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水野信元が落命した大樹寺は今どうなっているの?

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大河ドラマ「どうする家康」では、織田信長から武田氏と内通していたとの疑惑をかけられた水野信元が、大樹寺で誅殺されました。

岡崎城は、名鉄名古屋本線の岡崎公園前駅から、徒歩6分の便利な場所にあります。

岡崎城の北、路線バスと徒歩で計20分ほどの場所に大樹寺があります。岡崎城から徒歩だと約45分。歩くには厳しい距離ですが、家康の時代は、城下町を馬で移動すれば、近い距離だったはずです。

大樹寺に到着。壮大な山門(県指定文化財)が出迎えます。

山門の向かいには、大樹寺小学校。かつては、大樹寺の境内だった場所で、向こうに総門が見えます。大きな黒松の木が、総門からの参拝者を迎えたとのこと。

松平家・徳川将軍家の菩提寺であり、かつては相当な規模があったようです。総門のはるか先には、岡崎城があります。

本堂です。山門の規模からすると少しコンパクトに感じますが、幕末に焼失し、倹約の社会情勢を反映し、2~3割小さく再建されたとのこと。しかし、奥行きはかなりあります。

時は桶狭間の戦いの直後。主君・今川義元を失った家康(19歳)は、大樹寺に逃げ込みました。

大樹寺の墓地の奥には、「どうする家康」の初期を視聴した方なら、見覚えのある風景があります。桶狭間の戦いで主君・今川義元を失った家康(19歳)は、大樹寺に逃げ込みます。

信長にも追われる立場となっていた家康は、ここ先祖の墓の前で切腹を決意します。このとき、住職が「厭離穢土 欣求浄土」の仏教の言葉を引き、この世が汚れ切っているからこそ平和な世を目指すよう説得したと伝わっています。

大樹寺の家康先祖の墓は、家紋も入るこの角度で撮影する方も多いのですが、家紋の入った墓は家康を祭ったものですので、奥に並ぶお墓が、家康が存命時のイメージに近いでしょう。

信長から武田氏との内通疑惑をかけられた水野信元は、家康を頼りますが、大樹寺で徳川家臣の平岩親吉らによって誅殺されました。

信長と家康のこの処断が正しかったのかどうかは、今後の「どうする家康」で明かされることになるでしょう。

織田家と松平家(のちの徳川家)は、先祖代々敵対が続いていました。水野信元は、その仲介の労を取ったばかりか、三方原の戦いでは敗走する家康を補佐し、武田の追撃を阻んだ命の恩人です。「どうする家康」で描かれる人物像に等しく、情勢判断や政治的判断に長け、落ち目の武田家に肩入れしたのは、不思議にも思えます。近年、信元の影響力を警戒し、武田氏との内通は事実ではないと知りつつ、信長と家康が処断したという説も出ているそうです。水野信元は、1547年、知多半島の統一の功績を残しています。

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穴場ずらし旅、愛好家

宿泊歴500泊。関東周辺の穴場★ずらし旅スポットを紹介。日本テレビ(2023年)、TBSテレビ(2024年)に旅の専門家として登場。Yahoo!ニュースエキスパート公式旅行ライター(2023年7月企画賞)。JTB運営・地理旅行検定取得済み。東京都在住。

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