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なぜ円安は限界を迎え、円高に転じたのか

小菅努マーケットエッジ株式会社代表取締役/商品アナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

2012年に発足した第2次安倍内閣は「デフレからの脱却」と「富の拡大」を目指す方針を固め、これらを実現するための経済政策であるアベノミクスは、「三本の矢」を放った。その第一の矢が大胆な金融政策であり、日本銀行が消費者物価指数の前年比上昇率2%を目標に定めて金融緩和政策を強化すると、為替市場では強力な円安圧力が発生し、民主党政権下の11年には1ドル=75円台まで進行していた円高(ドル安)は、強力な円安(ドル高)トレンドへの転換をみせた。

円安による輸出企業の業績改善は、次第に内需関連企業の業績拡大にもつながり、13年3月には日経平均株価がリーマン・ショック前の水準を回復した。安倍首相は13年9月のニューヨーク証券取引所の講演で「Buy my Abenomics(アベノミクスは買いだ)」と発言したが、15年6月には125円台の円安(ドル高)が実現するなど、「日銀の金融緩和→円安・株高」のトレンドはアベノミクスが続く限りは永久に続くかのように思われていた。

しかし、2015年後半に入ると円の安値更新の勢いは途絶え、16年入りと同時に逆に強力な円高(ドル安)圧力に晒されている。特に、日本のゴールデン・ウィーク中には一時105円台までの円高(ドル安)が実現するなど、11ヶ月前の円安のピーク時からは20円幅の急激な円高(ドル安)が発生した形になっている。

■円高ではなくドル安との視点

アベノミクスの限界論なども指摘されているが、最も大きいのはドル相場を取り巻く環境が激変していることだろう。日本が異次元とも言われる金融緩和策を展開する一方、米連邦準備制度理事会(FRB)が利上げサイクルへの突入を打診する中、14年から15年にかけての急激な円安とは、実はドル高の裏返しでもあった。日米の金融政策の方向性が緩和と引き締めという正反対の方向に向かう中、円安と同時にドル高が進行していた。

しかし、余りに急激なドル高を受けて米経済は変調をきたし始め、ドル高是正の必要性が本格的に議論され始めたのが15年だった。米財務省は、年2回公表される為替報告書で繰り返し世界経済の成長を米国に依存し過ぎることに懸念を表明し、米議会でも為替が安過ぎると判断された国に対して相殺関税を課す報復措置などの検討も開始され始めた。

20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議などでも通貨安政策は批判の対象になり、今年2月開催された上海会合では、「(為替の)競争的切り下げを回避する」ことで合意が形成されている。イエレンFRB議長も「ドル高が米経済の重荷になっている」と懸念を表明し、大統領選挙でも各候補がドル高是正の必要性を訴えるなど、米国サイドからこれ以上のドル高継続に強力な拒否反応が見受けられる状況になった。

世界経済の中で米経済は相対的に堅調な状態を保っているが、各国の通貨安政策の受け皿を米国(ドル)単独で担うことが難しくなる中、ドル高圧力は米経済の持続的な成長を支持できるレベルまでの水準調整が求められている。

実際に、約10年ぶりに利上げに踏み切った昨年12月時点の米連邦公開市場委員会(FOMC)では、金融当局者の中心意見として2016年中に4度の利上げが想定されていたが、3月時点ではその回数が2度にまで半減しており、米国の金融引き締めサイクルは明らかなペースダウンを迫られている。これに伴い、ドルは主要通貨に対して年初から全面高の展開になっており、これが円安(ドル高)トレンドにブレーキを掛け、逆に円高(ドル安)トレンドを形成する原動力の一つになっている。

■暴走したメディア報道の影響も

一方、日銀は4月28日に開催された金融政策決定会合で追加金融緩和を見送るなど、足元の円高・株安圧力への対応を見送った。今年1月に導入したマイナス金利の効果を見極めるためであり、熊本地震への対応は追加金融緩和ではなく、被災地金融機関支援オペという形で措置が講じられることになった。

