<ガンバ大阪・定期便36>葛藤を乗り越えて。「すごくサッカーをしている感覚があった」石毛秀樹の覚醒。
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電光石火のカウンターだった。ゴールキーパーの東口順昭からボールを受けた坂本一彩がドリブルで持ち運び、浦和DFアレクサンダー ショルツを振り切って左から駆け上がった石毛秀樹に繋ぐ。ワントラップから右足で送り込まれたクロスボールは微塵のズレもなくゴール右前に走り込んだ齊藤未月にわたり、胸トラップから豪快に右足を振り抜いた。
33分、立ち上がりから完全に相手を上回り、ゲームを支配する中で掴み取った先制ゴールだった。
7月2日のJ1リーグ19節・浦和レッズ戦。猛暑が続く中、約1週間ぶりの公式戦となる浦和と、前節のサンフレッチェ広島戦から中2日でこの一戦を迎えたガンバとでは、正直、コンディション面に差が見られるだろうと覚悟していた。
だが、蓋を開けてみれば立ち上がりから攻守に高いインテンシティを示し、ゲームを支配したのはガンバだった。前半、ガンバが放ったシュートは実に8本。ピッチで示した勢いは、そのまま今シーズン最多を数えた数字で表現された。
中でも目を惹いたのが、先制ゴールをアシストした石毛だ。広島戦同様、攻守の繋ぎ役として、相手が嫌がる抜群のポジショニングと多彩なキックで攻撃の起点になった。
「ヒガシくん(東口順昭)からのカウンターは、相手より早く切り替えようとずっと言っていたところでした。ヒガシくんから一彩(坂本)に出た時点で、僕も走り出しましたが、未月(齊藤)も相手より先にポジションをとって、勢いよく走っているのが見えていたので、一彩からボールがきたら未月に合わせられたらいいなと思いながらボールを待っていました。一彩から受けた瞬間、相手DFの頭さえ越せればあのDFは何もできなくなるんじゃないかと思い、ふんわりしたボールではなく、点であわせにいこうと思って蹴りました。あとは未月が難しいコースからしっかり決めてくれたのですごく嬉しかったです」
「イメージ通り」と振り返った会心のアシストだった。
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プロ11年目を迎えた今シーズン、石毛は「即答で」ガンバへの加入を決めた。
「J1でプレーしたかったという思いも強かったし、僕の中でのガンバは、巧い選手が多くて強いチームというイメージがあった中で、その一員になるチャンスがあるという話を聞いた時は、迷うことなく即答で『行きたいです』と答えました。僕の強みはキック。身体的に恵まれた選手ではないと自覚しているだけに、相手の嫌がるところにポジションを取って前を向き、FWや裏に抜ける選手に、いいボールを送り込めればと思っています。またボックス付近に入っていく中では積極的にシュートも狙いたい。そうやって果敢に勝負を挑んでいく中で自分の持ち味を発揮できればチームに貢献できるんじゃないかと思っています」
並々ならぬ決意を口にしたのは、この移籍に自分の『再生』を誓っていたからだ。
清水エスパルスのアカデミーに育った石毛は、U-17ワールドカップのベスト8入りに貢献したU-17日本代表での活躍が評価され11年に『アジア年間最優秀ユース選手賞』を獲得。ユース所属の12年にプロ契約を勝ち取ってからも同年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)で『ニューヒーロー賞』を獲得するなど、若い頃から注目を集めた選手の一人だった。
だが、順風満帆にスタートを切ったかに見えたプロキャリアは「思い通りにいかないことの方が多かった」と本人。試合に出られない悔しさ、ポジションの葛藤、ケガとの戦いーー。その中で17年と21年のシーズン中に、J2のファジアーノ岡山への期限付き移籍も経験した。
「プロになってからの分岐点は17年の岡山への期限付き移籍だったと思っています。当時の僕は『テクニックでは誰にも負けない』という自負があったのに、最初はなかなか試合に起用してもらえず…。その中で長澤徹監督に走る、戦う、球際で負けない大切さを学んだし、自分が思うようにプレーできないのは、理想とするポジションでプレーできないからではなく、自分に足りていないことがあるからだと気づかせてもらった。それによって『闘う』ことをベースに自分の良さ、持ち味を発揮しようと考えられるようになりましたしね。結果的にそのあと清水に復帰してからはケガもあって活躍できなかったけど、昨年7月、再び岡山に期限付き移籍させてもらってそれなりに結果を残せたのは17年の経験があったから。それがガンバへの移籍にもつながったのかなと思っています」
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もっとも、序盤は苦しんだ。
新しい環境、新しいチームメイトに自分を合わせることに重きを置きすぎたのか、本来の持ち味は形を潜め、次第に「自分のプレーって何だろう」という考えが頭をもたげるようになる。J1リーグ開幕戦から先発のピッチに立ち、その後もコンスタントに起用されたものの「自分が思うプレーとはほど遠かった」。
