話題のアーティスト・友沢こたお 虎ノ門の新施設で人気のスライムシリーズが常設
「スライムを顔に浴びた人物像」—この独特の表現“スライムシリーズ”で人気のアーティスト・友沢こたおさん。現役の東京藝術大学大学院生でもあり、注目の若手作家として日々創作活動に励む彼女が、10月6日に東京・虎ノ門にオープンした話題の施設のために手がけたアートワークが話題となっている。
この度、友沢こたおさんにインタビューさせていただき、幼少時代から現在に至るまでの話をうかがうことができました。
フランス人の父と漫画家の母という両親の間に生まれる
両親が旅で訪れたタイの美しい島「コ・タオ島」が名前の由来という友沢こたおさん。フランス人で船長・歌手である父と漫画家である母の間に生まれた彼女は、5歳までフランスで育ったのだそう。
友沢こたおさん(以下:こたおさん)「フランスに住んでいた頃は現地の保育園に行っていたのですが、感覚的というか美術の授業とかもあったんです。3、4歳頃だと思うんですけど、ピート・モンドリアンやクロード・モネを模写したり、みんなでモネの家に行ったり。その頃の記憶もしっかりありって、モネの家を歩いた時の落ち葉の色とか覚えてます。いま思えば、あれはいい経験でした」
幼少期からそのような環境で育ったこたおさん、当時から片時もペンを話さず紙をねだってはずっと絵を描いていた。
こたおさん「友達の家に行っても、レストランに行っても『ねえねえ、紙ちょうだい』って言って紙に人の絵をいっぱい描いていましたね」
小学生に入る頃になり、日本に住むことになったこたおさん。その頃になると、彼女の心には漫画家としての夢が芽生えていた。
こたおさん「母が漫画家(友沢ミミヨ)だったのもあるんですが、楳図かずお先生が大好きで、『楳図先生みたいになりたい!』と思って、楳図先生の絵の模写をずっとしてました」
ホラー漫画の第一人者として知られる楳図かずおに傾倒し始めたのは小学一年生の頃からだという。
こたおさん「画風というより、楳図先生の世界観が好きでした。『まことちゃん』『洗礼』『おろち』とか。特に『イアラ』が好きでした」
「いま思うと、あんまり周りの子と話が合わなかったかもしれない」とこたおさん。その理由を尋ねてみた。
こたおさん「特撮テレビ番組の『クレクレタコラ』とアニメ『テックス・アヴェリー』のビデオを母が持っていて、それを何度も何度も見てました。いま見返すと全部かわいく見えるけど、実はちょっと暴力性が強くて、それがねじ込まれてるみたいな感じで。楳図先生の『まことちゃん』とかも、面白くてコミカルなんだけど、突然、すごい残虐な発言とかするじゃないですか。赤塚不二夫先生の『ギャグゲリラ』とかも。そういうのが自分にとっての基準ラインというか、安心するものという感じでした」
美大を目指し美術系の高校に進学
中学3年生まで漫画家を目指していたこたおさんだが、高校進学を考える頃には美術系の高校への進学を考え始めたのだそう。
こたおさん「漫画家は物語をしっかり構成まで考える必要があることがわかるようになっていくうちに、当時『ちょっと、いまの私にはできないぞ』って思うようになって。それよりもデッサンをして、紙の上にないものを創り出す、そこにロマンを感じて。学校の授業も美術の授業以外は面白いと思っていなかったので、いい美術高校に行って、いずれは美大に行けたらと思うようになっていました」
小学生の頃は楳図かずおが好きで漫画家を目指していたこたおさんだが、中学時代にハマったのはプロレスだった。
こたおさん「その頃はプロレスのデスマッチが好きで。毎月ひとりで後楽園ホールに通って、プロレスラーがリングの上で血だらけになって戦っている姿をすっごい興奮しながら観てました」
高校で「絵が一番上手い子」じゃなくなってしまった
フランスの保育園時代から中学まで毎日毎日絵を描きつづけたこたおさん。美術高校時代はどんな生徒だったのだろうか。
こたおさん「小さな頃から中学時代まで、もうずっと『こたおちゃんは一番絵が上手い子』っていう立ち位置だったけど、その高校のレベルが高過ぎて、そうじゃなくなったんです。初めて」
