Yahoo!ニュース

英司会者のフロスト氏死去(上) どんな人物だったのか

小林恭子ジャーナリスト
BBCサイトに掲載されたフロスト氏の訃報記事

英国のテレビ司会者、デービッド・フロスト氏(74歳)が8月31日、乗船中のクルーズ船で死去した。死因は心臓発作とみられる。

フロスト氏は英国のメディア界にとって、巨星のような存在だ。一目置かれた存在あるいは超大物と言っても良い。

同氏がなぜ「巨星」と呼ばれるのかというと、少なくとも3つの理由があるだろう。

1つには、1960年代、同氏がまだ20代の頃に、政治風刺の番組の司会者となり、大きな風刺ブームを作った。日本でも、フロスト氏を知らなくても、英コメディー・グループのモンティ・パイソンなら知っている方がいらっしゃるかもしれない。モンティ・パイソンの中心となるコメディアンらがフロスト氏の番組に出演していた。

2つ目は、77年に行われたニクソン故・元米大統領(任期1969年―1974年)への単独インタビューだ。全米を揺るがした政治スキャンダル「ウォーターゲート事件」で失脚し、大統領を辞任したニクソンをフロストがインタビューした。

英国に住むフロスト氏にとって、米国に渡り、放送してくれるネットワークを探し、もろもろの制作費を出してくれる人・会社を見つけるのは財政的にも非常に大きなプロジェクトだった。番組化できただけでも大事だが、ジャーナリズムそして政治の面からは、ウォーターゲート事件について謝罪を引き出したことで、金字塔を打ち立てたともいえよう。

ちなみに、非常に簡単な説明で恐縮だが、ウォーターゲート事件(1972年)とは、米民主党全国委員会事務所への不法侵入・盗聴事件。事件の調査過程でニクソン大統領が盗聴に関わっていたことが明らかになり、1974年、辞任する羽目になる一件だ。任期中に辞任した大統領はニクソンが初めてだ。

フロスト氏のニクソンへのインタビューは舞台劇化(2006年)、及び映画化(08年)されている。

3つ目は、さまざまな著名人へのインタビューだ。イランのパーレビ元国王、リビアのカダフィ大佐、英国の歴代首相、米国の歴代大統領、ビートルズ、そのほかのたくさんの著名人。

フロスト氏といえば、少なくともこの3つを押さえておきたい。

個人的な思い出としては、一度だけ、場をともにしたことがある。

フロスト氏は後年、カタールの衛星放送局アルジャジーラ英語の司会者となった。

この放送局の英国本部がロンドンにあり、2005年ー6年ごろ、英語放送開始の前に、パイロット版を作っていた。この時、数人の外国人記者をスタジオに呼んで、フロスト氏との掛け合いを行った。

私はアジアにいる特派員の役で、30分ほどの番組の練習につきあった。フロスト氏はスタジオ内にいる数人の特派員(海外の各地にいると想定)に次々と現地報告を聞き、特派員がこれに答えるという形である。

あっという間に時間が過ぎて、最後、フロスト氏は出演者一人ひとりと握手した。私も手を握り、「また会いましょう」と言ったー。そっと握った手の感触を長い間、覚えていた。ご冥福をお祈りします。

***

以下は、筆者が過去に書いたフロスト氏についての記事をまとめ、情報を追加したものである。前に一部を読まれたことがある方は重複になるが、ざっと振り返るためにご活用いただきたい。また、上にあげた3つの功績だが、最後の「著名人へのインタビュー」については追加の情報を入れていない。この点、ご了解いただきたい。(以下、敬称略。)

***

フロストは、1939年4月、英ケント州に生まれた。父はメソジスト教会の牧師だった。成績優秀な児童が進む「グラマー・スクール」で勉強し、ケンブリッジ大学(専攻英語)に進学した。

大学時代に学生新聞や文学雑誌を編集し、「フットライツ」演劇集団でも中心的な存在となる。

ケンブリッジ大のフットライツといえば、1960年代以降、英国で盛んになったコメディ・風刺ブームを担う人材を数多く生み出した集団として有名だ。

モンティ・パイソンを結成するジョン・クリーズ、米国でも活躍する俳優のヒュー・ローリー、女優のエマ・トンプソンなどがほんの一例だ。

フロストは時事風刺番組「ザット・ワズ・ザ・ウイーク・ザット・ワズ」(1962年―1963年)の司会者となり、60年代の英国の風刺番組ブームの火付け役となった。同番組は米国版も制作されている。

別の風刺番組「フロスト・レポート」(1966年)も大人気となった。これは視聴者をスタジオに入れて収録した、英国で初めての時事番組だった。

「ロンドン・ウィークエンド・テレビジョン」(LWT)や 「TVam」といったテレビ局の立ち上げもフロストとその仲間たちの手によるものだった。

クイズ番組の司会者や著名人へのインタビューで知られるフロストは、1964年以降の英国の全首相(最後はブレア元首相)の単独インタビューを行っている。

私生活では喜劇俳優故ピーター・セラーズの最後の妻となったリン・フレデリックとの結婚後、ノーフォーク卿の娘と再婚。自分自身が押しも押されぬ超有名人の一人となっていった。

―マードックと一戦?

