「ふるさとプロ野球」。独立リーグの「あるべき姿」をかたくなに守る「県民球団」愛媛マンダリンパイレーツ
今年は日本で独立リーグという「プロ野球」が生まれて20周年目に当たる。「球界再編」に揺れた2004年のシーズン後、西武ライオンズの黄金期を築いた立役者のひとりである石毛宏典氏が旗振り役となって四国アイランドリーグ(現四国アイランドリーグplus)が創設され、翌2005年からリーグ戦が開始された。
その「日本独立リーグの父」とも言える石毛氏の理念に賛同し、地元広告代理店・星企画が出資して誕生したのが愛媛マンダリンパイレーツ(愛媛MP)だ。その後、一地元企業だけでは、独立リーグ球団を支えるのが難しいと、球団の創設者、薬師神績氏は地元自治体に支援を要請。アメリカ生まれの「ベースボール」を自身の本名「升(のぼる=の・ボール)」から「野球」と翻訳したとも言われる明治の歌人、正岡子規を世に出した「日本野球発祥の地」のひとつである愛媛という土地柄が功を奏してか、県と市町村からの出資を受けることに成功し、2010年シーズンから名実共に「県民球団」となって今に至っている。その「県民球団」としての性格は、独立リーグトップクラスの試合開催球場数に現れている。
愛媛MPが今シーズン主催試合を開催した球場数は実に11。アイランドリーグでは断トツの数字である。独立リーグ球団は、地元の野球団体との兼ね合いから、特定の球場を独占することはできず、フランチャイズ県内の各球場で主催試合を開催することが多いが、愛媛MPの場合は、県内の自治体から出資を受けているという球団の性格上、戦略的に「分散開催」を行っている。愛媛県は、県都・松山を中心とする中予地方、今治、新居浜など瀬戸内に面した東予地方、宇和島から大洲に至る南予地方に大別されているが、愛媛MPは、この三地方での試合開催数が均等になるように例年スケジュールを組んでいる。
愛媛の米どころ、西予・宇和
西予市は、メジャーリーガー・岩村明憲(元ヤクルトなど)を生んだ宇和島市と河埜兄弟(和正・元巨人、敬幸・元南海)を生んだ八幡浜市の間に位置している人口3万2000人の小さな町だ。近代以前は宇和島へ向かう街道沿いの宿場町、卯之町として栄えた宇和町と周辺の自治体が2004年に合併してできた市で、その中心となるJR卯之町駅周辺でさえ、都会の喧騒とは縁の遠い、過疎化が進む町である。
古くから米どころとして知られ、都会を悩ませている「令和の米不足」もどこ吹く風、国道沿いのスーパーには米が平積みされていた。市の中心、卯之町を南北に貫く道は、町の西を流れる肱う 川からみて一番手前が国道、その東が昭和の時代に栄えた商店街、そしてその奥の江戸時代の旧街道となっており、今となっては、その旧街道が唯一と言っていい観光資源として外部からの人を呼び寄せている。この町が一番栄えたと言っていい昭和の戦前期には、野球も盛んだったようで、旧宿場町にある博物館には、当時の野球少年の写真が展示されていた。
JRの特急か、高速道路を使えば県都・松山から1時間というからさして遠くはない。愛媛MPは、この町で例年試合を開催し、町はずれのスタジアムで今年は2試合を開催した。
夏の終わりの小さな「祭り」
金曜日に行われたこの日の試合開始は午後5時。試合後、松山に戻るチームのことを考えてのことかとも思ったが、そうではないらしい。県都・松山以外での「地方試合」ではよくあることのようで、球場近隣住民の生活のことも考慮に入れ、ナイター照明の使用が午後9時までなのだという。それを受けての5時開始らしい。もともとプロ興行の実施など念頭に置かず、地元住民の使用だけを考えてのルール設定なのだが、そういう地元の事情とも折り合いをつけてこその地域密着なのだろう。
まだ明るい試合開始直前には、近隣の高校生が部活のため球場前でウォーミングアップしているのどかな風景。おおよそ「プロ野球」が開催される雰囲気ではないのだが、球場入り口には数件のキッチンカーが出ている。夏の終わりのちょっとしたお祭りの風情だ。
この日の観客は262人。NPBでは考えられない数字だが、日本の独立リーグでは「通常運転」の数字だ。それでも、この片田舎でこれだけの人が集まるイベントは多くはない。
実際には、花火大会など千人規模の人を集めるイベントはある。それでも、愛媛MPの試合という催しは、外から人を呼び込む貴重な機会だと、調査に訪れていた市の職員は語ってくれた。
「試合相手の徳島インディゴソックスさんの応援団や市外からのお客さんも来ていますから。やっぱりマンダリンパイレーツの存在はありがたいです」
ところで、相手チームのファンはともかく、どうして市外からの観客がいるとわかるのだろうか。
「それは、この小さな町ですから。だいたいみんな顔見知りなんです」
市の職員ははにかみながら答えてくれた。
聖地・坊ちゃんスタジアム
翌日のゲームは、場所を代えて「ホームグラウンド」、松山坊っちゃんスタジアムで行われた。2000年に開場したこの球場は、NPBの常打ち球場にひけをとらない3万人の収容人数を誇る。開場当初は、その2層式の内野スタンドを含む近代的な設備を前に、まだ古い球場を使っていた某球団の選手が「うちの球場よりよほどいい」と言ったという話も残っている。地方球場でオールスターゲームが3度も催されたのはこの球場だけだ。現在は、ヤクルトの秋季キャンプでも使用されている。
ホーム、とは言え、愛媛MPがこの球場を頻繁に使うことはない。県内各地を回るという球団の方針もあるが、この巨大スタンドは独立リーグ球団には大きすぎるのだ。この巨大スタジアムに隣接して女子野球やアマチュアがよく使うマドンナ・スタジアムもあるのだが、やはりサブグラウンドのイメージがあるので、球団としても身の丈にあったこじんまりした球場を町中に欲しいところだ。しかし、受け入れるチームのレベルに合わせた球場を建設する北米のような習慣のない日本ではそれもなかなか叶わない。
しかし、年1回、あるいは数回あればいいほうのNPB一軍の試合誘致のため、各自治体が巨大スタジアムを建設するという傾向のある日本にあって、独立リーグ球団が、県のシンボルである巨大スタジアムを使う意義は小さくない。
「ホーム」とあって、ここでの試合は、センターにあるビジョンに各選手の紹介動画が流れるなど、エンタメ性も高くなる。選手も、やはりこういう「プロ仕様」の球場でプレーした方が気持ちいいだろうとも思ったが、話を向けたひとりの選手は、質問に少し間をおいて、「いや、それはどの球場でも一緒です。野球やるのは変わりませんので」と言い残してフィールドへ去っていった。
独立リーグの試合は、単なるプロ野球興行ではない。西予・宇和での試合では地元シニアの合唱団が、松山では地元少女の合唱団が試合前の国歌斉唱を行った。子供たちのダンスが披露されるのは独立リーグの試合ではおなじみの風景だ。「小さなプロ野球」は、地元民にとっての文化交流の場でもある。
独立リーグが日本に発足して20年。この間、リーグ、チーム数は拡大の傾向を見せてきたが、球団経営のこともあるのだろう、「都市型独立球団」も増えてきた。本場アメリカでも、コロナ後、地方都市にプロ野球という文化を伝えてきたマイナーリーグの再編が行われ、小規模都市に展開されていた球団は整理されてしまった。そのような中、「ふるさとプロ野球」という当初の理念を持ち続け、その理念に向けた活動を継続している独立プロ野球球団には、敬意を表したい。
(写真は筆者撮影)