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なぜ遠藤保仁は「ガンバの男」で終わらなかったのか? 決断の裏に黄金世代のライバル心?

元川悦子スポーツジャーナリスト
黄金世代の刺激は遠藤の原動力(写真:Press Association/アフロ)

J1最多出場記録を更新した男の移籍決断にガンバファン騒然

 日本代表歴代最多キャップ数の152試合を誇る遠藤保仁(G大阪)がJ2ジュビロ磐田にレンタル移籍するというショッキングなニュースが飛び込んできた。期間は今季終了までの約3カ月間。近日中に正式発表される模様だ。

 磐田は1年でのJ1復帰を掲げながら、23節終了時点で12位と低迷。成績不振を理由にフェルナンド・フベロ監督を解任した。2000年代前半の黄金期を指揮した鈴木政一強化本部長を監督に抜擢し、さらに遠藤を加えて後半戦にテコ入れを図るというのだ。

 1年前には今野泰幸がガンバから磐田という同ルートで移籍していたこともあり、遠藤に白羽の矢が立つのも不思議ではない。とはいえ、遠藤自身が2001年から20シーズンを過ごしてきた愛着のあるガンバを出るというのは思い切った決断に他ならない。報道を受けて、多くのサポーターから「受け入れられへん」「ガンバ以外のヤットは想像できない」といった多種多様な反応が見られた。

宮本監督の若返り方針もあり、新天地での活躍の道を模索

 ガンバの先輩・宮本恒靖監督はチームの若返りを推し進めている。J1最多出場記録を樹立した7月4日の大阪ダービー以降、40歳の遠藤が出場機会を大幅に減らしていることを背景に、指揮官との確執などさまざまな見方がなされているが、最大の要因は本人がピッチ上でのプレーに強くこだわったことだろう。「自分はまだまだ高いレベルでやれる。オファーを出してくれるチームがあるなら、そこへ行って、持てる力を発揮した方がいい」という考えは極めてシンプルだ。

 実際、楢崎正剛(名古屋クラブスペシャルフェロー)の持つJ1・631試合出場に並んだ2月23日の横浜F・マリノス戦後も「充実したサッカー人生を送りたいんで、そのためには試合に出ないといけない。いい若手がどんどん出てくるので、それに負けないように粘り強くやっていきたい」とコメントしていた。その思いがガンバでは叶わないと分かった今、新天地を求めるのは自然のなりゆきだ。

充実したサッカー人生を送るために「ガンバの男」に区切り

 20年という長きにわたって青黒のユニフォームを身にまとった以上、新たな環境に赴くのは勇気のいることだが、真のプロフェッションである遠藤はドライに割り切った。そこは「浦和の男」で終わった鈴木啓太(AuB株式会社代表)、「鹿島の男」で終わった小笠原満男(鹿島アカデミーアドバイザー)や内田篤人(JFAロールモデルコーチ)とは異なるように映る。彼の場合、98年に横浜フリューゲルス入りし、京都サンガを経てガンバに赴いた経歴もあって、「ガンバの男では終わらない」というヤット流の生き方を選んだというわけだ。

 もう1つの原動力は、黄金世代の仲間たちへのライバル意識ではないか。すでに小笠原や中田浩二(鹿島クラブリレーションズオフィサー)らは引退したが、中盤でしのぎを削ってきた小野伸二(琉球)や稲本潤一(相模原)はカテゴリーを落としてもプレーを続行。本山雅志も現時点では北九州の実家の魚屋を手伝いながらトレーニングを続け、復帰の道を模索している。ポジションは異なるが、南雄太(横浜FC)は今も健在だし、高原直泰(沖縄SV)も九州リーグ1部で代表兼選手として頑張っている。永井雄一郎(はやぶさイレブン)に至っては8部リーグに相当する神奈川県リーグ2部で今も奮闘中だ。

現役に強くこだわる79年組のメンタリティ

 飽くなき向上心を持つ同世代の面々に囲まれていたら、「自分はこのまま終わってはいけない」という危機感が日に日に高まってくるのもよく分かる。それはすでに一線を退いた播戸竜二(Jリーグ特任理事)らも口癖のように言っていたこと。永井も「年齢を重ねれば重ねるほどサッカーへの情熱が強くなる」としみじみ語っていた。こうした感情は黄金世代に通じる部分かもしれない。

 99年ワールドユース(ナイジェリア)の頃を振り返れば、遠藤はつねに小野や本山、稲本の後塵を拝し、彼らを追いかける立場だった。ワールドユースの時も稲本のケガによってボランチのレギュラーをつかみ、準優勝の立役者になったのだ。A代表デビューも2002年日韓ワールドカップ直後まで遅れ、ジーコジャパン時代はいつも海外組の穴埋め役だった。その立場が2006年ドイツワールドカップを境に逆転。日本代表でもJ1でも偉大な数字を残すことに成功したが、彼らとの切磋琢磨はまだ終わらないのだろう。

J2で「黄金世代ここにあり」を示す!

 小野や稲本はこのところケガが多く、思うようにプレーできていない。ゆえに、自分がJ2で活躍することで「黄金世代ここにあり」を示したいという思いがどこかにあるのではないか。J1に居続けて、641試合出場という記録を地道に伸ばすという安住の道を行くよりも、環境を変えてもそうした方が価値があると遠藤は判断したはずだ。

 あとは新天地・磐田で鈴木監督の戦術にフィットするか否か。1年前に移籍した今野は大ケガも災いし、フベロ体制でベンチ外が続いたが、磐田ではベテランがこのように扱われるケースが少なくない。過去には中村俊輔、松井大輔(ともに横浜FC)も中途半端な立ち位置を強いられているのだ。「遠藤だけは無条件に使う」という保証はない中、果たして彼はどのように自分自身を適応させていくのか。そこは非常に興味深い点である。

ベテラン移籍組に鬼門の磐田で活躍できるか?

 鈴木監督はハードワークや献身的守備を要求するだろうし、ガンバ時代のようにボールを握ってパス回しの起点になるような司令塔的な役割を任せてくれるとも限らない。出場時間を延ばしたいと本人が願うなら、新天地の戦術に自身を合わせていくしかない。来年1月で41歳になろうという遠藤には酷な要求になるかもしれないが、そこに挑んでいくしか道はない。むしろ、あえて厳しい環境に身を投じ、限界を超えていくことで、新たな自分を見出せる可能性も少なくない。この移籍が日本屈指のボランチにとって最良の決断になることを強く願いたい。

スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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