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超遅球論争 異なる意見があって当然

豊浦彰太郎Baseball Writer

高校野球での超スローボールに苦言を呈したアナウンサー氏が謝罪したようだ。超スローボールを「投球術とは呼びたくない」「こういうことをやっていると世の中をなめた人間になる」とツイッターでコメントしたことも取り下げたらしい。聞けば、氏のツイッターは炎上状態だったという。

私は本件の問題の本質は2つあると思う。ひとつは「超スローボールは投球術か?」という問題であり、もうひとつは自分と異なる意見に対する寛容性の欠如だ。

まずは前者について述べたい。これに関しては氏とネット上でプチ論争を展開したレンジャーズのダルビッシュ有のコメントが本質を突いている。「生きてきた時代によってものの見方、捉え方は変わるので難しいですね」。まさにそのとおり。したがって、世のファンの中でも賛否があって当然だ。28歳のダルビッシュと75歳のアナウンサー氏のほぼ中間年齢の私は、新しいチャレンジとして超スローボールに取り組む若者がいることを否定しない。一方で、私は氏と同様にこの投球を快く思っていない。なぜなら、この試合で超遅球を投げられた対戦相手の打者本人がどう感じたかは定かではないが、一般的には「侮辱された」と感じる選手は決して少なくないと思うからだ。しかし、それも全員ではないだろう。これか先、数十年経過すると超遅球も緩急のコンビネーションとして完全に認知されるかもしれない。しかし、現在まだその過程が始まったばかりだ。是非の論争は大いに結構だが、自分と異なる意見の存在を受け入れることは必要だと思う。その意味では、氏へのバッシングは残念だった。

バッシングは超遅球を氏が投球術として受け入れなかったからではなく、その「世の中をなめた」という表現に対しての部分も多かったようだ。確かに最適な表現ではなかっただろう。しかし、大騒ぎするほどかと言いたい。その投手が「世の中をなめている」と評するなら非難だろうが、「世の中をなめた人間になる」のは氏の予想でしかないからだ。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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