英国では無施錠の自転車は勝手に乗って行ってもいい?
刑法的に興味深い事件がありました。放置してあった鍵のかかっていない自転車を無断で使用したとして、イギリス人が占有離脱物横領の容疑で逮捕されましたが、本人は、「英国では鍵のかかっていない自転車は乗ってもいいことになっている」と容疑を否認しているということです。
はたして、このような言い訳は通るのでしょうか?
「英国では無施錠の自転車は乗ってもいい」 占有離脱物横領容疑で男を逮捕
刑法に書かれているほとんどの犯罪は〈故意犯〉ですから、処罰のためには当然、行為者に〈故意〉があったことが必要です。故意とは、自分が犯罪とされるような事実を行おうとしているということを認識しながら、あえてそれを行う心理状態ですから、本件で言えば、「自分は今から、他人の事実上の支配を離れた、他人の物を勝手に持ち去るのだ」ということを認識している必要があります。
そして、普通は、そのような事実を認識すると、そこから当然に「自分は違法なことをしているのだ」という違法性についての意識が生じることになります。
だから、普通は、犯罪とされる事実を認識していれば故意犯として処罰することに問題はありませんが、ときどき犯罪とされる事実は認識しているのに、違法だという意識に欠ける場合があります。それは特に行政的な手続きに違反する行政犯で問題になります。
たとえば、宝くじに当たった当選金には税金はかかりませんが、競馬で当てた賞金には税金がかかります。競馬で大儲けした学生が、法学部の先生に相談したところ、その先生が宝くじと同じく税金はかからないのだと間違った回答をしたために、学生がそれを信じて結果的に脱税したような場合が考えられるでしょう。
本人は、事実はきちんと認識しているわけですが、間違った意見を信じた結果、〈違法行為=犯罪〉を犯すという意識が消えています。このような場合に、はたしてその人を故意犯として処罰できるのかということが問題となります。
しかし、よく考えてみると、世の中には法律の専門家でも知らないような法律は無数にあります。一般の人ならなおさらのことです。そのような場合に、違法だと知らなかったという言い訳をすべて認めて無罪にすると、国の制度じたいが成り立たなくなってきます。そこで、刑法は次のような規定を刑法に置いています。
(故意)
第38条第3項 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。
この条文について最高裁はこのように解釈しています。
「罪を犯す意思」とは〈故意〉のことである。だから、「法律を知らなかった」という言い訳は、故意とは無関係だ。しかし、状況によっては、違法だと気づかなかったことに同情すべき場合もあり、そのような場合は、犯罪の成立は認めたうえで、刑を軽くすることは可能である。
ただ、実際には、減刑される可能性はかなりシビアに考えられています。法律の専門家の(間違った)意見にしたがったという場合も、ふつうはダメでしょう。
なお、下級審の裁判例では、違法性を意識しなかったことが無理もないという場合には、(行為者は、やってはいけないという規範そのものに直面してはいないので)故意そのものがなくなるとしたものもいくつかあります。このような立場では、減刑ではなく、故意がなくなりますので〈無罪〉とされることになります。最高裁が将来このような考えに立つ可能性もあります。
さて、以上のような点から考えると、本件においては次のような点が問題になります。
(1) イギリスでは、本当に鍵のかかっていない自転車は勝手に乗って行っても許されているのか?(笑)
(2) かりにそうだとして、そのイギリス人はどの程度日本に滞在していたのか?
(3) 勝手に乗っていった他人の自転車を、元に戻そうとする意思はあったのかどうか? など
刑法38条についての説明はたいへん難しいので、来年度の刑法の授業では、この事件を例にあげて説明したいと思います。(了)