こたおさん「もう、ほんと3年生ぐらいまでずっと、デッサンができないんです。石膏デッサン、ほんとにできなくて、何描いてもソフトクリームが溶けた絵みたいになっちゃうんですよ。ぬるぬるしちゃうんですよね。『なんか・・・これやばい、デッサンになってないよ』みたいな。他の人と同じようにきちんとデッサンをするために『フォームを変えなきゃ』みたいな感じで、頑張って変えようとしてみるんです。でも、そうするとどんどん、絵を描くことがつまんないっていうか、もう、憂鬱(ゆううつ)な感じになってしまう」
自分の力を信じようと決めた先生の言葉
高校時代の3年間、周りと比べることで悩みながら絵を描き続けたこたおさんだが、ある日学校の先生のひと言を耳にする。
こたおさん「高校3年になってまた受験を意識する時期が来るわけですよね。東京藝大とか、多摩美、武蔵美とかいろいろある中で、私はデッサンが上手くないし、周りにはデッサンが完璧に描ける子達もたくさんいる中で、もうしんどくて。でもある日、美術高校の先生に『藝大受験においては、おまえのことは全然心配してない』って言われて、『え?』ってなって。理由を尋ねてみると『お前にしか見えていないものが描けているから』と。それを聞いて自分の力を信じてみようと思いました」
高校時代に自分の絵について自信がなくなり、こたおさんは美大以外の大学に進み、学校の先生になる道も考えていたが、やはり『東京藝大に行きたい!』という想いを家族に相談した。
こたおさん「やっぱり藝大はすごい倍率だから、親族はもう大反対でした。『浪人したらどうするの?』みたいな。でも、『そういうの、ええんじゃ!』みたいな、『何年浪人してもいいから、そこに行きたいんだ!』っていうのがあって、母はいつまでも味方でいてくれましたけど、親族を押し切った感じというか」
難関と言われる東京藝大受験にまつわる思い出深い話を尋ねてみた。
こたおさん「一次試験の合格発表のあと予備校で、ぽろぽろ泣きながら先生に話して。私、それまで予備校で泣いたことなかったんですけど、そのときは、涙が止まらなくて。一次で周りのみんなが落ちちゃってたんで、次で落ちたらどうしよう、大変なことになってしまったみたいな。ぽろぽろ涙を流しながら話し合って、すごいエモーショナルな感じでした」
そして、2018年に見事現役で東京藝術大学に合格したこたおさん。その時にとても嬉しいサプライズがあったのだそう。
こたおさん「私が試験で描いたドローイング、一次、二次で描いた作品が全部選ばれて藝大のパンフレットに掲載されました。来年の参考作品という感じですかね。藝大に合格したのは何かの間違いじゃないかと思っていたので、その時に自分の作品が選ばれたのが本当に嬉しかったです」
「スライムシリーズ」誕生秘話
晴れて東京術藝大学に入学したこたおさん。日本中から芸術家の卵が集まるこの学校でどのようなことがあったのだろう。
こたおさん「いや、高校時代と同じ現象ですよ(笑)。もう、ごめんなさい、絵を描いていてごめんなさいみたいな。藝大のために何年も費やしてこられた方とか、ほんとに意味分かんないぐらい絵が上手い人とか、流暢な英語で自分の作品をプレゼンしてる人とかを目の当たりにして。ああ、なんか絵が描けないって感じになって、入学してから夏ぐらいまで1回も油絵を描けなくて」
こたおさん「藝大には毎年9月に『藝祭』という学園祭があるんですが、そこに何か出さなきゃいけないよってなって、どうしようって思ってたんですね。そのときたまたま部屋でスライムを被っていたことを思い出したんです」
当時、藝大生と並行してアイドルとしての芸能活動も行っていたこたおさん。その時のことが影響で心と体のバランスを崩し部屋に籠っていた際、友達が部屋に置いていったスライムを全裸になって頭から被ってみたことで、気持ちが落ち着くのを感じたのだそう。
こたおさん「衝動的にスライムを被ったんですが、目や鼻や耳がスライムで塞がれて『あ、私生きてるわ』と。そこでもう、0(ゼロ)になった感じで、そのとき生き返って。スライムを被った姿を写真でいっぱい撮っていたので、それを絵に描いてみたんです。自分なりの描き方でありつつも、それまで高校3年間で学んできたアカデミックなこともちゃんと頭に入れながら。ほんとにシンプルに、ただあったことをそのまま描こうっていう試みだったんですけど」
全てが溶けていく“こたお質感”
「それまで自分の絵には何をやってもぬるぬるになってしまう”こたお質感”というコンプレックスがあったんです」とこたおさん。「ぬるぬるになる」とはどういうことなのだろう。