転機となったのは代表ウィークによる6月の中断期間だ。自分の良さを発揮するにはどうすればいいのか。それをチームの攻撃の中で活かすにはどんな役割を担えばいいのか。いま一度、片野坂知宏監督やコーチングスタッフとコミュニケーションを図った中で、ある一つの答えに行き着いた。
「一番は、周りに合わせるばかりではなく、自分らしいプレーでチームに貢献すること。ガンバには技術のある選手が多いからこそ、ポジションに捉われすぎず、誰かが抜けたら誰かが入っていく、ということをもっと流動的にできるようになれば絶対にボール保持の時間が増えるし、そうなれば相手が勝手に疲弊して、自然と自分たちがチャンスを作り出せる状況を作り出せる。僕がその繋ぎ役を担えば自分の良さも一番出せるし、それはすなわち、チームの躍動にもつながっていくはず。僕はそもそも足が速い選手でも、ドリブルで2〜3枚抜いていけるような選手でもなく、ポジショニングと味方との連携の中で活きるタイプ。周りとのつながりを意識しながら相手の嫌がるところでボールを受けて、味方につけて、もう一回動いて、また一回受けて、というところは自分の良さだということを、カタさんと話をする中で整理されたのはすごく大きかった」
中断期間に話を聞いた際は、そう言って目を輝かせていたもの。4月半ばから戦列を離れることが多くなり、少し元気のない表情が気になっていたからこそ、「一時期は悩んだ時もあったけど、最近は自分の中でいろんなことが吹っ切れて、サッカーが楽しくなってきました」という言葉に、どことなく覚醒の予感も感じていた。
もっともそれがすぐさま結果につながることはなかったが、再開直後のJ1リーグ・横浜F・マリノス戦、天皇杯3回戦・大分トリニータ戦で、彼は少しずつ手応えを掴んでいく。特に後者は、自分に確信を持たせる試合になった。
「攻撃ってリスクを冒さなければ始まらないというか。もちろん、そのリスクの冒し方、起こすタイミングは考えなければいけないけど、それを怖がってばかりいては、相手はすごく楽にサッカーができるし、崩すこともできない。そういう意味で大分戦はそれを思い切って出来た試合だったというか。J2の相手とはいえ、シャドーのポジションからボランチのところまで下りたり、右や左にポジションを動かしたり、かなり自由に動いていた中で、似たような感覚の選手がピッチに増えれば、もっと簡単に崩せるようになるだろうという手応えを掴むことができました」
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そうした継続の中でようやく掴んだサンフレッチェ広島戦での勝利は、チームにも彼自身にも自信を備えさせたのだろう。冒頭に書いた通り、続く浦和戦でも輝きを示した石毛は、移籍後初のJ1リーグフル出場を実現するとともに、試合前にこだわりを見せていた『数字』でも貢献を見せる。試合後、片野坂監督も「ヒデ(石毛)の良さを発揮してくれた」と評価を寄せた。
「90分の中で何ができるのかはサッカー選手としての評価の1つだと思うので、90分、出してもらえたのは良かったです。最後の方、ちょっと息切れして、戻るのが遅れてしまったり、戻らなきゃいけなかったシーンで戻れなかったりしたところもあったんですが、久しぶりに90分間プレーできて、すごくサッカーをしているな、という感覚もありました。これからまた90分の試合を重ねていく中で、もっともっと走れる選手になっていきたいと思っています」
ただ一つ、勝てなかったことには悔しさを滲ませて。
「(勝ち切れなかったのは)悔しいです。でも、90分間、みんなしっかり戦いましたし、あの失点がどうこうではなく、2点目が獲れていたら、それで(試合を)決められていたはずなので、僕はそっちに課題を持っていかなければいけないと思っています。たまたま失点シーンに絡んだのが弦太(三浦)だっただけで、そこを責めるつもりは全くないし、チームとしてこういう試合を勝つためには、やっぱりもう1点獲らなければいけないと改めて感じました。みんなもきっとそういう認識を持っているはずだし、その上で次の試合に向けてまた準備できれば必ず勝っていけるチームになると思っています」
後半アディショナルタイムに追いつかれ、引き分けに終わった選手を、試合後、スタンドのサポーターは、ブーイングではなく大きな拍手で迎えた。内容的には勝利に値する戦いを示しながら勝ちきれなかった悔しさは、おそらくサポーターも同じだったと想像する。それでも、中2日の連戦で選手が魅せたパフォーマンスに、勝利への執着心に、惜しみない拍手が贈られた。
「最後までサポーターの方も一緒に戦っているのはすごく感じていたので、本当は選手として皆さんを喜ばせたかった、一緒に喜びたかったので、そこは本当に悔しいです。でも、一緒に戦っている感じはすごくあって、僕らにはすごく心強いサポーターがいると改めて感じられたので、次の試合こそは応援してくださる方たちに勝利を届けたいと思っています」
石毛は今年、背番号『48』を背に戦っている。元々好きな番号でもあったという『8』は、清水時代のほとんどの時間でつけた愛着のある背番号だが、ガンバ加入に際しては敢えて、自分の『分岐点』であり、たくさんのゴール、アシストでインパクトを刻んだ岡山での48を志願したという。そこに宿した再生への決意は、今確かに、輝きを強めている。