その研究を機に黒川の里山の保全に携わっていきたいと、環境カウンセラーの資格を取りました」
その石津さんがオオムラサキの美しさに魅せられたのは約10年前。兵庫丹波オオムラサキの会の足立隆昭会長との出会いがきっかけだった。オオムラサキはその鮮やかで大きな存在感から、1957年に日本昆虫学会により国蝶と認定された。日本全国に生息していたが、現在は環境省が準絶滅危惧種に指定している。石津さんは現状についてこう説明する。
「当初は単純にオオムラサキの美しさに感動しました。幼虫の頃はあんなに可愛いのに、なんで成虫になるとこんなに鮮やかな姿に変わるのか。里山との関連も分かってきました。オオムラサキは極度な狭食性で、幼虫の頃はエノキの葉、成虫はクヌギの樹液しか食べません。黒川はクヌギが豊富ですが、エノキが少ないんです。菊炭が盛んに作られていた昔は自然のオオムラサキが観測されていましたが、私が保全活動を始めた頃から、天然のオオムラサキは見たことがありません。エノキの数が放置林の影響で減少し、オオムラサキの絶対数が極度に減ったのだと思っています。天然のオオムラサキが飛び交わないのでは、日本一の里山とは言い難い」
石津さんは、足立会長の下でオオムラサキの生態を調べ始めた。飼育を始めたのは7年前のことだ。娘たちが卒業した市立明峰小学校の3年生の理科の授業で体験学習を実施した。また、校内に飼育ケージを置き、幼虫からさなぎ、成虫、交尾まで完全飼育し、成虫を放蝶するようになった。子どもたちにオオムラサキに興味を持ってもらうことで、黒川の里山の将来の担い手を育てたいとの思いがあった。
●指導してきた生徒数は1000人以上。徐々に注目が集まる
石津さんは、さなぎが羽化する6月~7月になると、児童を飼育ケージの中に入れ、さなぎや成虫と触れあえるようにしている。
「エノキの管理や天敵となるアリやハチの侵入を防ぎながらオオムラサキを育てるのは大変。基本的に1人でやっているので管理が不届きで死んでしまう個体もありますが、多くの個体を育ててきました。指導してきた生徒たちは1000人を超えていると思います。最初は誰も協力してくれませんでしたが、新聞社や市の広報も毎年取材してくれるようになりました。去年は信用金庫がスポンサーとして出資してくれて、飼育ケージも拡張できました。子どもたちの中には羽化のシーズン以外でも熱心にずっと観察日記をつけてくれる子もいます」
2023年6月中旬。20匹の幼虫のうち、12匹が成虫になった。3年生の全クラスを対象に体験学習が行われ、放蝶会も実施された。
「昆虫は脚が6本でしょ?でもオムラサキは4本しかないように見えるよね?実は2本は見えにくいけど前についてて、樹液を探ったりするセンサーの役割を果たしているんだよ」。石津さんからこんな説明を聞いた子どもの手のひらから、オオムラサキが羽ばたいていった。
●子どもたちの体験談が里山の未来への挑戦
オオムラサキに触れあうことで、子どもたちに何を学んでほしいのか。
「『お母さん、今日学校でオオムラサキを触ってきたよ。めっちゃきれいだったよ』。そういう会話を家庭でしてくれてきたことが、現在まで注目してもらえた要因だと思うし、これからも大事にしたいことなんです。チョウと触れ合うことで、地域にある日本一の里山への興味がわくきっかけが出来ると思うんです。それが各家庭で自然に増えて欲しい。これが根本的に大事にしたいことです。なぜこのチョウが減っているのか、将来いなくなってしまうのか、それを止めるにはどうしたらよいのか?体験を通して考えてもらうのが大事だと確信しています。少子化もオオムラサキの減少も同じです。問題意識は先ず興味がわかないと行動が伴いません」
●オオムラサキの里公苑への具体的な道のり
市によると、黒川地区の人口は2020年の時点で97 人、 65 歳以上の高齢者は 59%だ。里山を守る人手不足が深刻化する一方で、里山の美しい景観を楽しめる施設やキャンプ場のほか、地域の鉄道会社が運営するケーブルカーがめぐる観光名所もある。
そんな土地で石津さんが夢見ているのが、「オオムラサキの里公苑」をつくることだ。その手始めとして、市が管理する土地やセンター内でエノキの植樹を計画している。
「成虫の餌となるクヌギは十分にあるので、幼虫のためのエノキの植樹をまずは目標としたい。エノキを植樹して、飼育ケージを作ってオオムラサキを育てる。そこからケージの数や関係者も増やしていきたいです。私が倒れるまでには必ず。もし私が倒れても子どもたちがこの想いを引き継いでくれるはず。私はそう信じて行動を続けます」
【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動はドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】
クレジット
取材協力:川西市立明峰小学校
黒川里山センター
きららの森のいえ
池田の菊炭 今西菊炭本家
兵庫県立人と自然の博物館
北摂里山博物館
妙見の森ケーブル
音楽:柴結び / Audiostock