こたおさん「全体をちゃんと見れない、描いているうちに全部溶けていくんですよ。鉛筆でデッサンしても、気付いたらぬめっとした質感になっている。中学時代から“こたお質感”ってずっと言われてたんです。ザラザラしたものが描けない」
「何を描いても“ぬめって”しまう」というコンプレックスを抱えていたこたおさんだが、そのことが「スライムを描く」ということにおいてぴたりとハマったのだそう。
こたおさん「自分の『描くと、とろとろになってしまう』っていうコンプレックスと、スライムというモチーフがすごくピッタリ合致しまして。描いていてすっごい楽しくて、私はこんなふうに生き生き絵が描けるんだって。『スライムが、スライムよりスライムらしいぞ』とか、自分の姿も、深い内面の想いも筆に乗せることが自然にできて。そういうピュアなシンプルな楽しさを感じて、そこからいろいろシリーズ化して描いてる感じです」
現在、スライムシリーズは評判を呼び、こたおさんが個展を開けば長蛇の列ができ、即日完売する状況となっている。
こたおさん「スライムシリーズを発表してからは不思議な感じでトントントンと、グループ展とかちょっとずついろんなとこからお声掛けいただくようになって。2019年に初めて個展を開いたんですが、もう始まるまでめっちゃ恐ろしかったんですけど、始まったら外までずらっと行列みたいな感じになって、うれしかったですね」
「スライムシリーズ」が常設展示されるお店が虎ノ門に誕生
注目の若手アーティストである、こたおさんの絵を『実際にその目で見たい』という人に朗報がある。
ことし10/6(金)に虎ノ門ヒルズ横に誕生した「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー」の地下2階にあるブルワーリーレストラン「dam brewery restaurant」にて、彼女が描いた作品が常設されている。
ここは「THE UPPER」「APOLLO」「CIRPAS」といった人気飲食店など、東京や全国の話題のスポットを手がけるトランジットジェネラルオフィスの新店舗。
店内にクラフトビールの醸造所を併設し、季節ごとにフレーバーを変え醸造されたオリジナルのビールを味わいながら楽しむことができ、空間デザインはインテリアデザイナーの片山正通さんが率いるWonderwallが担当、ロゴデザインやネオンなどはアートディレクターの平林奈緒美さんが担当をしている注目のスポットだ。
ここで展示されているこたおさんの4枚の絵は、横に並べると全長9mにもなる大型の作品。自身のアートワークとしては最大のものになるという。
こたおさん「大きい絵を描くのが好きなんですけど、フレッシュに突き進む感じのパワーを4枚分ずっと続けるっていうのが、いままでで一番大変だったかもしれません。この絵のモデルは私なんですが、血管が透けるような、暗闇でキャンドルの灯が揺れ動いてるようなシーンを描いています」
これまでの作品が手元を離れていく中、自分の作品が常設展示される場所ができることを、彼女は感慨深く思っているという。
こたおさん「こうやって誰もが見られる場所に飾っていただけてありがたいです。いま、自分の絵って描いたら展示会で期間限定でしか見ていただけない感じなのですが、ここはずっと自分の絵が展示していただけるので、いろんな人にずっと親しんでもらえる。ずっと、会いに来ていただけるんじゃないかって思っています」
最後にここで自分の絵をどんな風に楽しんで欲しいか訊ねてみた。
こたおさん「いまって何でも切り取られるっていうか、SNSとかで私の絵を見たことがある人は、結構かっちりした上手い絵、写真のような絵に見えていると思うんですけど、でも実物を近くで見ると、すごい不器用な子が頑張って描いた絵なんですよね。それを見て、元気をもらってくれたらうれしいな」
彼女の今後の夢は「アートシーンを体験しに海外にいっぱい行くこと」。友沢こたおさんの、これからの活躍が非常に楽しみだ。
※友沢こたおさんの作品が常設展示されているスポット
ブルワーリーレストラン
「dam brewery restaurant」
住所/東京都港区虎ノ門2-6-3 虎ノ門ヒルズ ステーションタワー 地下2階
電話番号/03-3528-8581
営業時間/月〜土曜 11:00〜23:00、日曜・祝日 11:00〜22:00
定休日/施設に準ずる
https://dambrewery.jp/