この決定には特段の意外感はなかった。伊勢志摩サミットが近づいている政治日程から考えても、このタイミングで金融政策に大きな修正を行うような可能性は低かった。ただ、その僅か6日前に一部の金融メディアが「日銀:金融機関への貸し出しにもマイナス金利を検討-関係者」との報道を行った影響で、海外投資家を中心に日銀が追加金融緩和に踏み切るとの見方が広がっていた結果、マーケットは日銀が追加金融緩和を見送ったことを更に円高を進めるきっかけと評価した。

ちょうど、その直前の4月27日(日本時間だと28日早朝)に発表されたFOMC声明文では、議論となっていた6月利上げの可能性について明確な手掛かりを提供しなかったこともあり、「追加利上げに消極的なFRB(=ドル安要因)」と「追加金融緩和に消極的な日銀(=円高要因)」との対比が、ゴールデン・ウィーク中の東京市場の薄商いを狙った仕掛け的な円高(ドル安)を促した。実際にドル/円相場は上述のように東京市場の市場参加者が乏しくなったタイミングで高値を更新しており、狙い通りの値動きが実現したとも言える。

更に4月29日に米財務省が公表した最新の「為替報告書」では、日本が「為替監視国」に指定された。これは、米議会が為替操作国の判断基準として定めた1)対米貿易黒字が国内総生産(GDP)の3%以上、2)経常黒字がGDPの3%以上、3)為替介入の規模がGDPの2%以上の内、二つの基準を満たした結果である。

これは、仮に大規模な円売り介入を実施すると、10月の次回報告では「為替操作国」の認定を受ける可能性が高まることを意味する。同報告書では、最近の急激な円高について「秩序立っている」と、先にワシントンで開催されたG20財務相・中央銀行総裁会議でルー米財務長官が行った発言を追認する記載も行っており、「非秩序的な円高→円売り介入が正当化される」という、日本サイドのロジックを完全否定した形になっている。

■円安回帰はあるのか?

今後の展開になるが、人びとの期待に働き掛ける日銀の金融緩和政策の効果に疑問を抱く向きが増え、更に追加金融緩和や円売り介入といった政策対応の余地も乏しくなる中、円相場の急落は難しくなっている。このため、円安再開シナリオの実現は必然的にドル高の可能性に依存することになる。

一方で、そのドル(米国)サイドもドル高の負担を更に重くすることに限界を感じ始めており、従来のような一本調子のドル高トレンドを再形成することは難しくなっている。FRBが着実に利上げスキームを消化していくことできる実体経済環境が実現すれば、ペースを落としながらも円安(ドル高)トレンドに回帰できる余地は残されている。日米の金融政策環境が、基本的には円安・ドル高を支持していることには変わりはない。

ただ、その肝心の米実体経済も、4月FOMCで「経済活動は成長が減速したように見える」と総括されるなど、先行き不透明感が強くなっている。5月6日に発表された4月米雇用統計では、力強さを増していた労働市場にも減速の兆候が確認されており、まだドル高容認の条件が整っていると評価することは難しい。

昨年末には1オンス=1,050ドル水準まで下落していた金相場が、足元では1,300ドル前後の水準まで反発していることも、ドルの相場環境が悪化していることを明確に示している。再び金相場が下落対応を迫られるような経済環境が実現した時が、円安(ドル高)再開の時になりそうだ。

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マーケットエッジ株式会社代表取締役/商品アナリスト

1976年千葉県生まれ。筑波大学社会学類卒。商品先物会社の営業本部、ニューヨーク事務所駐在、調査部門責任者を経て、2016年にマーケットエッジ株式会社を設立、代表に就任。金融機関、商社、事業法人、メディア向けのレポート配信、講演、執筆などを行う。商品アナリスト。コモディティレポートの配信、寄稿、講演等のお問合せは、下記Official Siteより。

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