LWTでフロストがインタビューした人物の一人に、オーストラリア出身のメディア王ルパート・マードックがいた。

ジェローム・タッチルの書いたマードックの自伝「ルパート・マードック」によれば、フロストはマードックを攻撃するようなインタビューを行ったという。

きっかけは、「プロフューモ事件」だ。1960年代半ば、ジョン・プロフューモという当時の英国防大臣が、ロシアのスパイとの間で、図らずも愛人を「共有」していたことが発覚した。

プロフューモは辞任し、世間から一切姿を消して、ボランティア活動に従事していた。

それから5年後、当時の愛人が告白話をマードックが所有していたタブロイド紙に売った。新聞は飛ぶように売れたが、英国民が忘れたがっていた過去を思いださせたマードックに対し、嫌悪感が国民の中に湧いた。

フロストの番組にやってきたマードックに、フロストは国民の中にあったマードックへの反感を代弁するようなインタビューを行った。

マードックはフロストに対し強い怒りを感じたらしい。1970年、経営が悪化していたLWTの支配権をマードックが握った。マードックは、即、フロストを首にしたという。

―元同僚の意見は?

フロストをよく知る人物、デービッド・コックスの見方を紹介しておきたい。コックスは英ガーディアン紙のウェブサイトの映画コラムニストの1人。LWTの元ニュース部門の統括者で、フロストは仕事仲間だった(ちなみに、LWTは現在民放ITV1の一部になっている)。

コックスによれば、「フロストxニクソン」の中にあったような、一人のジャーナリストが政治家を長時間インタビューし、本音を引き出すというやり方は、現在ではほぼ実現不可能だと言う。1990年代以降、丁々発止のやり取りを避けようとする大物政治家が厳しい取材者のインタビューには応じない傾向が出たからだ。

また、2005年まで続いていたBBCの朝のインタビュー番組(現在は、ジャーナリスト、アンドリュー・マーが引き継いでいる)では、フロストは映画の中で見せたような厳しい質問をしなかったと言う。丁寧な言葉遣いで政治家に話しかけるフロストは、コックスの観察によれば、「政治家が困惑するような質問を避けていた」。フロスト自身は「サーガ」という雑誌の取材で、相手を糾弾するような質問の仕方は、期待する答えを引き出すためには「逆効果だ」と説明している。

フロストは、「後年になると、権力者の説明責任を問うよりも、友人となることを重要視するようになった」とコックスは語る。毎年フロストが開く夏のパーティーに多くの著名人が招待されるのがその証拠だそうだ。

コックスによれば、ニクソンは、大統領職の最後に起きたウォーターゲート事件のためにベトナム戦争の終結や中国との国交成立などの大きな業績が忘れられてしまった。

フロストには、1960年代の風刺ブームを作り、「欠点のある大統領を破滅させた」功績がある。しかし、「その後は、フロストも(ニクソン同様)使命を果たさなかった」とし、ジャーナリストとしては大した仕事をしていないと厳しい評価を下している。

―フロストは「フロストxニクソン」をどう見たか?

フロスト自身はドラマ化された「フロストxニクソン」をどう見ているのだろう?「サンデー・タイムズ」紙の別冊「カルチャー」2009年1月18日号のインタビュー記事から一部を紹介してみよう。

2006年の舞台劇が監督ロン・ハワードによって映画化されたわけだが、ハワードは「素晴らしい仕事をした」とフロストは絶賛する。

舞台劇を作る前に、台本を書いたピーター・モーガンは、フロストに対し「自分は言ってみれば『知的なロッキー』を作るつもりだ」と語ったという。これに感銘したフロストは英国での上演に関して何の報酬も要求しなかった。

映画化にあたってはロイヤリティー料金を受け取ることにした。その比率は語らなかったが、脚本の書籍化、オリジナルのインタビューのDVDなどが発売されているので、相当額の報酬を得るようだ。

少々不満なのはニクソンをインタビューする前のフロストが司会者としては盛りを過ぎていたようなニュアンスが出ている点だ。

しかし、「どんなことも最後は真実が明らかになる」とし、芝居・映画ができたことを「非常に喜んで」いたそうだ。(次回は映画化された「フロストxニクソン」とその背景)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

小林恭子の最近の記事